ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2010年12月12日日曜日

ヴァンゼー冬景色

12月12日日曜日。先日、ブランデンブルクのローカル放送でハーフェル-オーデル運河(ベルリンの北方、ハーフェル側とオーデル川を結ぶ運河)の新造砕氷船投入が報じられていました。内水の砕氷船なんて日本人にはちょっと想像できませんが、そんなのもあるんですね。

今年のヨーロッパは歴史的な寒さになるとの予報が出ていますが、ベルリン周辺の水系の遊覧船はどうなっているのか、運航しているのか、氷に閉ざされているのか気になってヴァンゼー湖に出かけてみました。

薄氷でも運航していればヴァンゼーからクラドーまでの渡船にでも乗って砕氷船気分を味わおうと思ったのですが、行ってみるとやはり港は氷に閉ざされて、渡船も遊覧船もすべて運航を取り止めていました。この調子だと春まで運休なんでしょうか。


ベルリンの渡船 リヒターフェルデ

クラシックな遊覧船 ラインラント

閉鎖状態の遊覧船のチケット売り場 寂しいぃ

2010年12月9日木曜日

荷物の多い旅は船で

最近、造船に忙しくこちらのブログは更新がすっかり疎かになってしまいました。

「造船」と言っても模型の船です。これについては、ベルリン造船所というブログを作りましたので関心のある方はどうぞご覧下さい。

その造船所で今建造中の船はTSS Stefan Batoryというポーランドのオーシャンライナーです。この船は、そのモデルの説明書きによれば、もともとは1948年に建造されたHAL所属のSS Maasdam(現在のではありません。その先代です)だったものを、1968年にポーランド・オーシャン・ラインが購入、改造し、1969年以降にポーランドとカナダ(モントリオール)間の航路に就航しました。そして何と1980年代に至ってまで大西洋の定期航路に就航していました。

フォークランド紛争でQE2が戦地に赴くと大西洋横断航路の客船はこれが最後になってしまったそうです。

しかし飛行機の時代にどうして、しかも観光大国でもないポーランドという国の船がこれほど長く活躍できたのでしょう。その理由は、どうもポーランド人の行動様式にあったようです。

私の義理の両親、つまり妻の両親は1960年代にカナダに研究滞在したことがあるのですが、行きは船旅でした。SS Orsovaという船だったそうです。聞くところによると、そのとき既に航空運賃と船賃はさほど変わらない額になっていたとのことですが、なぜ飛行機でなく船を選んだかというと、飛行機に比べて持ち込める荷物が格段に多かったからということでした。料理の得意な義理の母は、醤油をはじめカナダでは入手できないであろう食材を持てるだけ持って乗船したそうです。定期航路で船が飛行機と競争する時代、船にはそういうメリットが残っていたんですね。

話をStefan Batoryに戻しますが、この船が飛行機に対してポーランド人の支持を集め、80年代になるまで航空路に対抗することができたのも携行荷物の量によるとのことです。ポーランド人の行動様式と表現しましたが、ポーランド人は荷物の多い国民だったのですね。

ここからは私の想像なのですが、乗客になったポーランド人は、北米大陸とポーランドの間で、いわば荷物の担ぎ屋のようなことをしていたのではないでしょうか(そういう光景は、今でもシベリア鉄道に乗ると見られるのではないでしょうか。担ぎ屋はポーランド人ではなく中国人ですが)。カナダやアメリカで例えば電化製品などをかなり大量に仕入れて国に帰って売却する。そんな商売をしていたポーランド人も多かったのではないかと想像します。

そんなことはどこにも書かれていなかったのですが、ちょっと思い当たる節があります。この話はベルリンに長く住む人から聞いたことなのですが、ベルリンの壁が崩壊した直後、つまり1989年、90年頃だと思いますが、ポーランド人がベルリンに大挙して押し掛け安い電化製品などを買いあさって帰って行ったそうです。西ベルリンの当時の中央駅だったツォー駅からほど近いところにカント通りという街路がありますが、そこにはそんなポーランドをはじめ東欧諸国からの買い出し客に応えるにわか「量販店」が沢山でき、ポーランド人はバスを仕立てて押し寄せていたそうです。

そんなことを考えながらポーランドの客船模型を作っていますが、あと少しで完成です。

2010年12月3日金曜日

シャルンホルスト以前

トラフィックがあまりありませんので、ちょっとメモ代わりに使います。今の関心は、歴史の船旅に向いているのですが、1930年の半ばにシャルンホルスト、ポツダム、グナイゼナウが東アジア航路(日本から見ると欧州航路)に就航する以前のNDLの使用船がわかりました。

Trier(トリアー)、Fulda(フルダ)、Coblenz(コブレンツ、総トン数9449 t)、Saarbrücken(ザールブリュッケン、総トン数9449 t)だそうです。シャルンホルスト等が就航したことでトリアーはトルコに、コブレンツとザールブリュッケンはイタリア政府に売却されたそうです。典拠はP. Kuckuk, Die Ostasienschnelldampfe.., S.52.

トリアー、フルダ、コブレンツ、ザールブリュッケンはいずれもドイツの都市の名前です。

2010年11月3日水曜日

ノルウェーの郵便汽船で

ドイツにはKarstadtという百貨店チェーンがありますが、その旅行コーナーに行くと毎月特選の船旅のパンフレットが置かれています。

今月はノルウェーの郵便汽船Hurtigrutenを使ったクルーズが紹介されていました。


フィヨルド観光で有名なBergenから、スカンジナビア半島沿岸の入り江や島々をめぐって最果てのKirkenesまで6日間かけて北上する「クルーズ」です。

郵便汽船と言っても今の船は、一部を除いてクルーズ船の様相を呈しているのですが、そこは地元の住民の足であり、物資供給の命綱でもある貨客船のこと、最新鋭のきらびやかなクルーズ船とはちょっと違います。設備はずっと充実していますが、東海汽船や小笠原海運のような雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。

そういえば、私の友人の知り合いが、このクルーズに参加したそうです。その人は「わざとらしい」「キッチュ」な贅沢クルーズではなくて本物の旅がしたいのよ、といってこの郵便汽船による旅を選んだんだそうです。

そういう「本物の航路」ですから、停泊はお客の乗り降りと荷物の積み降ろしが主な目的あり無名の小さな集落や島々を巡ることでしょうから、「クルーズ」を期待しているとがっかりなのかもしれませんが、実は結構人気のツアーのようですよ。

そして実は私も憧れています。まさに東海汽船?って感じの船も就航しています。それに乗ってみたい。

2010年9月30日木曜日

ドイツ-東アジア航路

久しぶりの更新になりました。

このごろ過去の船旅に思いを馳せています。関心の対象はドイツと東アジア、日本を結ぶ航路。

最近は、Die Ostasienschnelldampfer SCHARNHORST, POTSDAM und GNEISENAU des Norddeutschen Lloyd(『北ドイツロイドの東アジア急行汽船 - シャルンホルスト、ポツダム、グナイゼナウ』)という本を読んでいます。



船の歴史に詳しい方には説明の必要はありませんが、これらの船は1930年代の半ば、ドイツが国家の威信をかけて建造し東アジア航路に就航させた船です。それまでブレーメンから上海までドイツの船では52日もかかっていたのを34日に短縮させた画期的な俊足船です。

