ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年12月22日土曜日

乗ってみたいヨーロッパの列車

 このページには、自分で見つけたヨーロッパの魅力的な列車、乗ってみたいものについて書く。自分のメモとして残しておきたい。


チェコとスロヴァキアを貫く夜行急行列車 Excelsior

 チェコの西の端Chebからスロヴァキアの東の端Kosiceまでを15時間以上かけて走り抜く。一応国際列車であるが、チェコスロヴァキアと一国だったこともあるためか、準国内列車の様相を呈している。編成は、寝台車、簡易寝台車、1・2等座席車と、食堂車こそ連結されていないが、昔ながらのバラエティーに富んだ構成。2等座席車は、中東欧の国内(一部国際)列車標準の8人のコンパートメントらしい。中東欧の国はEUに加盟したところも多いが、こういうところに共産主義時代の遺制が残っていて懐かしい。私も1990年にブダペストからベオグラードまでの夜行列車で同様の2等座席車を体験している。
 また深夜のプラハで1時間以上停車したり、途中で分割、併結もするようでミステリアス。寝台車は伝統的なT3のようだが、同室の人を煩わせないようにできればシングルユースしたいもの。しかしチェコ国鉄のサイトでは、なぜかチケットを扱っていない。扱うのは2等扱いの寝台・簡易寝台と座席のみ。寝台車は必ず3人部屋になってしまう(2012年現在)。
 この列車についての情報求む!
(2012年12月11日)


プラハとレーゲンスブルク、ミュンヘンを結ぶ国際快速列車

2012年夏のタイムテーブルには、チェコの首都プラハを朝の9時7分に発ち、レーゲンスブルクを経てバイエルン州の首邑ミュンヘンに15時3分に到着する国際列車が設定されている。この列車、6時間ほど走るかなり長距離の列車であるにもかかわらず、国際急行であるECや、ときに国境を跨いでも走っている国内急行ICといった優等列車の格付けがされていないところが面白い。チェコ国内ではExで走っているので割と優等列車の待遇を受けているのか。ドイツ国内に入るとALEXという私鉄が運行している。部類としてはREと同等のローカル急行、つまり快速列車。しかしさらに面白いことに、この優等列車になれなかった国際快速列車には食堂車が連結されている(トーマスクックより)。
 チェコ国鉄のサイトで検索してみると、この列車には、なんと立派に愛称まである。
Ex 352 Franz Kafka(フランツ・カフカ)がその名前。編成は6両で、開放室と仕切室の二等車、車椅子利用者や子供連れ家族用のスペースのある二等車、それに開放室の一等車の構成。その一等車にビストロかバーコーナーがあるらしく、トーマスクックはそれを食堂車と表現しているようだ。

 この異例ずくめの国際列車、いつか乗ってみたい。ベルリンから行くとプラハ出発が朝早いのがネック。折り返す列車にミュンヘンやレーゲンスブルクから乗ってプラハへ向かうとなると出発時刻が遅くチェコの風景は暗くなってしまってちっとも楽しめないし、プラハに着いてからではベルリンに向かう列車はもうない。となるとプラハで前泊して朝の列車に乗るか、チェコの風景を諦めるならプラハで一泊してベルリンに戻ることになる。
(2012年12月18日更新)


