ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2014年6月20日金曜日

ベルリン(ドイツ) - マルメー(スウェーデン)間に昼便復活(臨時?)!

 ドイツの首都ベルリン(Berlin)とスウェーデン南部の都市マルメー(Malmö)を結ぶ「ベルリン・ナイト・エキスプレス」のことは以前「海を渡る阿房列車」で紹介した。鉄道連絡船での旅客列車航送自体貴重な存在になっているが、さらに貴重なナイトフェリー。
 しかしベルリン - ザスニッツ - トレレボリ - マルメーには以前はEN(ユーロナイト:欧州国際夜行急行)だけでなくEC(欧州国際急行列車)も設定されていた。そんな昼便は、なくなって久しいが、今年(2014年)一時的に復活していた。

 ベルリン・ナイト・エキスプレスのHPで運行スケジュールを見ると、今年は6月8日にベルリンを9時30分に出発する便が掲載されている。

  ベルリン:9時30分
  ザスニッツ:13時
  トレレボリ:17時15分
  マルメー:18時15分

 列車番号はいつものEN300ではなくEN302となっているので臨時列車的な扱いなのだろうか。事前に知っていれば、無理をしてでも乗りたかったのだが、とき既に遅し。気がついたときにはもう運転終了。そして夏のスケジュールではこの日一回の運転。Googleの画像検索で調べてみたところ、どうも機関車+簡易寝台客車3両の編成で運行された模様。

 さらに面白いことに昼間の運転にも関わらずEN302(ユーロナイト)という扱い。ということは昼間でも寝台を使えたのだろうか。興味は尽きない。再度の運転を望む。

2014年5月21日水曜日

徒歩旅行 E11 ベルリン横断(2)(ポツダム広場 (U2 Potsdamer Platz) 〜トレプトワーパーク (S Treptower Park) )

 前回に続き、今回(5月4日午後)も欧州長距離遊歩道 E11 をたどりベルリンを東へ向かって横断する。

 出発地点は前回の続きでポツダム広場。ベルリンでもっとも高層化が進んだ界隈だが、せいぜいこんなもの。ベルリンはまだまだ平べったい街のままだ。

Potsdamer Platz

 ポツダム広場を後に E11 は、ラントヴェーアカナール(運河)を目指して南へと伸びる。


 道はアンハルター・バンホーフ(駅)の脇を過ぎる。この駅は戦前ベルリンの主要鉄道駅の一つだったが戦災にあって今は地下を都市近郊鉄道(Sバーン)が通るのみ。瓦礫の一部が保存されて残されているというのは多くの旅行案内に書かれている通り。

Anhalter Bahnhof


 今、運河へ向かって歩いているのが、シュトレーゼマンシュトラーセ(通り)。21番地にこんなしゃれた入口を見つけた。モザイクの柄とステンドグラスが凝っている。

Stresemannstr. 21

 さらに進み、地下鉄のハレシェストア駅近くに来るとビリー-ブラント-ハウス、つまりドイツ社会民主党のビルが見える。日本では影の薄い社会民主主義だが、ドイツでは連邦議会では野党に甘んじているものの、そのプレゼンスは健在。ベルリン州では現在も与党の座を占めている。

Willy-Brandt-Haus

 ハレシェストア駅で運河を渡る。ここからではよくわからないが、この地下鉄駅(この付近では高架鉄道の駅)は、危ういほどに運河上にはみ出している。そこまでしなくても土地は十分にあっただろうに・・。しかしここを建設した当時、設計者や施行主は、こういう建設に「未来的なもの」を感じてわざとこういう作りにしたのかもしれない。ブッパータールの空中鉄道(懸垂式モノレール)に乗ったことを思い出す。


U Station Hallesches Tor

 ここからは運河に沿って東へと向かう。運河沿いは絶好の散歩道、ジョギングコースになっている。今回は徒歩だが、遊覧船に乗って水上から運河沿いのプロムナードを眺めるのも楽しいかもしれない。


