ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2018年1月8日月曜日

ベルリンで魚を買うなら(動画あり〼)

 ベルリンに住み始めた頃、ローマではローマ人のごとく・・ではないがドイツ人、ベルリン人のような食生活をしなければドイツに住んでいる意味がないと粋がって(?)、今考えると非常に貧しい食生活をしていた、といってはドイツ人が怒るかな。言い換えれば、食生活の貧しいドイツ人の真似をしていた。あのままの食生活を続けていたら病気になっていたかもしれない。

 病気ならずに、次に覚えたのはまぁまぁまともな自炊と外食、といっても貧乏学生だった私の外食は中華料理とインド料理。そこでなら日本とはいかないまでも、アジアへの郷愁も満足させることができた。中華料理の醤油の味、インド料理の香辛料の香りが食欲をそそった。この二つの料理、料理店には感謝してもしきれない。

 しかし劇的に変わったのは結婚してからだろうか。といってもドイツ人と結婚してドイツ食オンリーになったのではない。妻は日本人なので劇的に変わったというのは、口の中がいつも里帰りしている状態になったということだ。女房は、料理が趣味でどこからともなく日本食の食材を探してきては日本の家庭料理を作ってくれる。中華料理とインド料理以上に女房には感謝しているのだが、困ったのは彼女が年の半分を日本で暮らすようになったことだ。

 何が困ったって、私の口の中だけを女房と一緒に里帰りさせることができないということ。しかも女房に食わせてもらっていたために、いつの間にか舌がわがままになり、私がいくら中華やインド料理で我慢しろと言っても言うことを聞かない。仕方なく私も女房に倣ってベルリン式日本料理に挑戦することになった。

 やってみるとこれがなかなか楽しい。女房も教えてくれるし、インターネットはレシピやら料理動画でいっぱいだ。女房が日本から買ってきてくれた包丁のおかげで魚もわりと上手に捌けるようになり、彼女から免許皆伝を許され、今では彼女がベルリンにいる間も魚を捌くのは私の仕事になった。いつの間にか料理助手に育てられてしまったのだが・・、それもよしとしよう。望むところだ。

 そう、日本食といえば魚が欠かせないのだ。そしてこれを調達するのも「スリリング」で楽しい。魚、どこで買う? ドイツのスーパーにだって置いてあるが、鮮度が今ひとつ。刺身で食べるのは、ちょっと、いやかなり怖い。じゃぁ高級デパートのKaDeWeRogackiといった高級食材店? それなら大丈夫、しかし胃袋が満たされる前に家計が破綻するだろう。

 そこで見つけたのがトルコ人週市に出ている魚スタンド。ここでならわりとリーズナブルな値段で新鮮な魚を調達できる。私がよく行くのは、U7 Kleistpark駅またはU7 Yorckstrasse駅に近いCrellestraßeに土曜日に立つ市場。そこには二軒魚屋スタンドが出るが、私が行くのはFlying Fischというお店。市場だけではなく固定店舗もTurmstraßeにあるのだが、そちらへはまだ行ったことがない。

 このお店、安さにもまして鮮度と種類が豊富なのがいい。定番の魚以外にときどき変わった魚が入っていて、冷凍庫にはまだたっぷり魚が凍っているときでものぞいてしまう。冷やかしのつもりがついつい買ってしまって・・。

 ここで買うと、頼めば鱗と内臓を取ってくれるのだが、私が注文するとそのまま、はいよと渡されてしまう。以前、一度、和包丁で料理をするのが趣味だからそのままでいいよと言ったのを覚えられてしまって今に至るのだ。それほど量は買えないが、手間の省けるいいお客さんではないかと勝手に思っている。

 次の土曜日にはどんな魚が入っているかと考えると楽しみだ。




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2018年1月4日木曜日

リーツェンゼーの鴛鴦(オシドリ)(動画あり〼)

 この冬、ベルリンを含めたドイツはかなりの暖冬。毎年、暖冬なのでもう暖冬、暖冬と騒ぐ気がしないが、今年はとうとう年末まで暖房を入れていない。それは年が明けた今も続いているのだが、それは、暖冬に加えて私の血行が良くなったせいかもしれない。

 前の冬と違っていることといえば、今は1時間歩いているということ。これが効いたのかどうかわからないが、暖房を入れなくても体の内が寒くないのだ。それとも情熱が寒気を寄せ付けないのだろうか(笑)。いずれにしても、このまま暖房を使わなければ、毎月の家賃の中に含まれている暖房費が清算されて返ってくるので懐が暖かくなることだけは確実だ。ちなみに暖房費込みの家賃を「ヴァルムミーテ(Warmmiete)」、直訳すれば「暖家賃」ということになるが、北国ドイツならではの表現だ。