ベルリンとブダペストを結ぶユーロナイトEN 476/7 Metropole



私が乗りたい列車というとどうしても中東欧の列車になってしまう。理由はいくつかある。
 まず私が住むベルリンという街の位置。ドイツの首都といってもその中心からあまりにも東にずれている。となるとそこは鉄道路線網の中ではベルリンはドイツのと言うよりは中東欧の要衝になる。となると中東欧の鉄道が身近だ。
 次に、昨今の鉄道の高速化、合理化の中で西欧世界の列車は固定編成の新幹線列車が主流になってきたが、私はこの種の列車にあまり魅力を感じない。となると機関車が牽引する昔ながらの客車列車で離合集散を繰り返して目的地に向かう列車が看板列車として残っているのは中東欧である。
 最後に初めて海外旅行を敢行した1990年の中東欧旅行の思い出がある。あのときはヨーロッパにはまだ格安航空会社は出現していなかったので、移動は鉄道だったが、切符を買うところから始まって座席の確保、車室での他の旅行者とのコミュニケーションなど印象深く、その追体験を求めるところがある。
 この三つくらいが中東欧の列車を好む理由であるが、このユーロナイト列車はその理由のすべてに合致している。この列車はベルリンを夕刻の18時台に出発して、ドレスデン、プラハ、ブラチスラバを経由して朝の8時半にブダペストに到着する。編成はベルリンからブダペストまで通しで走る車両、プラハで増結されてブダペストに至る車両、途中で別れてウィーンへと向かう車両、ポーランドのワルシャワから来て途中で併結されてブダペストまでご一緒する車両と盛りだくさん。その他にも途中で併結され、あるいは分割される車両があるかもしれない。まさに中欧のMetropoleを結び離散集合をしながら走る「客車」(電車、気動車と区別)の列車。
 そしてこの列車、私が1990年に乗った列車でもある。当時はまだ東ドイツが統一を目前に骸骨だけで残っていたような状態だったが、東ドイツの国鉄DRはまだ残っていた。ベルリンからドレスデンまで国内急行(今はICになっているようだ)で来て、そこでこの列車に乗り換え、ザクセンのスイスと呼ばれるエルベ川の砂岩渓谷地帯を抜けて夜のプラハに。そのまま乗り続けて朝ハンガリーに入るはずが、入国にはビザが必要だと言われて国境で列車から降ろされ、別の通過点からハンガリーに入った。
 そんなわけでまだベルリンからドレスデンとスロヴァキア/ハンガリー国境からブダペストまでは乗っていない。次回はベルリンからブダペストまで通しで乗ってみたい。


(2012年12月22日)




2012年12月12日水曜日

ICxはLCR?

 今年、ドイツ鉄道は老朽化が進むIC、EC用客車の代替となる次期IC用車両を発表した。それがICx。xとはNextなのか、あるいは未定という意味なのか知らないが、新世代IC車両は現在そのように呼ばれている。

 古い車両に代わるフレッシュで快適な車両と言えば聞こえはいいが、実質的にはどうも逆で、省エネ、低排出を実現することは技術的には確かなようだが、その恩恵が直接に届くのはドイツ鉄道にであって利用者ではない。利用者には、一等で930mm、二等で856mmのピッチという「驚異的」合理的な空間提供が実現する(数値はWikiより)。
 一等で930mm!?、この数値は確か日本の新幹線の普通車よりも狭いのではないか。もちろん横幅を考慮しない場合だが。二等の数値も、飛行機のエコノミークラスが標準で79cm〜84cm程度と聞いているから、ローコストエアーよりは広いものの、通常の飛行機の座席配置と肉薄してきたことになる。

 ドイツ人が価格に敏感なのは確かで、飛行機との競合上、競争力のある運賃を提示するにはこのようにして乗客を詰め込み大量に輸送しないと、採算的にも、環境に優しい交通手段としても存在意義を主張できないというのが、背景にあるのだろう。そこには、外国人旅行者が、たまにドイツに旅行に来てゆったりとした地上の旅を楽しみたいというニーズとは異なるものがある。しかし、大柄のドイツ人が、そんな狭いスペースにぎっしり。考えただけで旅行に出たいという気分が削がれる。

 この前、ミュンヘンからベルリンをICEで移動したときに、二等車の三等車化ということを感じたのだが、ICxの規格はそれをさらに定常・固定化するものになりそうだ。一等で930mm、これはかつての二等車と変わらないのではないか。これは一等も二等もLCR(ローコストレール)になったということを意味しないか。

 しかし一方でかつての一等車への需要も残るだろうから、特別優等車両(席)の登場も大いに考えられる。オーストリア連邦鉄道(ÖBB)のRJ(レールジェット)には、一等に追加料金を払うことで利用できるビジネスクラスが設定されているし、チェコも新しいEC用にそのコンセプトに近い列車を導入する計画を持っているようだ。革命は周辺からということだろうか。
 クラスの名称も変わるかもしれない。一/二/三等とするのが一番わかりやすいだろうが、「利用者の感情を慮って」飛行機のようにファースト、ビジネス、エコノミーのようになるかもしれない。諸氏はどうお考えだろうか。