Landwehrkanal

Promenade des Kanalufers

 運河沿いを歩き、ワーテルロー・ブリュッケ(橋)(「ウォータールー」ではないだろう)を過ぎるとアルテス・ツォルハウスという建物の前を通る。現在はレストランになっているが(ミシュランガイドにも紹介されているそうだ)、「旧税関舎」という名前からして昔は入市税を徴収した税関だったのだろうか。


Altes Zollhauf

 そしてその先に運河が少し広くなったところへ出る。ここは Urbanhafen、これも「アーバン・・」ではなく「ウルバンハーフェン」と読むべきなのだろう。つまり市港。前の税関と合わせて考えれば、ここはかつての港でベルリンの周辺から川と運河を使って運ばれた貨物が陸揚げされていたところか。
 今は遊覧船が繋留されていて、レストラン船になっているものもある。もう少し暖かければこんな船の上でビールを呑むのもいいかもしれない。この運河沿い、ビアガーデンもある。夏が待ち遠しい。

Urbanhafen

Schiffe im Hafen

 ウルバンハーフェン(港)の東側の入口になっているのがアドミラルブリュッケ(橋)。雰囲気のある橋の素材は鋳鉄だろうか。 この辺り、どことなくパリの北運河を思わせる。

Admiralbrücke

 その先のプランウーファー(河岸)通り。この辺りはクロイツベルク地区。クロイツベルクというと庶民の街という印象があるが、この運河沿いの通りにはこんな立派なファサードの住宅が軒を連ねている。

Planufer

 この運河から北東へと曲がる。豪奢な住宅を紹介したが、やはりクロイツベルクには昔ながらの庶民の街でもある。下の写真は、ミートカゼルネと呼ばれた大規模集合住宅の名残だろうか。建物が裏へと幾重にも連なっている。住宅だけでなく町工場も入居していそうな雰囲気だ。

Mietskaserne?

 しばらく行くとゲールリッツァーバンホーフ公園に至る。バーンホーフ(鉄道駅)という名前からわかる通り、かつての駅の跡地に公園ができている。下の写真には、敢えて撮らなかったが、この公園、実はかなり怪しい雰囲気。歩いていると、アフリカ系と思われる男たちが盛んに声をかけてくる。マリファナ等の売買が行われているようだ。そういうニュースは何度か聞いたことがあったが、これほどまでとは思わなかった。以前もこの公園へは立ち寄ったことがあったが、たしかに当時からちょっと怪しい雰囲気はしていたが、家族連れも多くそれほどではなかった。今回は、これは「やばい」という感じがした。危険な目には遭わなかったが、ここを通るのは用心した方がよさそうだ。



Görlitzerpark

 公園を東の端から出るとそこには廃線跡とおぼしき橋梁があった。かつては駅に出入りする列車が盛んに通過していたことだろう。

Ehemalige Eisenbahnstrecke?

 街中のトレイルは、シュレジッシェ・シュトラーセ(通り)を進む。岸沿いに歩いて来た運河がシュプレー川と接続する地点が見える。

Schleuse zur Spree

 この辺りはベルリンっぽい雰囲気。

Café? am Ufer

 そして泣く子も黙る東西ベルリン通過点の監視塔。ここから前はかつての東ベルリンということになる。

Beobachtungsturm

 最後の写真は、プーシキンアレー(並木道)。立派な街路樹が連なり、この先のトレプトワーパーク(公園)へと至る。プーシキンといえば、ロシアに限らず世界的文学者であることはたしかだが、そんな名前が見られるのは東ベルリンに入った証拠。