しかし北ドイツロイド社が単独で建造するには資金確保が難しく、当時のナチス政権下の政府から得た補助金をつぎ込んで実現した船です。その俊足は、その後欧州航路向けに造られる日本郵船の新田丸級にも影響を与えたことでしょう。新田丸級にも優秀船として国からの資金援助が入っていたということですから、この急行汽船と似ていますね。そして両方とも三姉妹というのも同じ。ただドイツの三姉妹は、それぞれ個性が強く、日本の三姉妹に比べるとあまり似ていないシュヴェスター(姉妹)です。

シャルンホルストは、日本に来航していたとき(正確には日本からの帰途)に第二次大戦が勃発し、帰りの航海ができなくなり、日本に留まりました。その結果、戦時中、優秀船として国家の援助で造られたNYKの新田丸級が航空母艦に改造されたようにシャルンホルストも日本に売却された後に日本海軍の航空母艦、神鷹に改造されました。その俊足が災いしたということになりますね。

紹介した書籍は、Prof. Dr. Peter Kuckuk(Dr. ペーター・ククーク教授)の作ですが、内装の写真もあって当時の船旅が偲ばれます。

2010年7月3日土曜日

砕氷船のフェリーなんてあり?(3)「ありそうな」どころではなかった砕氷能力


前の記事で氷の海を行くフェリーの写真(リンク)を紹介し、「砕氷能力がありそうな」と書きましたが、他のページを探したところ、間違いなく砕氷能力があるということがわかりました。そのページはこちら 

2010年6月26日土曜日

砕氷船のフェリーなんてあり?(2)港に行けない

ますは、Malmöとトラーフェミュンデを結ぶ、砕氷能力もありそうなフェリーの写真をネット上に見つけましたので紹介します。

http://www.skandinavische-reiseagentur.com/finnland/finnlines/nordoe_link/travemuende-malmoe.htm

コンテナ船の一部を客室にしたような露骨な貨客船です。日本でも沖縄辺りにこういう船容のフェリーがあったと思いますが、ここまで半分貨物船、半分客船という船は少ないのではないでしょうか。バルト海には結構このタイプの貨客船があるようなんですけどね。

さてベルリン - サスニッツ - Trelleborg - Malmö - トラーフェミュンデという旅を計画したのですが、このルート私にはちょっと問題がありそうです。

2010年6月22日火曜日

砕氷船のフェリーなんてあり?(1)概要

この前、ロストックからデンマークに渡ってみて、バルト海にどんな航路があるのか、少し見えてきました。気軽に乗れそうなフェリー航路が結構ありますね。

そんな航路を使って、ちょっと旅の計画を練ってみました。こんなルートはどうでしょうか。

2010年6月5日土曜日

ショートクルーズはクルーズにあらず?

去年「クルーズ」に参加しました。ケルン発着のライン/モーゼル川3泊4日。短いクルーズでしたし、訪れたのはどこもありふれた観光地でしたが、ゆっくりと景色を楽しむことができ船のサービスにも大満足でした。私にとっては初めてのクルーズ体験になりました。

この夏もできればクルーズに参加したいと思い、去年手配してくれたエージェントのサイトで検索し何度か申し込んでみましたが、結果はどれも売り切れという回答。どれも手頃な価格のものでしたので、直ぐにいっぱいになってしまったのかな、と思って再度そのサイトで検索してみるとやっぱり同じものが表示されます。そして再度申し込んでもやはり売り切れと言う回答・・。どうなっているの?

2010年6月2日水曜日

FS Tom Sawyer

5月にロストックへ行ったときにフェリー港で見かけたFS Tom Sawyerです。ロストックとスウェーデンのTrelleborgを結ぶTT Lineの大型フェリー。ロストックとTrelleborgは、この船で昼間は6時間で結ばれています。同じ区間は、Scandslinesもフェリーを運航しています。Trelleborgへはロストックの他、ドイツからはサスニッツからの連絡もあります。

2010年5月26日水曜日

ふと、海を見たくなるときがある(11)- 日帰り海外旅行?の旅費。

バルト海を越えてデンマークの岸まで行きました。上陸はしませんでしたが、これって海外旅行でしょうか。今回はその費用を計算してみました。

まず乗車券、乗船券ですが、

2010年5月22日土曜日

ふと、海を見たくなるときがある(10)- デンマークの岸で。

カールスバークの酔いが回ってきた頃、もう船はデンマークの岸に近づいていました。免税品販売の終了、もうすぐ到着の船内アナウンスが入ると多くの乗客はカーデッキに降りて下船に備えます。

そして間もなく到着。バルト海を渡って「向こう岸」に着きました。Gedserは、フェリーの港以外は漁村という感じの静かな集落です。港の建物越しにわずかに垣間みられる村の家並は、

2010年5月20日木曜日

ふと、海を見たくなるときがある(9)- デンマークのビールを呑みながら。

座席が少なくゆっくり座っているわけではないとしたら、乗船客は何か他にすることがある、ということになります。1時間30分の船旅に適当なことと言えば、まずは腹ごしらえですね。お昼が近いと言うこともあって出航するとセルフサービスのカフェテリアには人が集まってきました。その他、人が集まっているところをみてみると、

2010年5月17日月曜日

ふと、海を見たくなるときがある(8)- 国際フェリーの客席。

FS Prins Joachimの旅客用のスペースは、二層になっています。最も前方がレストランになっており、上にステーキ/シーフードレストラン、下にセルフサービスの食堂があります。その後ろに食事を取らない人用のスペースがあるのですが・・

2010年5月14日金曜日

ふと、海を見たくなるときがある(7)- デンマークへ向けてロストック港を出航。


今回乗り込むのはFS Prins Joachimです(フェリーはMSではなくFSなんですか?)。1万6千トンを越す大型船です。こんな大きな船がわずか2時間もかからない航路に就航しているとは驚きです。ちなみにScandlineのフリートはこのページにデータがあります。

シャトルバスは乗船口までくるとお客を降ろします。乗客が長いタラップを伝って船内に入ると、自動車で乗船した旅客が、カーデッキから客室にのぼって来た頃、もう船は出航です。

船がロストック・フェリー港を出発すると、ヴァルノ川の河口を通って湾口へとそろりそろりと向かいます。湾口の西岸にはヴァルネミュンデという小さな街があり、ここにロストック港の客船ターミナル(写真)があります。それほど長い岸壁ではありませんがクルーズ船が2隻は同時に接岸できます。今回はここへは行けませんでしたが、フェリー港に出入りするフェリーを眺めるのにはもってこいの場所です。

この街は海水浴場にもなっていて長い砂浜が続き、リゾートホテルなどもあります。街には1898年に建てられたという灯台(写真)があり、今はそこにのぼることができるそうです。ヴァルネミュンデ港には船と接続する鉄道線路もあり、以前は鉄道連絡や貨車の輸送も行っていたのかもしれませんが、現在ここからは定期船は出ていません。

こうしてロストック港を後にして船はバルト海に出ました。次回は船内の様子を報告します。(つづく)