2012年12月8日土曜日

ミュンヘン出張旅行(2) - 帰りは一等車、喧噪の三等車、ときどき食堂車

 到着したミュンヘンは、雪でかなり寒い。ミュンヘンはベルリンよりも南に位置するが、冬はベルリンよりも寒い。内陸は、大西洋の暖流の影響が弱い。

 ホテルは駅の近く。直ぐにチェックインして一休み。インターネットへの接続を確認して、明日のスケジュールをチェックしてから食事に出かけた。行った先は、ホテルのフロントで推薦されたAugustiner Bräuというビール醸造が経営するレストラン。このビール、これまで見かけたことはあったが試したことがなかった。これがとても美味。食事は、ミュンヘン風カツレツ。よくヴィーナーシュニッツェルというが、それと同じものと考えていいだろう。これもまた良し。明日は仕事だというのにヘーフェヴァイツェンに続き、ラガーも試してしまったが、幸い悪酔いはしなかった。店内は、バイエルン風の盛装した旦那衆もいて雰囲気があった。撮影しなかったのが残念。

 翌日、午後の仕事を終えて中央駅に向かう。16時過ぎのICEに乗り、ニュルンベルクで乗り換えてベルリンへ22時過ぎに到着するプラン。
 駅について切符に書かれたホームへと歩き出すと何やらアナウンスが聞こえる。どうも今日はErsatzzug(代替列車)だそうだ。ということはICE用の編成ではないということか。私には興味がわくが、一般の乗客には迷惑なのではないだろうか。出発するホームに着いてみると果たしてIC用の制御車が顔を出している。私には文句はない。


代替列車に使われたIC用一等車(開放室)


 しかも制御車こそ、自転車スペースのある二等車だが、それ以降はすべて開放室の一等車。二等車の切符で一等車に乗っていいということだと判断しゆったりとした2人掛けのシートに陣取るが、出発間際になると大勢が乗り込んできて少し座席が足りなくなる。これでは予約しておいても遅れて乗車すれば席にあぶれてしまったことだろう。しかしインゴールシュタットで何人か降り、私の乗った車両には立っている乗客はいなくなった。
 列車は、インゴールシュタットを出ると、5分ほど遅れてニュルンベルク到着。隣のホームには本来のICE編成が入線していた。本当はそこに私の乗るベルリン行きICEが止まっているはずなのだが、そのホームは変更されている。

 ベルリン・ゲズントブルンネン行きICEは、もう出発時間を過ぎていたのだが、連絡を待っての発車となり出発で遅れを出した。私は自分の席を探して座る。今回は、まだ座席ピッチをつめていない編成で往路で乗ったよりも少しスペースに余裕がある。今回もほぼ満席だが少しはゆっくりと休めるぞと安堵したのだが、出発後それは間違いだったとわかった。

 ニュルンベルを出発しバンベルクを通過した頃、仕事の疲れが出て少しうとうとしたのだが、その頃から周りで携帯電話が鳴り始める。そしてその話し声。収まったと思ったら、またどこかでベルが鳴り、そして通話。やれやれと思うと子供がぐずり始める。やっと収まったと思うと、連鎖反応で他でも負けじとばかりに泣き声が上がる。

 うとうとし始めると起こされるという繰り返し。我慢も限界だが、ここは静寂エリアではないので、携帯電話を使われても、子供に泣かれても文句は言えない。しかたなく食堂車に避難。今回の編成は、食堂車の車両に家族向けのコンパートメントが設置されており、ビストロスペースが狭く立ち席のみ。私はレストランのテーブル席に落ち着き夕食をとることにした。

喧噪からの避難所となったICEの食堂車

Maultasche


 注文したのはMaultascheというドイツ風ラビオリといったようなもの。不味くはないが、もう少しボリュームがあると思っていたので満腹感が得られない。予約で静寂車両を選ばなかったのも失敗なら、この注文も失敗。

 食事を終えて席へ戻るとまた喧噪地獄。前に座っている若い男性が粗野なしゃべり方で盛んに話す。終わったと思うとまた電話が鳴り、終えたと思うとまた自分からかける。私はタバコが苦手なので、日本では禁煙車と決めているが、その席がなく諦めて喫煙車に席を取ったら隣にチェーンスモーカーの乗客が座ってしまったような居心地の悪さ、と例えたら雰囲気がわかってもらえるだろうか。

 ドイツでは、日本と違って車内で携帯電話を使ってもマナー違反とは言われない。ドイツの人口密度、車内での乗客の密集度がそうさせている、否「いた」のだろう。しかし列車も、日本の新幹線並に乗車率が高まり、しかも飛行機並に席が狭くなると、マナー云々とも言いたくなる。他の乗客はどうだったのだろうか。

 ライプツィヒに着くまでこの喧噪は続き、私はもう一度食堂車に避難し、デザートでもとケーキを注文したが、もう品切れとのこと。仕方なくコーヒーだけで我慢したのだが、今回の往復は本当につきがない。ミュンヘン-ニュルンベルク間でICの一等車を楽しめたのが唯一の救いか。

 もうICEには二等車は存在せず、あるのは二等車と言う名の三等車なのだと肝に銘じることにしよう。次回ICEを使うときには、必ず静寂エリアの席を予約するか、早めに予約して一等車を二等車並の割引価格で確保しよう。それしか快適に旅をする途はない。(完)

2012年12月7日金曜日

ミュンヘン出張旅行(1) - 二等車の三等車化、あるいはLC化?