 今年は、夏が来ると私の在独期間が20年に達する。あっという間とも言えるが、長い気もする。日本人としてのメンタリティーもまだ消えてはいないが、だんだんドイツ人のような行動様式も身についてきた。私の血行を良くしている原因と思われる毎日の散歩、ウォーキングもドイツ人のお得意だ。1時間歩くと4キロメートルを少し超えるくらい。約1里というところか。

 決まって歩くコースも幾つかあり、近所のリーツェンゼー公園もその一つだ。リーツェンゼーとは、ベルリンの西部を通るNeue Kantstraße(ノイエ・カント通り)の両側に広がる瓢箪形の湖だが、野鳥を観察するのも楽しい。鴨のほかに鷭(Teichhuhn)(?)、白鳥、鴛鴦(オシドリ)といった野鳥、湖に面した家で飼われている家鴨(アヒル)も見る。

 白鳥はスター格だが、この冬は見かけない。その代わりにこのところ見かけなかった鴛鴦が姿を見せている。鴛鴦といえば仲の良い夫婦の代名詞にもなっているが、見かけるのは雄だけだ。もっとも雌は目立たない羽なので鴨の中に紛れているのかもしれないが。

デコイを思わせる鴛鴦の雄

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2018年1月1日月曜日

ジルヴェスター(大晦日)の花火(動画あり〼)

 ドイツ語のSilvester(ジルヴェスター)は「大晦日」のこと。教皇ジルヴェスターにちなむそうだが、昔から爆竹や鞭を鳴らして魔を払う習慣があった。今では、花火を上げて年越しを祝う。クリスマスの夜、休暇の静けさとは対照的な光景。
 私がベルリンに住み始めたのは1998年だが、当時も一晩中花火が鳴り止まず、ヒュードーン、ドーンという炸裂音とパンパンパンパン・・という連続した破裂音が一晩中響き、街は白煙に包まれ、その中を救急車、消防車がけたたましく走り続けていた。まるで戦争、空爆、それを迎え撃つ高射砲の喧騒はかくやという感じだった。
 そんな大晦日を19年間経験してきたのだが、今回はちょっと様子が違った。
 年が開ける前から各所で花火が上がり、12時を回ったところで街中で一斉に花火が上がる、というのはこれまでと変わらないのだが、変わったのはそれが長く続かないこと、一時間もすると下火になり、二時間もすると気にならないくらいに静かになっていたのだ。
 どういうことだろうか。友人は市民の懐事情の反映、今年の景気の予報だというのだが、私は別の面もあるんじゃないかと感じた。それは、テロへの不安。爆弾爆発や銃声を思わせる大音響に市民は抵抗を感じ、楽しめなくなってきたというのが私の予想。それで打ち上げる花火の量を減らしたのか、と。
 2017年、世界各地で凄惨なテロがあった。2018年が平和な年になることを、そしていつの日か不安なく、思う存分花火を楽しめることが来る日を願ってやまない。
友人のお宅からブランデンブルク門方面を望む


交差点に置かれたままの連発花火ランチャー!

花火の残骸。今年は明らかに量が少ない。

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2017年12月29日金曜日

トルコ系スーパーマーケットでコーヒーの生豆

 ベルリンと言えばトルコ人コミュニティーで有名。それはこの街の文化的なダイバーシティーを高めているだけではなく、もはやベルリン、いやドイツの一部になっていると言っても過言ではないだろう。トルコ人コミュニティーなしにはこの街は動かない。
 旅行者にもお馴染みのドェーナーケバブは、ハンバーガーを超えるファーストフードになっているし、私にとってはトルコ人のヴォッヘンマルクト(週市)は、なくてはならない鮮魚の調達先だ。安くて新鮮、かつ種類も豊富!
 そしてトルコ人のスーパーマーケットも私の買い物生活にとって欠かせない存在。最近は、お米もそこで購入する。日本人には有名なお米ブランドShinodeも悪くないが、トルコ人スーパーマーケットで売られているルンドコルン(丸粒)、つまりジャポニカ種のお米もものによってはかなりいい線を行っている。ムスリムの多いトルコ人のことなので豚肉は望めないが、牛、羊、鶏の食肉もドイツブランドのスーパーで買うよりもずっと安い。
 またドイツスーパーでは売られていないようなものも目にする。先日のこと、ヨーグルトを買いに行ったついでに売り場でどんな面白いものがあるのかと調査していたところ、コーヒーの生豆を見つけた! 普通のスーパーマーケットには置かれていないし、専門店ではかなりの高値で売られているものが、トルコ(人)スーパーでは、800 gが5.39ユーロ(約720円程度)で売られていた。残念ながら産地がどこなのかはわからなかったが、衝動買いしてしまった。
 しかし買っては来たものの、家に帰って気がついた。いったいどうやって飲めばいいんだ?と。焙煎機なんてないし・・。まぁ、フライパンででもやってみるか。どんなものができるにしても、息抜きという、コーヒーブレーク最大の目的は果たせそうだ!