2010年5月13日木曜日

ふと、海を見たくなるときがある(6)- 渡りに船とはこのことか。

ヴァルノ川が見え、RoRo船のターミナルが見えてきたところで右を見ると目指すScandlinesのターミナルが目に入ってきました。駐車しているトラックの前を歩いて白い一階建ての建物まで来るとそこがScandlinesとTT-Lineのチケット売り場であることがわかりました。中に入ると通路を挟んで両フェリー会社のオフィスがあります。Scandlinesのオフィスは、カウンターがあり、GadserとTrelleborgという行き先別にチケットを販売しています。

調べてきたところによると、デンマークのGadserまでは2時間おきにフェリーが出ており、片道の所要は1時間45分。これなら今日中に行って帰って来られます。せっかくたどり着いた港です。港に船となれば乗ってみない手はありません。片道7ユーロ(時価で約840円)、往復で14ユーロと格安です。しかも同じ船で直ぐに帰って来ることもでき、下船しなければ片道の7ユーロだそうです。そういう物好きもそう多くはないでしょうが、この単純往復チケットを購入。次の出航は11時です。チケットを購入すると、その建物の前からバスが出るのでそれに乗って乗船するようにという説明を受けました。空港のランプバスみたいですね。



バスが出るまではまだ時間もありますので待合室、軽食堂を見て資料を物色。今回は乗りませんがTT-Lineの時刻表等ももらってきました。バスはまだかと外に出ると、ベルリンで良く見かける長距離バスが入ってきました。行き先にはコペンハーゲンの表示が見えます。ベルリンから長距離バスでコペンハーゲンに向かうとこのフェリーを利用することになるのですね。

出航20分前、バスが出るようです。列に並んでバスに乗り込みましたが全部で10人もいません。徒歩でやってきてフェリーで対岸にわたるという旅行者はほとんどいないのですね。

そしていよいよバスが船を目指して出発。期待が高まります。(つづく)

2010年5月12日水曜日

ふと、海を見たくなるときがある(6)- 「太陽に吠えろ」のロケ地のような!

ベルリンを出た列車は、約3時間走ってロストック中央駅に到着。そこから港まではロストックの港湾線を行くことになりますが、ヴァルノ川東岸のフェリー埠頭と西岸のクルーズ客船ターミナルがあるヴァルネミュンデに向けて市内列車がそれぞれ接続しています。今回はフェリー埠頭を目指します。そしてもし可能であればフェリーにも乗ってみたいと考えていましたが、さてどうなりましたか。

ロストック中央駅は、春だと言うのに肌寒く先が思いやられます。フェリー埠頭に行くなら終点のRostock Seehafen Nordという駅が最寄り駅なのですが、末端部が工事中なのか、この日はSEVに乗り換えてようやく着きました。

SEVというのは、Schienen-Ersatz-Verkehr、直訳すれば「鉄路代替交通」ということになりますが、簡単に言えば「代行バス」ですね。もちろんバス以外のことも理論的には可能です。馬車とか籠とかがあったら面白いですが、まずそういうことはないようです。また徒歩もなし。Verkehrは、交通と言う意味ですが、運輸でもあり、そういう意味で徒歩はこのカテゴリーには入りません。

その代行バスで着いたSeehafen Nord(海港北)は、駅ではなくただのバスの停留所。フェリー埠頭への行き方すら説明がありません。地図でだいたいの位置関係をおさえてきたのですが、目印になるようなものが全くありません。こうなると感が頼りになりますね。まずは広い通りを北に向かい、突き当たりを左へ。広い通りをとぼとぼと歩いているのは私独り。フェリーに乗ろうとする人はいないのでしょうか。それとも道を間違った? 殺伐とした景色と相俟ってどうしても不安になりますが、しばらくすると行き先表示が見えてきました。GedserTrelleborgHelsinki(ヘルシンキ)は、いずれもバルト海の向こう岸。船に乗らなければ簡単には行けません。どうやら道に迷ったわけではなさそうです。

その向こうには、Siljalineのターミナルも見えますね。これもフェリーの会社ですが、スウェーデンとフィンランドの間の航路が有名です。白夜のバルト海を行く船、考えただけでもゾクゾクしますが、今回はそこまでは行けません。(つづく)

2010年5月11日火曜日

ふと、海を見たくなるときがある(5)- いざ出発!

5月9日(日)、海を見たいという衝動に駆られロストックへと向かいました。部屋を出たのは6時前、週末でもあり街はまだ眠っています。最寄り駅からSバーン(市内電車です。山手線とか京浜東北線のような)に乗ると車内には前夜遊んで朝帰りと思われる人が数人、ぐったりとシートに身をゆだねていました。

Berlinerはというと、夜に飲んだコーヒーのせいなのか、知らずに食べた生ニンニクが効いたのか、それとも眼前に広がるであろう海の風景への期待からなのか、前夜一睡もできませんでした。それでいてなぜか元気。全く眠気、だるさを感じません。ちょっと危険かもしれません。

ロストックへ向かう列車は、Berlin Südkreuz駅を6時34分に出発するRegional Express。直訳すると地域急行、JRの区分に置き換えると快速ですね。以前は名前の通りローカルに(主として州内に限って)走っていて州の境近くまでしか運転されず、隣接する州にまで行くのなら、辺鄙な駅で乗り継ぎなんてことがよくあったのですが、最近はドイツ鉄道も大分融通が利くようになって、この列車はベルリンを出るとブランデンブルク州を通り過ぎ、隣接するメクレンブルク・フォアポンメルン州の北のはて、ロストックまで乗り換えなしで運んでくれます。

列車は二階建ての4両編成。一等、二等の等級構成です。座席は全て固定式で動きませんが、ボックス席、進行方向に向いた席、その反対、一人がけの席、自転車を持ち込める席等々、バラエティーに富んでいます。シートはリクライニングこそしませんが、JRの特急列車並みです。

列車はベルリンを出ると松林の中を抜け、時折湖を車窓に見ながらひたすらロストックへと向かって走ります。(つづく)

2010年5月8日土曜日

ふと、海を見たくなるときがある(4)- ダークホースあらわる!

行き先はバルト海、港はロストックとヴァルネミュンデと決めて、さてどのルートで行こうかとドイツ鉄道(DB)時刻表を見ると、一つ見逃していたことがあったのに気がつきました。それは・・

ベルリンに近い港は、何もドイツ国内ばかりではない、ってこと。もうお分かりですよね。陸続きで隣国と境を接している国にとって、近いかどうかってことは、国境を跨ぐかどうかとは関係ないってこと。とくにEU諸国は、パスポートコントロールすらない国境通過点もありますから。

それで、そのダークホースはというと、ポーランドの北西部の海港都市で、オーデル川の河口に位置するシュチェチン(Szczecin)です。これにはドイツ名もあってシュテッティン(Stettin)といいます。ここも潟湖の奥にありますから、直接外洋に向かっているわけではありませんが、海港都市であることには間違いありません。ちなみにベルリンとは運河とオーデル川で繋がっており、運河の途中には有名なNiederfinow(ニーデーフィノー)船舶エレベーターがあります。

でも今回は、おとなしくドイツ国内にしておきましょう。シュチェチンからも面白い船、航路があるんですけどね。それはまたいずれ。(つづく)

2010年5月7日金曜日

ふと、海を見たくなるときがある(3)- バルト海の街へ

ベルリンから最も近い海はバルト海。そこを目指そうってことまで決まりましたが、その先は?