 12月に入ってすぐ、仕事でミュンヘンに出かけた。日曜日にベルリンを出てミュンヘンに泊まり、翌日の午後に仕事を済ませてその日のうちにベルリンに戻るという旅程。
 月曜日の朝早くベルリンを発っても午後の仕事には間に合ったのだが、前泊したのは列車が遅れがないとも限らないので念のため。そして体力温存のため。

 前回の商用旅行は、ICEスプリンターでの日帰りヴィースバーデン出張だった。行きも帰りも遅れが出て、行きはスプリンター割増料金プラスICE料金の払い戻し、帰りはスプリンター料金の払い戻しをうけたが、旅自体はICEの二等コンパートメントで快適だった。比較的空いていたと言うこともあるが、眠りを妨げる騒がしい人が同室にいなかったので、朝早い出発でも寝不足を解消することができた。

 今回は仕事で疲弊することになりそうなので、コンパートメントに席を取り、できる限り体を休めようと思ったのだが、これが失敗だった。ICEでベルリン-ミュンヘンを移動すると最短はベルリンを出発してライプツィヒ、イェナ、ニュルンベルクを経由してミュンヘンに到着するコース。ライプツィヒから先、特にテューリンガー・シーファーゲビルゲ(山地)を越える路線は高速線ではないため振子列車のICE NTの編成になる。この編成でコンパートメントの席を予約しようとすると、運転席の後ろのラウンジ席になる。ここは運転席越しに前方を見られる展望席なのだが、私が今回期待したのは仕切られた空間で静かに移動できるということ。しかしそれもあいにくもう一杯だったようで、インターネットでの予約では希望が容れられず、機械が選択した任意の席になってしまった。急いでいたこともあってそれで良しとしまったのだが、その結果、ひどいことになってしまった。

乗車は今回もベルリン・ズュードクロイツ(南十字)駅から。中央駅よりも乗り換えが楽。


 まずはその込み具合。ライプツィヒを過ぎると車内はほぼ満席。しかも今回のった車両は、どうも本来の座席配置を変更してピッチを縮めたもののようで、その結果窓がない窓際の席があったり、狭い間隔の座席に体の大きなドイツ人をすし詰めにしたような状態。これはかなりきつい。

 そうなると影響がいろいろなところに出る。まず車内の照明。車内が薄暗く日本人には読書ができないほど。外は雪景色でなかなか風情があるのだが、光には乏しい。そして車内の照明は荷物棚の奥に光源を置いた間接照明なので、すし詰めの大人数が大きな荷物を棚に載せるともう光はほとんど届かなくなってしまう。照明の設計自体がこういう満席状態、皆が荷物を棚に置くという事態を想定したものではないのだろう。

車内はこんな感じ。手前は荷物棚に大きな荷物がぎっしり詰まり、照明が車内に届いていない。


 こういう雰囲気はどこかで味わったことがある。そう! 飛行機のエコノミークラス。座席の間隔は、列車の方が若干広いものの、ほとんど余裕のない状態は飛行機のシートを彷彿とさせる。そしてこの満席状態。飛行機は70%以上席が埋まらないと採算がとれないところが多いらしいが、今回の乗車率は8割以上。隣の席に知らない人がずっと座っているのは、かなり窮屈。

 こんなにも混雑している理由は明白。DBが格安切符を販売するようになったからだろう。早くから安い切符を探せば、例えば29ユーロなんていう格安価格でベルリンからミュンヘンまで行ける。これはLCA、ローコストエアーの価格戦略を彷彿とさせる。

 それが座席間隔が狭くなった理由でもあるのだろう。これは、もうかつての二等車ではない。三等車と呼びたい。(つづく



上の三枚の写真は、テューリンガー・シーファーゲビルゲ(山地)
カーブと勾配が連続する難所だが景色は楽しめる。
現在、ここを回避する高速線が建設されている。


2012年11月28日水曜日

夜行列車の軽食と飲み物

 日本では例外的な存在になってしまった食堂車。ヨーロッパではまだまだ健在。と言っても一頃に比べればその衰退は否定しようがない。
 以前だったら昼行の優等列車の他に長距離を走る夜行列車にも食堂車はよく連結されていた。しかし現在は、寝台車を連結した国内・国際の夜行列車から食堂車の姿が消えつつある。残念ではあるがこれが時代の趨勢か。