Puschkinallee

 今日はポツダム広場を出発したのが15時30分。そして終点のトレプトワーパーク駅に到着したのが17時30分。ハイキングガイドによれば、この区間は10 kmあまり。

 今回もベルリンの街の中の緑をたどっての散策となったが、管理された自然とは言え、その豊かさには脱帽。その他にゲールリッツァーバンホーフ公園では、管理されていない人間の欲望も目の当たりにした。しばらくはその公園を舞台に管理する側と野性の戦いが繰り広げられることだろう。

 最初ポツダム広場でベルリンの壁の後を越え、最後に徒歩で東西ベルリンの境を通過したのだが、通りの名前を聞いただけで東に入ったと感じられる体験はベルリンならでは。マルクス、レーニン、スターリンと言った社会/共産主義のビッグネームはあらかた改名されてしまってかつての名前が復活したが、文人を中心にまだまだロシア人の名前がついた場所も多い。これもベルリンの個性と言えそうだ。




2014年5月4日日曜日

徒歩旅行 E11 ベルリン横断(1)

 春になり歩きに出たくなる陽気になった。すぐにでも66湖巡りを開始したいところだが、冬の間長い距離を歩いていなかったので、歩き始めたら直ぐには帰って来られないような郊外に出るのはちょっと不安。そこでE11トレイルに沿ってベルリンの街の中を歩いてみた。街の中とはいえ緑の豊かさには感動さえ覚える。ベルリンの街の美しさは、古い街並や近代建築よりもこの「緑」!

 ルートは前回のE11の終点になっていたZoo駅近くのLandwehr運河の水門から出発して、ベルリンのセントラルパークであるティアガルテンを横断。途中ジーゲスゾイレ(勝利の塔(柱))をかすめてブランデンブルク門へ、そこから南へ方向を変えてポツダム広場へと至る4.5 km。冬ごもりの後の足慣らしにはちょうど良い距離かもしない。

 写真とともに記憶の中でもう一度、歩いてみたい。

 まずは前回の終点となった水門近くのカフェ。夏はビアガーデンになり賑わうが、4月半ばはまだそれには寒い。ドイツ人は、日が照ればそれでも外で飲んでいる。


 運河に架かる橋を渡ってティアガルテン公園へ。「ティアガルテン」は、鴎外の『舞姫』では「獣苑」と訳されていたと記憶する。獣(けもの)の苑(その)とは、動物園ではなく狩り場のこと。君主ホーエンツォレルン家が狩り場として使ったのだろう。現在では都会の中にいて都会を忘れさせる緑がどこまでも広がり、市民が思い思いに時間を過ごしている。


 公園を通る道は、6月17日通りに並行しているが、途中ジーゲスゾイレをパスする。ジーゲスゾイレは「勝利の塔」と訳されるが、ゾイレは正確には「柱」。第二帝政、つまり1871年のドイツ帝国統一のきっかけとなった戦勝記念碑だが、ここに移築されたのは第三帝国の都市計画による。この日は西日を受けて勝利の女神が黄金に輝いていた。


 ジーゲスゾイレを中心としたロータリーに面してもうビアガルテンが店を出していた。日も照っているし歩いて体も暖かくなったところで一杯やりたいところ。


 ビアガルテンの誘惑を克服して再び公園の緑の中に入る。新緑の時期は、北国の都が輝く季節。カメラを向けたい風景が至る所で展開する。


 公園の中の遊歩道で、大通りへ視界が開けたところに見えてきたのはソビエト記念碑。ここは西ベルリンで、ソビエト管理区域の外にあるのだが分裂時代も存続した赤軍によるベルリン「解放」のモニュメント。ヒトラーの首相官邸の大理石が使われているそうだ。


 そしておなじみのブランデンブルク門の裏。ケネディーが東側を覗いたお立ち台はこの撮影地点辺りだったろうか。
 ここから進路を南へ変更し、ポツダム広場へと向かう。


 長い距離ではないが途中、ホロコースト記念碑がある。


 上から見ると比較的平坦だが、中の通路は起伏が大きく迷路のようだ。


 歩き出してから約2時間後、ポツダム広場の交通信号(レプリカ)の前へとたどり着く。天気は良かったのだが、この時間になると風が冷たい。4月半ば、ヨーロッパの空気は、まだ十分には暖まっていない。