候補はリューベックヴィスマールロストック。バルト海沿岸の都市に目標を絞れば、その他にもいくつか考えられます。キール、グライフスヴァルト、シュトラールズント、サスニッツなんて街もありますね。でも今回はそこまでマニアックになるのはやめましょう。

リューベックは、ハンブルクと並ぶハンザの雄ですが遠いということで落選。リューベックとその外港トラーフェミュンデは、ハンブルよりも東寄り、位置的にベルリンに近いと言っても、行くにはハンブルクでの乗り換えでしょうから、ますます遠いのです。

残りはヴィスマールとロストックということになりますが、ヴィスマールはたしか定期旅客航路はなかったはず。そうなると貨物船ばかりということになりますので、やはりやめておきます。

これで行き先はロストックとそこに隣接するヴァルネミュンデということになりました。ロストックは旧東ドイツ最大の港湾都市でしたが、スウェーデンやデンマークなどバルト海沿岸諸都市への定期旅客航路(フェリー)が多数延びていますので、いろいろな船が見られそうです。ヴァルネミュンデは、ロストックの外港という感じですが客船ターミナルがあり、運が良ければクルーズ船が来航、停泊しているかもしれません。確か飛鳥IIが来たときにはこの港に停泊したのではなかったでしょうか。ベルリンへのエクスカーションも開催されたことでしょう。(つづく)
_____________
ロストック港のウェブはこちらをクリックしてください。船好きにはたまらないウェブカメラもありますので、探してください。⇒ ロストック港

2010年5月6日木曜日

ふと、海を見たくなるときがある(2)- いずこの街へ

海を見に行くとして、どこの街に行くべきでしょうね。北海ならブレーメンハンブルクバルト海ならリューベックヴィスマールロストックと言ったところでしょうか。これらの都市は、皆ハンザ同盟都市ですね。

あまり遠くは行けませんので、ブレーメンとハンブルクがまず候補から落ちます。といっても、ハンブルクはドイツの新幹線ICEが1時間40分でベルリンと結んでいますので、時間的にはかなり近いともいえるんですけどね。

この二つを落としたのには、もう一つ理由があります。それはどちらもかなり海から遠い、ということ。ヨーロッパの海港都市は、海の港とは言ってもかなり川の河口を遡ったところに位置するものがあります。ブレーメンはヴェーザー川、ハンブルクはエルベ川の河口です。

ブレーメンにはまだ行ったことがありませんが、ヴェーザー川はあまり大河ではありませんので海の船は、外港であるブレーマーハーフェン止まりでしょう(ブレーマーハーフェンというのは地名ですが、敢えて訳せば「ブレーメン港」ということになります)。それに比べるとハンブルク港は、かなり海っぽい感じです。横浜の内港、つまり大桟橋にはQM 2が着岸しませんでしたが、ハンブルクには入ってきますよ。でも今回は止めておきます。ふと、海が見たくなって新幹線に乗ってというのはちょっと興ざめで、やはりローカル列車で行けるところくらいにしたいものです。(つづく)

2010年5月5日水曜日

ふと、海を見たくなるときがある(1)- 無い物ねだり

Berlinerは、ベルリンに住み始めて10年以上になります。ベルリンは、日本からの直行便はありませんが、ドイツ最大の都市だけに必要なものはほとんどそろい、不自由はありません。街並は、美しいとか壮麗とかいうわけではありませんが、それなり(?)にきれいですし、私は気に入っています。また、街並よりも美しいのが街の中と周辺の緑。湖水も多く夏は水辺が輝きます。それでも・・

ベルリンで調達できないのがあります。それは海と山。この辺りの地形は、かつて氷河が山をごっそりと削って持って行ってしまったために、とても、非常に、かなり、真っ平らです。そういうのっぺりした地形を眺めていると、ふと山が見たくなる。

しかし山以上に恋しくなるのが海。ヴァンゼー(湖)、ハーフェル湖、ムッゲルゼー(湖)などなど、ベルリンには大小さまざまな湖水や川があり、その景観は美しい(水質のことは別として)。でもこれは海ではない。と思うと余計に海が見たくなる。

川や運河、湖をするすると滑るように航行する船に乗るのは鉄道や自動車の旅にはない快楽があり、私は好きなのですが、ときには海の荒波にもまれてみたい。視界いっぱいに広がる巨大な船体を見てみたい。

無い物ねだりだとはわかっているのですが、それでこの欲求が鎮まるわけではありません。そんなわけで今、海を見に出かけようかと画策中。(つづく)

2010年5月4日火曜日

MS Weihe(1)

(4月28日ベルリン・ミッテ地区にて撮影)

ここはベルリンの中心を流れるシュプレー川の畔です。MS Marylouを探して中心部に行ったときについでに撮影した遊覧船です。5月が近づくと高緯度に位置するベルリンは日が延び、天気もよくなりますので、遊覧船で観光を楽しむのに格好の季節になります。

シュプレー川とフリードリヒシュトラーセ(通り)が交わる地点は、遊覧船乗り場が集中していて、沢山の船が行き交っています。

写真の船MS Weiheは、ベルリン遊覧船の最大手Stern & Kreisの運航する船です。かなり小さめですが、ベルリンの水路を無理なく航行するにはこのくらいの大きさがちょうど良いようですか。このタイプの遊覧船は、ベルリンに限らず周辺の湖でも見かけたことがありますが、東ドイツで造られたものかもしれません。操舵室の窓の配置にその特徴が現れています。

まとまりがあってかわいらしい船です。

2010年5月3日月曜日

ラベル(テーマ)の説明:繋留船

新しいラベル(テーマ)を設定しました。「繋留船」です。

日本で「レストラン船」というとどんなものになりますか。定義すれば「本格的な食事を提供する遊覧船」ということになりますか。ドイツ語にも「レストラン船」に相当するRestaurantschiffという言葉があります。直訳するとまさに「レストラン船」(Restaurantが「レストラン」、Schiffが「船」)ですが、定義がちょっと違います。ドイツ語でこのように言うとそれは遊覧船ではなく繋留されて水に浮かんでおり移動はできない、少なくとも自力ではできない、あるいは移動を考慮していない船のことです。そういう「繋留船」は、古い船を使っている場合も多く、面白いものもあります。

繋留船のその他の用途としてはホテルシップがありますね。その他は劇場とかも。

そんな繋留船を紹介するのがこのテーマの狙いです。ベルリンの氷川丸、QM、QE2はあるでしょうか。探してみます。お楽しみに。

2010年5月2日日曜日

MS Marylou(4)

(4月28日ベルリン・ミッテ地区にて撮影 - 帝国議会(連邦議会議事堂)をバックに。繋留されている場所は旧東ベルリン、議事堂があるのは旧西ベルリンです。ベルリンの壁を間に置いた風景と言うことになりますね。)

サイクリングクルーズの組み合わせは、日本のクルーズファンにはちょっと意外かもしれませんね。考えられないことはないけど、そんなのあったんだ、そういえばありかもなという印象じゃないでしょうか。例えて言えば、縁日の屋台で昔食べたかったチョコバナナ?みたいなものでしょうか。例えが悪いか?