 夜行列車ではカートサービス、つまり車内販売もないことが多いから、食べ物・飲み物は基本的には乗車前に購入して持ち込むということになるが、車内で入手することも全く不可能というわけではない。
 例えば、ドイツ鉄道のオンライン検索で列車を検索すると、

Imbiss und Getränke beim Schlaf-/Liegewagenbetreuer erhältlich

という説明をよく見かける。訳せば「軽食と飲み物は寝台車/軽寝台車給仕のところで購入可能」となる。
 つまり車内販売は各車両に回って来ないが、寝台車(もしくは軽寝台車)のサービススタッフのところまで行けば購入できるというわけだ。

 しかし一体どんなものが帰るのだろうか。前回の「阿房列車、統一号」のときにベルリンからドレスデンまで利用したD列車D 60457は、CNL/EN Phoenixという立派な夜行列車の尻尾であったが、乗車のときに「購入可能」な軽食/飲み物リストをもらってきたのでここに紹介したい。

 以下が、そのメニューをスキャニングしたもの。




  あまり画質がよくないが、だいたい読み取れるだろうか。

  •  飲み物は、暖かいものが紅茶、フィルターコーヒー、カプチーノ。ソフトドリンクが、ミネラルウォーター、コーラ、オレンジジュース、リンゴジュース炭酸割り、アイスティー。アルコール飲料が、ワインとビール(チェコビール、ダークビール)
  •  食べ物が、フランクフルトソーセージ&パン&マスタード/ケチャップ、日替わりスープ&パン。スナックがサンドイッチ、グミキャンディー、ナッツのウェハー、ピーナッツ、チップス、クロワッサン、スニッカーズ。
  •  朝食として、マフィン、エキスプレス・ブレックファスト、朝食ボックス。

といったラインナップになっている。ベルリン-パリをCNLで往復したときにも似たようなメニューがあったのを覚えている。この列車の寝台車はCD(チェコ鉄道)のものだったのでチェコビールがあるのだろう。
 乗車した日は朝が早く、座席車ではあったがドレスデンまでぐっすりと眠り込んでしまったので何も購入しなかったが、6.40ユーロの朝食ボックスにはどんなものが入っていたのか。機会があれば一度試してみたいものだ。寝台車で供される朝食と同じもの? とすると3.60ユーロのエキスプレス・ブレックファストとは簡易寝台車のものと同じだろうか(ENでは簡易寝台でも簡単な朝食が着くことがある)。

2012年11月26日月曜日

阿房列車「統一号」(6)- ニュルンベルクからとんぼ返り

 午後1時過ぎ、最終目的地のニュルンベルク中央駅に到着。帰りの列車までに2時間近くという中途半端な時間がある。市内観光は、阿房列車の趣旨ではないから期待していないのだが、あてもなく街をぶらりと見るだけという贅沢な散歩に出かけることにした。

 帝国都市だったニュルンベルクには、今でも城壁のほとんどが残っており、中央駅を出ると直ぐに市門が迎えてくれる。土曜日ということもあり街の通りには買い物客が行き来していて活気がある。しかしこれだけの大都市で中世の佇まいを良く残している街はドイツでも少ないだろう。

 この地方で産出されるのか、街の建物は褐色の石材でできていて落ち着きがある。この賑わいと落ち着きがほど良く混ぜっているのがこの街の特徴かもしれない。旧市街の中心部まで出て帰るつもりだったが街を縦断しカイザーブルク(城)まで来てしまった。観光の時間を確保しておかなかったのは悔やまれるがいい街を見つけたということで満足することにした。暖かくなったらゆっくりと訪れたいが、それはそのときになってみないとわからない。片道くらいは阿房列車を仕立てるかもしれない。
 


Museumsbrückeにて

Hauptmarkt

Kaiserburg



 街の雰囲気に見せられて散歩を存分に楽しんでしまったので、休憩の時間も昼食の時間もなくなってしまった。中央駅へ戻る途中にニュルンベルガーソーセージのスタンドを見つけたので、小さなニュルンベルガーソーセージ三本をブレートヒェンに挟んで空腹を慰めることにした。
 もともとこの種のソーセージは好きなのだが、本場で食べる味はまた格別。ゆっくりとビールと一緒に楽しみたいところだが、それも次回のお楽しみとしてとっておこう。