 ここからは、地下鉄2号線で帰宅。思い立って直ぐに出かけられる街歩きだったが、新緑を堪能できた日曜日だった。

2014年4月27日日曜日

ベルリン - ハンブルクにIRE(インターレギオエキスプレス)運行

 この4月からベルリンとハンブルクの間に新しい直通列車が設定された。インターレギオエキスプレス! インターシティーエキスプレス(ICE)の間違いではないかって? いえいえ、間違いではなくIRE。インターレギオ(IR)は、今はICに統合されるか廃止されてしまった「準急」だが、IREは、その高速版!というわけではなく、ローカル急行(RE)(快速)にInterが付いたと言った方がわかりやすい。つまりローカル急行がローカルを越えた運転されている。

 以前、「阿房列車」を仕立ててドレスデンからホーフ、ニュルンベルクまで行ったことがあったが、あの亜幹線で運行されていたのがIRE。そしてこの4月からベルリンとハンブルクの間にもこれが設定された。ベルリンとハンブルクといえば戦前からの高速路線として有名で、在来線ながらそこを走るICEの平均速度はかなり速い。しかし今回のIREは、その線路ではなく、シュパンダウを最後にベルリンを出ると、シュテンダール、ザウツヴェーデル、リューネブルクを経由してハンブルクへと至る経路をとる。時間もICEの約2倍、3時間半を要する。ただし料金は格安で片道19.90ユーロ、往復で29.90ユーロ也。

 値段はともかくとしてICEがあるのになんでまた?と訝る向きもあるだろうが、競合する私鉄、そしてなによりも自由化された長距離バスとの競争を見ると、なるほどね、という新列車設定。

 まだ利用したことはないが、報道写真によると旧IRの車両を赤いRegioカラーにしての運行のようで内装も当時のままらしい。

 この新列車、DBにとって顧客引き止めの救世主となるかどうか。

 詳しい情報はこちら(ドイツ語)

2014年4月13日日曜日

ベルリン・シャルロッテンブルクの地霊

 前回の投稿で「ベルリンのモダン」を求めてヴェディング地区に行ったことを報告した。メインは世界遺産にもなっているタウト設計事務所によるシラーパーク脇の集合住宅だが、アフリカーニッシェ・シュトラーセにあるミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅も見た。あの地域には、そういった戦前の「新建築」が多く、それらが「史跡」、ドイツ語で言うDenkmal(デンクマール)に指定されているのがわかった。
 それらより古い建物は他にもあるが、ヴェディング地域は1930年前後に建てられた新建築が界隈の雰囲気を決定している。そしてそれらは、世界遺産に登録される前から「史跡」に指定され保護されている。東京に置き換えれば、同潤会アパートは皆史跡に指定され、取り壊しはできないようになっているようなものか。こういうところは、建造物に対するドイツ人と日本人の考え方の違いなのかもしれない。

 そのような「史跡」は、ベルリン中に数多く残っている。ヴェディングまで足を伸ばさずとも、私の住むシャルロッテンブルク地区にも至る所に史跡に指定された建造物がある。
 近所にゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセという通りがあるが、この通りを例に、どれだけ多くの建物が「史跡」の指定を受けているかを調べ、それらを一つ一つ訪ねてみた。

 以下の写真が、ベルリンの史跡リストに登録されている、ゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセ(通り)の史跡建造物である。