クルーズを楽しめるくらいの落ち着いた年齢、経済生活を送れるようになると、スポーツとして楽しむ人は別として、サイクリングを楽しむことって希になりませんか。少なくともクルーズとサイクリングを一緒に楽しむってことは思いつかないのではないでしょうか。

しかしそんな組み合わせがドイツではありなんですね。クルーズが、豪華客船の旅としてばかりでなく、豪華ではない普通の旅行アイテムとして受け入れられているということでしょうか。「躍動する大都市ベルリン」を自分の足で体験するのは楽しいかもしれません。私も参加したい! 初日の夜は膝ががくがくと躍動しそうですが。

気になるお値段は、レンタル自転車の料金を含め、一人でキャビンを使う場合は519ユーロ、二人で使うなら一人299ユーロになるそうです。キャビンは4人まで一緒に使えるそうで、その場合は一人当たり149ユーロの追加料金になるそうです。関心のある方はKVS toursに直接ご確認下さい。

このKVS toursのクルーズや船、またどこかで紹介したいと思います。いずれまた。

2010年5月1日土曜日

MS Marylou(3)

(4月28日ベルリン・ミッテ地区にて撮影 - やや後ろから)
昨日はMS Marylouによるベルリン・シティー・クルーズ - 躍動する大都市(3泊4日)のコースを紹介し、ちょっと普通のクルーズとは違っているところがあると書きましたが、どこが「違っている」のかわかりましたか。
それは、船の屋根をよく見るとわかります。自転車が何台も横に寝かせて置いてあるのが見えます。このクルーズは、船で移動するだけのクルーズではなく、サイクリングも同時に楽しむというものなのです。
昨日紹介したパンフレット(ダウンロード可)によれば、初日はシュパンダウからポツダムまでの間で31km、2日目はポツダムとケーペニックの間で16km、3日目はケーペニックとベルリン・ミッテの間で30kmのサイクリングが設定されています。おそらく走りっぱなしではなくどこかで船に乗り換えて目的地に向かうのではないかと思うのですが、通常の都市生活を送っている人には、かなりの距離を走破することになります。
私は高校生の頃、サイクリングが好きでギヤなしの通学用自転車で東京湾を一周したり、房総半島をぐるっと回ってみたりしたことがあるのですが、長い距離を連続して走ると時速15kmが限度でした。それを考えると30kmのサイクリングは2時間から3時間はかかると思われます。途中で休憩を取るのでしょうから、3、4時間はかかるのではないでしょうか。パンフレットには、少し起伏のある地形、森の中の道を走るとあります。提供される自転車は7段のギアが付いているようです。(つづく)

2010年4月30日金曜日

MS Marylou(2)

(4月28日ベルリン・ミッテ地区にて撮影 - ほぼ真横から。背景は東ドイツ時代の規格建築。ここはかつて東ベルリンでした。)
さて、予告どおり、このMS Marylouによるクルーズのコースを紹介します。インターネットでもダウンロードできるその説明によれば、この日はBerlin City Cruise - Die pulsierende Großstadtというプログラムの第3日目にあたります。
プログラムの副題、ドイツ語のDie pulsierende Großstadtは、「躍動する大都市」という意味になりますが、このクルーズは34日でベルリンをぐるっと巡ります。
1日は、ラベル「港」でも紹介したベルリン・シュパンダウ港から出航し、ポツダムへと向かいます。第2日は、その、プロイセン王国の王宮都市ポツダムを後にToleptow運河を通ってベルリンを挟んだ反対側(東側)のKöpenick(ケーペニック)へ。ここはシュパンダウと同様に古い街並みの残る緑豊かな地域です。フリードリヒ大王が皇太子時代に企てた国外逃亡が発覚、失敗したときに、太子と協力者に対する裁判が開かれた王宮などが残っています。そして第3日は、そこからベルリン・ミッテ地区へ。「ミッテ」は地名ですが、ドイツ語で「中心」という意味を持っています。もちろんベルリンの「中心」です。そこで停泊してベルリンを「体験」し、最終日の第4日に出発地であるシュパンダウに戻ってきます。
パンフレットには地図が出ていますので、ベルリンを知らない方も位置関係がわかるでしょう。
しかしこのクルーズ、普通のクルーズとはちょっと違っています。(つづく)

2010年4月29日木曜日

MS Marylou(1)

(4月28日ベルリン・ミッテ地区にて撮影)

今日はちょっと意表を突く船を紹介します。写真はベルリンの中心部、フリードリヒシュトラーセ駅近くのSchiffbauerdamm(通り)に繋留されているMS Marylouです。シュプレー川の対岸のReichstagufer(通り)から撮影しました。

このずんぐりむっくりした小さくて愛嬌のある船、何だと思いますか。ちょっとオランダの家舟にも似ていますが。

実はこれ、歴としたクルーズ船です。「歴とした」というのはこんなに小さくても浴室/トイレ付のキャビン、レストラン、サロン、バーといったクルーズ船に必須アイテムを備えているということです。どれくらい小さいかと言うと長さ41m、幅5mで旅客用キャビン数8、ベッド数が最大32というかわいらしさ(参考:http://www.kvs-tours.de/de/touren/ship.htm?id=142)。繰り返しますが、それでもクルーズ船です。しつこい?

内部はデッキが2つで、下のデッキにキャビンがあり、他の施設は全て上のデッキにあります。

運航するのはKVS tours(ブレーマーハーフェン)という会社(サイト:http://www.kvs-tours.de/)。この会社の企画、船はどれもとても個性的でサイトを丸ごと翻訳したいくらいなのですが、これから少しずつ書いていきます。次回はこのMS Marylouのクルーズを紹介します。(つづく)

2010年4月28日水曜日

MS Charlottenhof(1)

MS Charlottenhof(ポツダム港にて4月17日撮影)

この船は、ポツダム白船団に所属する遊覧船MS Charlottenhof。手元の資料では、大きさや進水の年、沿革等はわからないのですが、東ドイツ時代に造られたものと見てほぼ間違いないでしょう。

その判断の根拠は、船腹の側面の波状の凹凸です。これは、東ドイツに限らず、社会主義国の交通機関によく見られたデザインで、中国やロシアの鉄道車両によくこのデザインが見られます。単なるデザインなのか、それとも比較的薄い鉄の薄板を歪みなく仕上げるための工夫なのか、強度上どうしても必要なのか、その辺りの深い事情は分かりませんが、ベルリンだと、地下鉄車両にこのタイプのデザインが残っています。

ドイツで見る遊覧船の船内は、日本と同様に進行方向に向かって垂直にテーブルが並べられているという配置が一般的ですが、この船の船内は改装されていて外に向かって着席できるようにテーブルが配置されているようです。といっても暖かい季節ならサンデッキの方がずっと気持ち良さそうですが。