ニュルンベルガーソーセージ



中央駅の駅舎

 中央駅に戻りホームへ出ると間もなくベルリンまでの列車が入線。IC 1604。普段はこのダイヤでICEが走っているようだが、この日は臨時でICに置き換わっている。阿房なのでIC大歓迎。

ICEではなくICが入線。
この列車に乗り込めばあとはベルリンまで寝ていても着くが今回は軽食堂車(ビストロカー)を体験するというのが残された楽しみ。飲み物だけでなく何か食事もとりたい。
 車内は、週末ということもありそこそこ混んでいたのだが、私の予約したコンパートメントはニュルンベルクでは私の他だれもおらず、しばらく独占状態。途中バンベルクからイェナまで男性と一緒だったが、その後もライプツィヒまではまた独り占め。ライプツィヒからは、学生5人が乗り込んでベルリンまでやや窮屈だったが、全体としてはかなり贅沢に空間を使わせてもらった。

ニュルンベルクからベルリンまで使ったコンパートメント。
イェナで同室だった男性が降りた後、再び独りになったので部屋の灯を消して夜汽車のように楽しんだ。外が暗くなると車内が明るければ窓は鏡になってしまって車窓の景色を楽しむことができないが、車内が暗ければ夜の景色を楽しめる。といっても建物や街路灯が見えるくらいなのだが、それでも銀河鉄道の夜が再現される。

 その間、空腹を感じてきたこともあり、食堂車に行くことにした。食堂車と言っても一両の半分だけ。ICの食堂車はほとんどこのタイプの軽食堂車(ビストロカー、ビュッフェ)になってしまった。

 この車両のビストロコーナー以外のスペースは大きなテーブルを備えた一等車。注文すれば、食事をここまで持ってきてくれるようだが、利用している人は誰もいなかった。

ビストロカーの一等席

同じく一等席

 私がここで注文したのは、セットメニューのビールとエンドウ豆のEintopf。Eintopfというんは、いわばごった煮。バイエルンまで来たことだしビールはヴァイツェンとしたいところだったがセットメニューにはヴァイツェンでなくこちらしか選択肢がなかった。ラガーのBecksも嫌いではないので良しとしよう。


軽食堂車の様子。電源がとれるせいかパソコンを使っている人が目立った。
  ニュルンベルクからベルリンまでは5時間あまりの旅だが、朝早くからの活動、街の散歩、ビールの酔いが加わって時間の長さは感じられなかった。

 午後9時前に自宅に戻り、シャワーを浴び、陸酔いを楽しみながら就寝。阿房列車の楽しい一日が終わる。(完)
(2012年11月27日修正)


2012年11月17日土曜日

阿房列車「統一号」(5)- IREでニュルンベルクへ

 今回の阿房列車は、11時36分にホーフ駅を出発して最後の目的地であるニュルンベルクに向かった。乗ったのはIRE 3086列車。IREというのはInter-Regio Expressの略。以前DBの長距離列車体系にはIR、つまりInte-Regio(地域間連絡列車とでも訳そうか)という準急があったが、そのエキスプレスというわけではない。むしろRE(ローカル急行=快速)にI(インター)が付いたという方がわかりやすいだろう。長距離を走るREだと考えればいい。
 このザクセン・フランケン幹線鉄道には以前は長距離列車も走っており、ICEもあったのがそれがICに置き換わり、それもなくなって追加料金不要のIREに変わった。ホーフまで乗ってきたREもそうだったが、今回のIREも以前のICに使われていた振子車両BR612。ICに使われていたと言っても二両で1ユニットの編成を複数繋いでいるだけで、ユニットの両端には運転席があり貫通していない。レストランもビストロもない実質二両の編成。よくこれをICに使っていたものだ。当時は白に赤帯の長距離列車塗装だったのが唯一長距離列車の風格を表していたようだ。それとも座席くらいはICのものを装備していたのだろうか。もっとも走りはかなりスポーティーなのだが。

 ホーフを出た列車は、起伏の多い山村風景の中を走る。フィヒテルゲビルゲ山地とフランケンヴァルト山地の間を線路が通っている。






 ホーフまでの路線に比べると急なカーブの連続が減ったが、それでもダイナミックな走りでニュルンベルクに到着。

 ニュルンベルクに着くと向こうのホームにやはり振子車両が見える。BR612よりも前の車両だと思うが、611だろうか。台車を比べて観察していると、ドイツ人スポッターの姿もあり。ご婦人と一緒の中年男性。ご婦人は奥さんだろうか。男性は撮影に余念がなく、ご婦人は私と目が合い複雑な苦笑。ご同輩!