88番地 ハインリッヒ・ツィレのアトリエがあった建物
89番地 88番地の建物と同じ設計者








113番地

114番地

115番地 かつて路上生活者シェルターだった建物

1-4番地 旧シャルロッテンブルク貨物駅の門

17/18番地 石膏型博物館

 史跡に登録されているのは、1-4、17/18、23a、88、89、96、98、99、100、101、113、114、115番地の13件。この界隈は19世紀末から20世紀初頭に開発された地区だが、一つの通りにこれだけ史跡が残っている、史跡に登録され保護された建物があるというのは驚きだ。そしてさらに驚くのは、この通りが例外的に史跡の多い通りではないということ。並行する隣りの通りにも、垂直に交わる通りにも同じくらいの割合で史跡に指定された建物が残っている。そういう建物には、この地域の雰囲気を決定する地霊(ゲニウス・ロキ)が宿っているようだ。史跡に指定されていない建物が後から建てられたり、改修され模様替えをするときも周囲の雰囲気と合わせてデザインされることが多いので自然と地域の雰囲気というのができあがり、それが継続する。こうして地霊は、継続的に養われていく。

 街歩きはそんな地霊との対話か。また各地の地霊を訪ねてみたい。

2014年4月3日木曜日

ベルリンのモダンを求めて(ヴェディング)

 今年のベルリン映画祭に出品された『小さいおうち』。たき役の黒木華が銀熊賞を受賞した。映画、原作で描かれている話の背景は「昭和モダン」の世界。そして「小さいおうち」。大正から昭和にかけ、外観に西洋建築風の意匠を取り入れ、内装を和洋折衷とした邸宅が建てられた。昭和のモダン住宅。集合住宅では同潤会アパートがちょうどその頃。
 そんな1920年代は、ドイツではワイマール時代に相当し、第一次世界大戦で負けたとは言え(負けたからこそ?)、モダン文化が花開いた時代。ベルリンでは「賃貸兵舎(Mietskaserne)」と呼ばれた低質集合住宅の問題を解消すべく、市街地の周辺部に近代的な団地が建設されていく時代。ベルリンのモダン団地として世界遺産に登録されている集合住宅群は、そんな時代の所産。

 暖かくなった3月末の日曜日、そんな団地の一つがあるヴェディング地区へと散歩に出かけた。ベルリン・ツォー駅(Zoologischer Garten)を通る地下鉄9号線でアムルマーシュトラーセ駅(U9 Amrumer Str.)まで行きそこからは歩き。
 最初のお目当ては、世界遺産には登録されていないが、集合住宅の外観で一つの画期となったミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅。場所は、Afrikanische Strasse 15-41。








 装飾を一切排したそのファサードは、まさにNeue Sachlichkeit! 当時の人の目にはどう映ったのだろうか。「モダン」として映ったのだろうか。それとも味気なさを感じつつも渋々入居したのだろうか。
 この建物も、世界遺産に匹敵すると思われるのだが、そのリストには登録はされていない。市の史跡にはなっているのみ。

 Afrikanische Strasse(アフリカ通り)を後に北東へ向かいSchiller Park(シラー公園)を過ぎると世界遺産に登録されているブルーノ・タウト設計の団地にたどり着く。タウト設計の団地と言えばブリッツの馬蹄形の建物を中心とする団地が有名だが、今日訪れたのはそれとは別。赤煉瓦を使ってオランダ風に仕上げた「オランダ派」の建築がこれ。
 一部は戦争で被災したが、弟のマックス・タウトの手で復元されている。最初の写真が、マックスの手によって復元されたものらしい。











 中庭を囲んでロの字形に建てられたそれまでの典型的都市集合住宅と違って開放的に建てられた「新建築」。この団地はシラー公園に面しており、散歩や気晴らしの場所にも事欠かない。
 古い建築にもそれなりのよさがあるが、光と空気を求めるとこういう建て方が合理的になるのだろう。

 1時間あまりの散歩を終え、BristolstrasseとBarfsstrasseの角にあるバス停から120系統のバスで中央駅へと向かい家路へと就いた。

 ベルリンのモダン、また探索してみたい。

 歩いた経路は、下の地図の通り。