Charlottenhof(シャルロッテンホーフ)は、ポツダムのサンスーシ公園内にある宮殿の名前です。この船の名前もそこからとったものでしょう。

2010年4月27日火曜日

ラベル(テーマ)の説明:コース/航路

新しいラベル(テーマ)を設定しました。「コース/航路」です。このテーマでは、興味深いクルーズや遊覧のコース、定期航路を紹介します。インターネットやカタログ、タイムテーブルから、どんなところを通るクルーズなのか、どんな都市や風景に出会えるのかといったことを書いていきます。もちろん時間と予算が許せば、実際に出かけて見ますが、そのときは「船旅」のテーマでレポートします。

実際に自分で体験したかどうかに関わらず、ベルリン周辺の面白そうな船旅を紹介するのがここでの狙いです。お楽しみに。

2010年4月26日月曜日

ベルリン・シュパンダウ港(5)

シュパンダウ湖の船溜まり(4月24日撮影)


シュパンダウ湖のプロムナードをMS Königsteinを求めてひたすら歩きます。この辺りは、ウォーターフロントが開発/再開発された地域で、湖を眺めながら食事のできるレストランや新築の集合住宅が広がっています。湖には、Eiswerderという中州が浮かび、橋や船溜まりが見え、大都市とは思えないのどかな風景が広がっています。

上空をテーゲル空港から飛び立った飛行機が鋭いエンジン音とともに通り過ぎる以外は、鳥の羽音と啼き声、小型船のたてる波音しか聞こえません。この飛行機の騒音も2011年10月に、市街地を挟んで反対側に建設(拡張)中のシェーネフェルト空港(BBIベルリン・ブランデンブルク国際空港)が完成すると聞こえなくなり、ここは静寂が支配する水郷都市になることでしょう。

そんなのどかな景色を眺めながら歩くのは楽しいのですが、お目当ての船は見当たりません。どこに隠れているのでしょう。

歩くこと45分あまり、歩みは、とうとうWasser Stadt(ヴァッサー・シュタット、英語ならWater Cityです)と呼ばれる新興住宅地まで来てしまいました。これ以上は望み薄と考えて探索を終えました。

やはりこの辺りにはクルーズ船の停泊する岸壁はなさそうです。もしかしたら今日こそは、二週間前に訪れた「シュパンダウ港」に停泊していたのかもしれません。確かめてから、こちらに来れば良かったと思っても、もはや後の祭り。MS Königsteinとの出会いは、次のクルーズがスタートする二週間後のお楽しみとしましょうか。

2010年4月24日土曜日

ベルリン・シュパンダウ港(4)


Spandauer See(シュパンダウ湖)

 このブログ、本格的に始まって二週間が経ちました。二週間前と言えば、クルーズ船MS Königsteinを見るべくシュパンダウ港に出かけた日です。その日は、まだ時間が早く、船はまだ入港していないものだと思ってあきらめたのですが、ちょっと腑に落ちないところがあります。
 MS Königsteinを運航するnicko toursから頂いたカタログFlussreisen 2010 - klein & feinを見ると15時から乗船開始、20時出航となっています。あの時間に見つけられなかったということはどこか他のところに停泊していたと考えるべきだと思い、同じクルーズElbromantikがスタートする今日、4月24日(土)、再びシュパンダウ港を訪問しました。
 駅を降りて向かったのは、前とは反対方向の北側。旧市街を出ると水門がありそれを通り越してさらに北に向かいます。この辺りはSpandauer See(シュパンダウ湖)という湖になっていてウォーターフロントがよく整備されています。
 プロムナードのある公園を抜けさらに北へと歩いていきますと遊覧船乗り場や繋留されている小型船が見えて来るのですが、MS Königsteinの姿はありません。
 さらに水辺を歩いて北に向かいます。(つづく)

MS Sanssouci(1)

MS Sanssouci(ポツダム港にて4月17日撮影)


 昨日紹介した蒸気船Gustavとは打って変わってこちらはポツダム白船団有限会社の最新鋭船でありフラッグシップでもあるMS Sanssouci(サンスーシ)。以前、ベルリン・シュパンダウ港で見かけたクルーズ船MS Sans Souci(サン・スーシ)とは別物です。

 Gustavと比べると、宇宙戦艦ヤマトとアンドロメダぐらい違いますね(これわかる人、私と同じくらいの歳でしょうね)。この会社が所有するどの遊覧船よりも大型で、ポツダム周辺の狭い水路では操船が難しそうですが、大丈夫なのでしょうか。たぶん、この日この港で出航を見送ったクルーズ船MS Frederic ChopinとMS Katharina von Boraと同じくらいの長さでしょう。

 サロン外壁の黄色は、ポツダムでフリードリヒ大王が営んだ、世界遺産にも登録されているサンスーシ宮殿の壁の色を模したのでしょう。窓の形もその流れですね。頭が大きいようですが、船腹、特に舳先はヨットのような流線型をしています。水の抵抗、燃費を考えての設計でしょうか。

 動力は何でしょう。そばで聞いていてもエンジンの音がしないくらい静かでしたので、ディーゼル・エレクトリック方式かもしれません。

 サロンは広々として、サンデッキも巨大ですが、船としての魅力にはちょっと欠けるかな。

2010年4月22日木曜日

Gustav(2)


 写真は、Gustavがポツダム港を出ようとするところです。この先の道路橋がかなり低いので蒸気船独特の高い煙突を途中で折り曲げてくぐれるようにしています。しかし蒸気船に限らず、川を航行する船舶は橋梁や水門など他の建造物による制約が厳しく、そこを通過するための工夫を余儀なくされることがあります。

 昔の船(蒸気船)はGustavのように高い煙突を一時的にたたみましたが、ディーゼル機関の船でも煙突が上に突き出たものは、それが引っ込むようになっていることもあります。去年乗ったライン川のクルーズ船MS Bellrivaがそうでした。そしてこの日見たクルーズ船MS Frederic ChopinとMS Katharina von Boraは、操舵室が上下するようになっています。同じ航路を往復しているからどこで何をしなければならないのかはよく心得ているのでしょうが、乗組員にとっては煩わしいでしょうね。


 写真のGustav号、船体が実に美しいラインだと思いませんか。海の船と川の船は違いますが、横浜港の氷川丸のようなクラシックな曲線。惚れ惚れします。

 背景の建物は、ブランデンブルク州の州議会です。こちらはかなり直線的です。

Gustav(1)

 4月17日(土)にポツダム港を訪問したとき、お目当てのクルーズ船MS Frederic Chopin、MS Katharina von Boraだけでなく、何隻かの遊覧船にも出会いました。

 そのうちの一隻がこれ。蒸気船Gustav(グスタフ)です。手元の資料によると、1908年に作られたそうですが、本当にオリジナルなんでしょうか。その資料Fahrplan 2010 Schifffahrt in Potsdamには、Das Original aus dem Jahre 1908、つまり訳せば「1908年のオリジナル」ということですが。オリジナルは1908年のものだけど、それをモデルに再現したんだよ、なんてことはないですよね。

 シュパンダウ港で見たMS Heiterkeitは1909年製でしたが、もしオリジナルのままならそれよりも古いことになりますね。しかもMS Heiterkeitが動力を蒸気機関からディーゼルに転換したのに対して、こちらは蒸気機関で動いているというのだから驚きます。

 鉄道だと蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車は一目瞭然(なんて言うのは「鉄子」と「鉄男」だけ?)ですが、船の場合は、船体だけではどんな機関で動いているかわかりませんね。でもこの高い煙突は、伊達ではないようですよ。(つづく)