 612の台車は、ボディーを傾け、車軸の向きを変える機構がよくわかる。(つづく


2012年11月16日金曜日

阿房列車「統一号」(4)- ドイツの鉄道今昔物語

 SFX(ザクセン・フランケン・エクスプレス)に乗ってたどり着いたのはホーフ(Hof)。この列車、日本のFSX(次期支援戦闘機計画)と混同しそうな名前だが、走りもそれと混同しそうだった。

 それを「動」とすれば、下車したホーフの駅はまさに「静」。時間が止まったような佇まい。ホームから駅前広場に出て駅舎を撮影するも、駅前広場のスケールに比べて駅舎のそれが不釣合いに大きいため私のカメラでは全貌を納めることができない。
 ここはかつてザクセン鉄道とバイエルン鉄道の結節点だった場所。日本は明治維新後に鉄道建設が始まったが、ドイツは1871年のドイツ帝国成立以前から各支邦の主導による鉄道建設が始まっており、ここがザクセンとバイエルンの鉄道における接点だった。現在のホーフとは不釣合いに立派な駅舎はその名残と言えるだろう。


 ドイツの駅というのは、中近世の旧市街の外に作られることが多いため、駅前が閑散としているということは珍しくないのだが、ここでは駅舎が立派なだけに、なおさらその寂しさが印象的。土曜日の日中だから、ドイツ人は自動車でショッピングセンターに買い出しにでも行っているのか、駅から真っ直ぐに延びる通りにはほとんど人気がない。


 こういう街は日本の地方都市にも増えているだろうが、モータリゼーションが行き着く未来を見たような気がする。
 駅の周辺を歩いてもベーカリーが一つ営業しているだけで喫茶店一つ見つけられなかったので駅に戻った。駅自体がこの街の観光スポットになっており、正面入口の前には駅の縁起が掲示されている。


 説明によると、鉄道交通の繁栄と衰退を見守ったこの駅は1989年の鉄のカーテンのほころび、ベルリンの壁の崩壊とともに再び歴史の証人になったとのこと。その年、プラハの西ドイツ大使館に逃げ込んだ東ドイツからの亡命者を乗せた列車がこの駅に到着した。タクシースタンドのところにそのモニュメントがある。
 説明書きに添えられた写真(色付けモノクロ写真か?)は、鉄道交通華やかなりし1929年の一・二等待合室だそうだ。一・二等というのは現在のそれとは違って、今で言えばグランクラスと一等のこと。優等客のためのラウンジ。クロスのかかったテーブルがあるところを見ると飲食も供されたのかもしれない。日本にはこういう待合室はなくなってしまったが、ヨーロッパには今でも大きな駅には一等客用のラウンジが備えられている。

 そしてかつてのラウンジだった場所は、今のホーフの駅舎にも残っている。





 復元されたものかもしれないが、古典様式の柱頭を備えた円柱と天井の装飾や明かり取りの天窓などは往時を偲ばせる。今は、軽食コーナーとキオスクがある。

 駅舎で鉄道の歴史散歩を楽しんだ後にホームに出てみるとALEXの列車が止まっていた。この私鉄は、バイエルン州でよく見かけるが、その編成はかつての特急の車両や食堂車などを座席車として連結していることがあり一見の価値がある。車両の更新前に一度乗ってみたい列車。


 ここからはIRE(インターレギオエキスプレス)に乗り、ニュルンベルク中央駅を目指す。(つづく

2012年11月14日水曜日

阿房列車「統一号」(3)- 振子列車は峠のライダー

 20分遅れでドレスデン中央駅に到着。この駅に初めて来たのは確か1990年の夏。まだ辛うじて東ドイツも存続していた。当時は、ベルリンから国内急行でこの駅に着き、ブダペスト行きの国際急行列車に乗り換えたのだった。よく見たわけではないが、屋根を支える鉄骨は古びていて構内も暗かったように記憶しているが、今はすっかりきれいになっている。東西ドイツ統一後の復興事業もさることながら、大洪水で被災した後も改修されたはずだから真新しく見えるのは当然か。ライプツィヒ中央駅ほどのスケールはないが、頭端駅と通過駅を組み合わせた作りはユニーク。ファサードも州都の中央駅に恥じない構え。

