ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2014年4月27日日曜日

ベルリン - ハンブルクにIRE(インターレギオエキスプレス)運行

 この4月からベルリンとハンブルクの間に新しい直通列車が設定された。インターレギオエキスプレス! インターシティーエキスプレス(ICE)の間違いではないかって? いえいえ、間違いではなくIRE。インターレギオ(IR)は、今はICに統合されるか廃止されてしまった「準急」だが、IREは、その高速版!というわけではなく、ローカル急行(RE)(快速)にInterが付いたと言った方がわかりやすい。つまりローカル急行がローカルを越えた運転されている。

 以前、「阿房列車」を仕立ててドレスデンからホーフ、ニュルンベルクまで行ったことがあったが、あの亜幹線で運行されていたのがIRE。そしてこの4月からベルリンとハンブルクの間にもこれが設定された。ベルリンとハンブルクといえば戦前からの高速路線として有名で、在来線ながらそこを走るICEの平均速度はかなり速い。しかし今回のIREは、その線路ではなく、シュパンダウを最後にベルリンを出ると、シュテンダール、ザウツヴェーデル、リューネブルクを経由してハンブルクへと至る経路をとる。時間もICEの約2倍、3時間半を要する。ただし料金は格安で片道19.90ユーロ、往復で29.90ユーロ也。

 値段はともかくとしてICEがあるのになんでまた?と訝る向きもあるだろうが、競合する私鉄、そしてなによりも自由化された長距離バスとの競争を見ると、なるほどね、という新列車設定。

 まだ利用したことはないが、報道写真によると旧IRの車両を赤いRegioカラーにしての運行のようで内装も当時のままらしい。

 この新列車、DBにとって顧客引き止めの救世主となるかどうか。

 詳しい情報はこちら(ドイツ語)

2014年4月13日日曜日

ベルリン・シャルロッテンブルクの地霊

 前回の投稿で「ベルリンのモダン」を求めてヴェディング地区に行ったことを報告した。メインは世界遺産にもなっているタウト設計事務所によるシラーパーク脇の集合住宅だが、アフリカーニッシェ・シュトラーセにあるミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅も見た。あの地域には、そういった戦前の「新建築」が多く、それらが「史跡」、ドイツ語で言うDenkmal(デンクマール)に指定されているのがわかった。
 それらより古い建物は他にもあるが、ヴェディング地域は1930年前後に建てられた新建築が界隈の雰囲気を決定している。そしてそれらは、世界遺産に登録される前から「史跡」に指定され保護されている。東京に置き換えれば、同潤会アパートは皆史跡に指定され、取り壊しはできないようになっているようなものか。こういうところは、建造物に対するドイツ人と日本人の考え方の違いなのかもしれない。

 そのような「史跡」は、ベルリン中に数多く残っている。ヴェディングまで足を伸ばさずとも、私の住むシャルロッテンブルク地区にも至る所に史跡に指定された建造物がある。
 近所にゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセという通りがあるが、この通りを例に、どれだけ多くの建物が「史跡」の指定を受けているかを調べ、それらを一つ一つ訪ねてみた。

 以下の写真が、ベルリンの史跡リストに登録されている、ゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセ(通り)の史跡建造物である。

88番地 ハインリッヒ・ツィレのアトリエがあった建物
89番地 88番地の建物と同じ設計者








113番地

114番地

115番地 かつて路上生活者シェルターだった建物

1-4番地 旧シャルロッテンブルク貨物駅の門

17/18番地 石膏型博物館

 史跡に登録されているのは、1-4、17/18、23a、88、89、96、98、99、100、101、113、114、115番地の13件。この界隈は19世紀末から20世紀初頭に開発された地区だが、一つの通りにこれだけ史跡が残っている、史跡に登録され保護された建物があるというのは驚きだ。そしてさらに驚くのは、この通りが例外的に史跡の多い通りではないということ。並行する隣りの通りにも、垂直に交わる通りにも同じくらいの割合で史跡に指定された建物が残っている。そういう建物には、この地域の雰囲気を決定する地霊(ゲニウス・ロキ)が宿っているようだ。史跡に指定されていない建物が後から建てられたり、改修され模様替えをするときも周囲の雰囲気と合わせてデザインされることが多いので自然と地域の雰囲気というのができあがり、それが継続する。こうして地霊は、継続的に養われていく。

 街歩きはそんな地霊との対話か。また各地の地霊を訪ねてみたい。

2014年4月3日木曜日

ベルリンのモダンを求めて(ヴェディング)

 今年のベルリン映画祭に出品された『小さいおうち』。たき役の黒木華が銀熊賞を受賞した。映画、原作で描かれている話の背景は「昭和モダン」の世界。そして「小さいおうち」。大正から昭和にかけ、外観に西洋建築風の意匠を取り入れ、内装を和洋折衷とした邸宅が建てられた。昭和のモダン住宅。集合住宅では同潤会アパートがちょうどその頃。
 そんな1920年代は、ドイツではワイマール時代に相当し、第一次世界大戦で負けたとは言え(負けたからこそ?)、モダン文化が花開いた時代。ベルリンでは「賃貸兵舎(Mietskaserne)」と呼ばれた低質集合住宅の問題を解消すべく、市街地の周辺部に近代的な団地が建設されていく時代。ベルリンのモダン団地として世界遺産に登録されている集合住宅群は、そんな時代の所産。

 暖かくなった3月末の日曜日、そんな団地の一つがあるヴェディング地区へと散歩に出かけた。ベルリン・ツォー駅(Zoologischer Garten)を通る地下鉄9号線でアムルマーシュトラーセ駅(U9 Amrumer Str.)まで行きそこからは歩き。
 最初のお目当ては、世界遺産には登録されていないが、集合住宅の外観で一つの画期となったミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅。場所は、Afrikanische Strasse 15-41。








 装飾を一切排したそのファサードは、まさにNeue Sachlichkeit! 当時の人の目にはどう映ったのだろうか。「モダン」として映ったのだろうか。それとも味気なさを感じつつも渋々入居したのだろうか。
 この建物も、世界遺産に匹敵すると思われるのだが、そのリストには登録はされていない。市の史跡にはなっているのみ。

 Afrikanische Strasse(アフリカ通り)を後に北東へ向かいSchiller Park(シラー公園)を過ぎると世界遺産に登録されているブルーノ・タウト設計の団地にたどり着く。タウト設計の団地と言えばブリッツの馬蹄形の建物を中心とする団地が有名だが、今日訪れたのはそれとは別。赤煉瓦を使ってオランダ風に仕上げた「オランダ派」の建築がこれ。
 一部は戦争で被災したが、弟のマックス・タウトの手で復元されている。最初の写真が、マックスの手によって復元されたものらしい。











 中庭を囲んでロの字形に建てられたそれまでの典型的都市集合住宅と違って開放的に建てられた「新建築」。この団地はシラー公園に面しており、散歩や気晴らしの場所にも事欠かない。
 古い建築にもそれなりのよさがあるが、光と空気を求めるとこういう建て方が合理的になるのだろう。

 1時間あまりの散歩を終え、BristolstrasseとBarfsstrasseの角にあるバス停から120系統のバスで中央駅へと向かい家路へと就いた。

 ベルリンのモダン、また探索してみたい。

 歩いた経路は、下の地図の通り。