2010年4月21日水曜日

MS Katharina von Bora(1)







 出航するMS Frederic Chopinの後を追って、またMS Frederic Chopinが!、と思ったら姉妹船であり僚船であるMS Katharina von Boraでした。この二隻、全く同じ格好をしており、私には区別がつきません。よく見れば、窓の位置や数、装備の位置が微妙に違うのかもしれませんが、まだ発見できません。瓜二つの姉妹です。
 この二隻は、今回ポツダムを出航して、ハーフェフ川からエルベ川に出ると、そこを遡り、マイセンドレスデンに泊り、「ザクセンのスイス」と呼ばれる渓谷を経てプラハへと向かいます。土曜日にポツダムを出航するとプラハ到着は次の金曜日。乗客はそこで一泊して土曜日に下船しますが、その午後には次のクルーズ客を迎えます。そして翌日の日曜日にプラハを発ち土曜日にポツダムへと戻って来るという日程で運航されています。つまり2週間で再びポツダムへと戻って来るということになりますね。
 この二隻、夏には航路を変えてポツダムとバルト海沿岸のシュトラールズントの間を往復しますが、やはり二隻一緒のタンデム運航?です。一隻ずつのキャパシティーが小さいので、二隻一緒の運航という形をとっているのでしょうか。
 ポツダム港から北へ進路を取りましたので、出航するとポツダム会談の会場として有名なツェツィーリエンホーフの前を通過してSacrow-Paretzer運河を通ってブランデンブルク方面へ向かうようです。コースがわかりましたので、いずれ他の場所での撮影に挑戦したいものです。

2010年4月19日月曜日

MS Frederic Chopin(2)


MS Frederic Chopinの出航準備。操舵室が低い位置に下ろされています。



MS Frederic Chopinがポツダム港を出航していきました。向かう先にある橋がかなり低い。

 ポツダム港訪問の記事で書きましたが、この日(4月17日)は港では催し物があり、遊覧船も次々に出たり入ったりするのですが、お目当てのMS Frederic Chopinの姿が見えません。ポツダム港は、他にもあるのかなと駅と港の間のいろいろなところを探しますが分かりませんでした。16時頃、遊覧船乗り場に戻ってきましたがやはりMS Frederic Chopinの姿なし。

 シュパンダウ港に続いて今回もお目当ての船に出会えないのかとあきらめかけたそのとき、まだ探していないところがあるのに気がつきました。それは遊覧船乗り場の岸壁をさらに南に進み、鉄道線路の橋の下をくぐった先!

 行ってみると、やはりここにいました。エレガントな白い船体が岸壁に着けられています。

 ようやく見つけたMS F Chopinを撮影していると乗客が次々に到着し、出航の準備が始まりました。タラップを収納し、操舵室を最も低い位置に下ろし(橋が低いのでそれをくぐれるように操舵室が上下に動くようになっています。)、とも綱を解くと17時ぴったりに出航していきました。そしてその後を。(つづく)

2010年4月18日日曜日

MS Frederic Chopin(1)


 この日のポツダム港訪問は、クルーズ船MS Frederic Chopin(写真)がお目当てです。企画、運営はドイツのnicko tours(在シュトゥットガルト)です。この会社から送って頂いた2010年のクルーズカタログにこの船のデータが掲載されています。

 全長:83 m、全幅:9.5 m、トン数?。キャパシティーは、キャビン数42で乗客80名です。海のクルーズ船と比べればもちろんですが、ライン川やドナウ川のクルーズ船と比べても小ぶりです。海の船は、最近大型化がとことん進んでいるようで、今では海に浮かぶリゾートホテルを超えて海に浮かぶ総合レジャー施設、あるいは「都市」のようなものまでありますね。QM 2は、大きすぎて、横浜の内港には入れないとか。ハンブルク港はエルベ川の河口に位置しますが、QM 2は入って来られます。横浜は、東京湾とはいっても海ですから、内港もそうとう広いのかと思っていたのですが、結構制約がきついのですね。ベイブリッジって案外低いのでしょうか。いや、それにもましてQM 2が大きいということなんでしょうね。

 さて川の場合、どんな大河と言ってもやはり川幅や港の水深の影響からそれほど大きなものは作れないでしょうし、MS F Chopinの場合は、航行するエルベ川、ハーフェル川によって大きさがかなり制約されているようです。

 上記のカタログから、この日はこの船がポツダムから17時に出航と言う情報を得ていたのですが、実はポツダムの港に来てもなかなかその姿を見つけることができませんでした。(つづく)

ポツダム港(1)


 4月17日(土)、ベルリンの隣町で、ブランデンブルク州の州都ポツダムに行ってきました。天気は晴れ。気温はそれほど高くありませんでしたが、明るくぽかぽかの一日でした。先週の雨の降り出すシュパンダウ港とは正反対の船舶ウォッチング日和(?)でした。

 ハーフェル川の畔に位置するポツダム港は、ポツダム中央駅を出てハーフェル川にかかる橋を渡るとすぐそこ。岸壁は、東ドイツ時代からある高層ホテルを背景にして橋のたもとから鉄道の線路をくぐってさらに続いています。

 訪れたこの日、ちょうどウォーターフェスティバルが行われていて、屋台が出たり、港の周りはかなりの人出でした。港に面した建物には、Potsdamer Weiße Flotte(直訳すれば「ポツダム白船団」、つまり遊覧船船団ですね。この地に限らず、観光船団のことをドイツではよくWeiße Flotte(白船団)と呼びます)のチケット売り場があり、清潔なトイレもあります。急に雨が降ってきたり寒くなったりというときには、ホテルのロビーや飲食店も逃げ込むことができますので、船を待つ人、船を見る人、港を散歩する人にもやさしい環境です。

 陽気もさることながら、この環境は先週のシュパンダウ港とは対照的です。港ランキングでも作って表彰したいところです。星を付けるなら4つ星というところでしょうか。

 ポツダム港についてはもっと書きたいところですが、沢山の船を見てきましたので、まずはそれを紹介していきます。


2010年4月17日土曜日

MS Heiterkeit(4)

 特別運航の計画は、このページに掲載されていますが、主に月曜日、そして祝祭日など特別な日に行われています。私の興味のあるものを拾ってみます。

 今年の5月9日に行われるブランデンブルクまでの運航は、往復11時間にものぼるものですが朝食付で20ユーロ。このコースは、年に何度か運航されるようですが、ハーフェル航行もポツダム以西には行ったことがありませんので興味があります。ドイツのホテルに泊まると朝食が充実しているのにびっくりすることがありますが、船上での朝食はどうなのでしょうね。

 あとは、8月23日のテルトー運河(Teltowkanal)航行も面白そうです。ここにも何箇所か水門があったはずです。ただ運河ファン向けのコースでしょうね。ベルリン市の南のはずれを通るので景色はあまり良くないかもしれません。

 それと大晦日の運航はブランデンブルク門の近くまで行くようです。人ごみと寒さは苦手だが、カウントダウンや花火など市中心部の年越しの様子を味わってみたい方にはお薦めです。上陸できるのかどうかは不明ですが、ビュッフェ式の食事、飲み物、DJ込みで6時間、80ユーロ。