ドレスデン中央駅のファサード

すっかり明るくなった中央の行き止まり部分


 この駅で次ぎに目指すホーフ行きのREに乗り継ぐ。REというのはRegional-Expressの略なので「ローカル急行」だが急行と言っても特別料金は不要。意訳すれば「快速列車」ということになる。通過する線路に挟まれた行き止まりの線路と櫛形ホームのある中央部12番線に目指す列車が入線してきた。車内販売は望めないので、コーヒーを買って乗り込む。この区間での楽しみは、ホーフを越えてニュルンベルクまで続く、Sachsen-Franken-Magistrale(ザクセン-フランケン幹線鉄道)とそこを走るザクセン-フランケン急行、つまりこのRE列車。

出発を待つRE 3782列車


 この区間、ドレスデンからホーフまでとホーフからニュルンベルクまでとは、前者がザクセンによって敷設された鉄道で、後者がバイエルンによって建設された鉄道であり、東西ドイツ分裂時代は、ホーフがバイエルン州の北端に位置しそれよりも北は東ドイツ、南は西ドイツだったのでもとから一本の路線であったわけではない。
 それを統一後、東西ドイツの連絡を密にするために、それまで日の目を見なかった二つの鉄路を幹線鉄道として整備することになり、大規模な改修が行われた。それまで最高70 km/hだった路線を最高160 km/hの高規格路線へと整備した。ただしその最高速度は通常の車両ではなく振子機構を採用した列車によってのみ達成される。未電化区間があったために気動車による振子ICE、ICE-TD(今はデンマークとドイツを結ぶ路線で活躍中。「海を渡る阿房列車(11)」を参照)が投入されたこともあったが、短い期間運用されただけで使用が中止された。その後、本来ローカル列車用に開発されたRE車両を利用したICが投入されたがそれも中止され、今は再びローカル線になってしまった。速達列車はREとして、またIRE(Inter-Regio-Express)として残っている。それがこれから乗る列車なのだが、どんな走りをするのかが楽しみ。

 ドレスデンを出発した列車は、直ぐに山岳路線に入り、やがて高原地帯へと進む。地形が単純で平坦なベルリン周辺と比べると、この辺りは変化に富んでいて面白い。10月には黄葉が楽しめるのではないかといった感じの風景が車窓を流れる。
 ここで昨日作ったお弁当を広げる。チーズとスモークトサーモンを挟んだだけのサンドイッチだが、風景がおかずになりなかなかいける。コーヒーは、ドレスデン駅の構内で求めたもの。


 私の陣取った席は、先頭車両のボックス席。二等なのだが、どうもこの部分は本来一等用のスペースのようだ。広さは二等と変わらないが、読書灯があったり、リクライニングはしないものの座布団を手前に引き出せるなど、二等とは少し差別化されているのがわかる。

 
 楽しみにしていた「走り」はどうかというと、これがかなり熱い! IREではなくREなので停車する駅はそれなりに多いのだが、カーブにさしかかってもスピードを落とさずに突っ込んでいくのは峠のライダーかスキーの大回転かといった感じで迫力満点。振子列車というとICE-Tがおなじみだが、カーブの多い在来線に投入されていると言っても、もともとが幹線なのだから、鉄道ファンでもない限り、よほど敏感でないと振子機能を使って走っていることには気がつかないだろう。
 それに対してこの路線の振子走行は、右に左にとカーブの連続で、右カーブにさしかかりボディーが右に傾いたかと思うと、連続してトトトと左に傾いて左カーブ。最高速度の160 km/hまで出ているのではないかという走り。すっかり夢中になってしまって、睡眠不足による眠気も吹き飛んでしまったほど。

ボディーを右に傾けて右カーブ
次は左カーブ

 その他、この区間には有名な煉瓦作りの橋梁(ゲルチュタールブリュッケ)があるのだが、速度を落とさずに走行するもので、あっという間の過ぎてしまってどこがそうだったのかよくわからないほど。改修以前は、橋の上はそろそろと用心深く走っていたようだ。





 ドレスデンを出発したのが定刻の7時54分。ホーフには10時30分に到着したが、私にとってはあっという間の2時間半だった。乗り物酔いではなく、すっかりそのスピードに酔ってしまった。
 これほどダイナミックな振子走行は、かつて経験したことがない。(つづく