 データは2010年4月半ばのものですが、参加しようという方は、ご自身で確認をお願いします。

2010年4月16日金曜日

MS Heiterkeit(3)

 MS Heiterkeitには、運航会社によって開設されたサイトがあります。MS Heiterkeitの運航は、そのサイトの運航計画(Fahrplan)に載っています。

 それによると定期航路と特別運航のコースがあるのが分かります。まず定期航路ですが、ヴァンゼー、プファウエンインゼル(孔雀島)、クラドーを経由する七湖巡り(月、4時間、12ユーロ)、水門を通過し帝国議会議事堂(現ドイツ連邦議会議事堂)などベルリンの政治地区を眺めながらフリードリヒシュトラーセ(通り)まで行って帰ってくるシティーツアー(火、4時間、12ユーロ)、ポツダムの先のヴェルダーまで行って帰ってくるハーフェルゼー遊覧コース(木、8時間、12ユーロ)などがあります。

 七湖巡りはヴァンゼーの船着き場発の別の船で行ったことがあります。湖と言っても運河で繋がった小さなもので、言われなければ湖と気がつかないものもあります。ベルリンの中心部、政治地区を巡るものは、水門も通過するとのことですから、運河ファン?にはぴったりですね。水門というのは、パナマ運河などでおなじみの閘門を備えて、水路の高低差を克服するものです。

 どれも結構な時間がかかりますが、途中で何箇所かに止まるので、そこでも下船しても良いようです。ただし料金は変わらないそうですよ。下船前途無効ということですね。

 情報は2010年4月半ばのものですが、変更の可能性もありますので、もし参加しようという方がいましたら主催者にご確認下さい。

 次回は特別運航コースを見てみましょう。(つづく)

2010年4月15日木曜日

MS Heiterkeit(2)

 説明書きにはMS Heiterkeitの歴史がかかれています。それによると、この船は1909年!Neustrelitz(ノイシュトレーリッツ)の造船所で進水し、そのときの名前はKarl Wilhelm。当時は蒸気船でエルベ川とオーデル川の間を運航する曵船として利用されていたそうです。

 第二次大戦後には、物資の買い出し客を乗せてWerder(ヴェルダー)へと運航するようになり、50年代には客船に改造され、動力をディーゼルエンジンに転換しました。そして名前を現在のMS Heiterkeitに変えてシュパンダウからヴァンゼー(湖)方面へ運航されるようになりました。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが併合されると、さらにポツダムやヴェルダー(いずれももと旧東ドイツ地域)へ、また2006年に現在の所有者のものとなるとベルリン市中心部やクラドー、ブランデンブルクへと運航領域を拡大していったということです。

 この船が誕生した100年前は、ディーゼルエンジンの船ではなく、蒸気機関で動く蒸気船だったのですね。たしかに! 写真を見ると、煙突がないのが物足りない感じがします。そして買い出し列車ならぬ、買い出し船として活躍し、ベルリンの壁の崩壊を見届けて、さらに運航を続けている。まさにドイツの20世紀の結晶のような船です。

 次は、この船の現在の航路を紹介します。(つづく)

2010年4月14日水曜日

MS Heiterkeit(1)


 4月10日のシュパンダウ港訪問は、お目当てのKönigstein号には出会えませんでしたが、3隻の客船を発見しました。その中でMS Heiterkeit(MS ハイターカイト)は気になる存在です。
 遊覧船乗り場に停泊しているこの船は、繋留のされている位置が悪くて写真に納まりませんでしてが(写真は後日にご期待)、その船容にはただならぬものを感じます。古い船のようですが、何とも言えない風格を漂わせています。いったいどれくらいふるいものでしょうか。
 訪れたこの日は運航はなかったようですが、繋留されているのは専用の場所なのか、その歴史を説明するプレートが掲げられていました。それによると、なんとこの船1909年の進水だそうです。
 次回はこの説明書を頼りにこの船の履歴をレポートします(つづく)。

2010年4月13日火曜日

ベルリン・シュパンダウ港(3)

 鉄道橋、道路橋をくぐるとたくさんの船舶が係留されているのが見えてきました。ほとんどが貨物船、油槽船です。この日は週末だからか、あるいは復活祭の休暇がまだ続いているのか、私の見たところ船の出入りはあまりありません。船には、ポーランドの船名、地名らしきものが読み取れます。ここシュプレー川/ハーフェル川は運河、オーデル川を経由してポーランドの河川にも繋がっていますので、そこと行き来する船も多いようです。
 この岸壁、地図で見ますとSchiffahrtsuferという名前が確認されます。日本語に直訳すると「船舶航行河岸」となりますので名前から古くからのシュパンダウ港の中核であることが分かります。
 この岸を行けるところまで行ってみましたが、やはりKönigstein号の白い船体は見当たりません。その代わりシックな色の客船が係留されていました。船名はSans Souci(サン・スーシ)フリードリヒ大王がポツダムに営んだ無憂宮(サン・スーシ宮殿)と同じ名前の船です。
 Königstein号は、私の得た情報によれば、20時に出航ということでしたから、ここでねばっていれば、出会えたのかもしれませんが、雨も降って来ましましたのでSans Souciとの出会いを収穫としてあきらめることにしました。
 次回からはここで出会った船を調べてみます。

MS Sans Souci

2010年4月12日月曜日

ベルリン・シュパンダウ港(2)

 ベルリンの旧市街をシュプレー川に沿って南(下流)に歩いていくと道路橋があり、それをくぐると停泊する船の姿が見えてきました。それも客船のようです。近づくとそこは遊覧船の発着場になっているのが分かりました。地図で確認するとここはLindenstegという、川沿いのプロムナードでした。
 ここで見つけたのはBEROLINAMS Heiterkeitの遊覧船二隻。その他、ベルリン地域では大手の遊覧船オペレーターStern & Kreisの発着場もありましたがこの日は停泊している船はありませんでした。ちなみにここからは、以前ちょっと紹介したKladowや、もっと遠くBrandenburgへの便が出ています。
 シュパンダウの「客船ターミナル」は発見でしたが、ここにも期待したKönigstein号の姿はありません。さらに歩いてみましょう。(つづく)



BEROLINA号

2010年4月10日土曜日

ベルリン・シュパンダウ港(1)

 4月10日(土)、ベルリンの北西部に位置するシュパンダウ(Spandau)に行って来ました。ここは、ベルリンには珍しく、中世の面影を残す街区ですが、ここにあるシュパンダウ港が、クルーズ船の発着地になっているようです。
 何度か訪れたことのあるシュパンダウですが、クルーズ船の発着するような岸壁があったかどうか記憶が定かでありません。訪問の理由は、今日20時頃までここに停泊しているはずのKönigstein(ケーニヒシュタイン)というクルーズ船の姿を見ることだったのですが、はたしてお目にかかれるでしょうか。
 シュパンダウ旧市街のLindenufer沿いの岸壁に行ってみましたが、それらしき船はおろか貨物船すら見当たりません。シュプレー川に沿って下流へと歩いてみます。気温摂氏12度、春にしては肌寒い陽気でしかもさっきからぽつぽつと雨が降り始めています。(つづく)