ベルリンのシャルロッテンブルク地区Wilmersdorferstrasse通りのトルコ(人)スーパー
同じくベルリンのシャルロッテンブルク地区Wilmersdorferstrasse通りのトルコ(人)スーパーで、私がよく買い物をするナザール・マーケット


同じWilmersdorferstrasse通りにあるショッピングモール内のトルコ(人)スーパーで購入したコーヒー生豆。やはりトルココーヒーに向きだろうか。

2014年6月20日金曜日

ベルリン(ドイツ) - マルメー(スウェーデン)間に昼便復活(臨時?)!

 ドイツの首都ベルリン(Berlin)とスウェーデン南部の都市マルメー(Malmö)を結ぶ「ベルリン・ナイト・エキスプレス」のことは以前「海を渡る阿房列車」で紹介した。鉄道連絡船での旅客列車航送自体貴重な存在になっているが、さらに貴重なナイトフェリー。
 しかしベルリン - ザスニッツ - トレレボリ - マルメーには以前はEN(ユーロナイト:欧州国際夜行急行)だけでなくEC(欧州国際急行列車)も設定されていた。そんな昼便は、なくなって久しいが、今年(2014年)一時的に復活していた。

 ベルリン・ナイト・エキスプレスのHPで運行スケジュールを見ると、今年は6月8日にベルリンを9時30分に出発する便が掲載されている。

  ベルリン:9時30分
  ザスニッツ:13時
  トレレボリ:17時15分
  マルメー:18時15分

 列車番号はいつものEN300ではなくEN302となっているので臨時列車的な扱いなのだろうか。事前に知っていれば、無理をしてでも乗りたかったのだが、とき既に遅し。気がついたときにはもう運転終了。そして夏のスケジュールではこの日一回の運転。Googleの画像検索で調べてみたところ、どうも機関車+簡易寝台客車3両の編成で運行された模様。

 さらに面白いことに昼間の運転にも関わらずEN302(ユーロナイト)という扱い。ということは昼間でも寝台を使えたのだろうか。興味は尽きない。再度の運転を望む。

2014年5月21日水曜日

徒歩旅行 E11 ベルリン横断(2)(ポツダム広場 (U2 Potsdamer Platz) 〜トレプトワーパーク (S Treptower Park) )

 前回に続き、今回(5月4日午後)も欧州長距離遊歩道 E11 をたどりベルリンを東へ向かって横断する。

 出発地点は前回の続きでポツダム広場。ベルリンでもっとも高層化が進んだ界隈だが、せいぜいこんなもの。ベルリンはまだまだ平べったい街のままだ。

Potsdamer Platz

 ポツダム広場を後に E11 は、ラントヴェーアカナール(運河)を目指して南へと伸びる。


 道はアンハルター・バンホーフ(駅)の脇を過ぎる。この駅は戦前ベルリンの主要鉄道駅の一つだったが戦災にあって今は地下を都市近郊鉄道(Sバーン)が通るのみ。瓦礫の一部が保存されて残されているというのは多くの旅行案内に書かれている通り。

Anhalter Bahnhof


 今、運河へ向かって歩いているのが、シュトレーゼマンシュトラーセ(通り)。21番地にこんなしゃれた入口を見つけた。モザイクの柄とステンドグラスが凝っている。

Stresemannstr. 21

 さらに進み、地下鉄のハレシェストア駅近くに来るとビリー-ブラント-ハウス、つまりドイツ社会民主党のビルが見える。日本では影の薄い社会民主主義だが、ドイツでは連邦議会では野党に甘んじているものの、そのプレゼンスは健在。ベルリン州では現在も与党の座を占めている。

Willy-Brandt-Haus

 ハレシェストア駅で運河を渡る。ここからではよくわからないが、この地下鉄駅(この付近では高架鉄道の駅)は、危ういほどに運河上にはみ出している。そこまでしなくても土地は十分にあっただろうに・・。しかしここを建設した当時、設計者や施行主は、こういう建設に「未来的なもの」を感じてわざとこういう作りにしたのかもしれない。ブッパータールの空中鉄道(懸垂式モノレール)に乗ったことを思い出す。


U Station Hallesches Tor

 ここからは運河に沿って東へと向かう。運河沿いは絶好の散歩道、ジョギングコースになっている。今回は徒歩だが、遊覧船に乗って水上から運河沿いのプロムナードを眺めるのも楽しいかもしれない。


Landwehrkanal

Promenade des Kanalufers

 運河沿いを歩き、ワーテルロー・ブリュッケ(橋)(「ウォータールー」ではないだろう)を過ぎるとアルテス・ツォルハウスという建物の前を通る。現在はレストランになっているが(ミシュランガイドにも紹介されているそうだ)、「旧税関舎」という名前からして昔は入市税を徴収した税関だったのだろうか。


Altes Zollhauf

 そしてその先に運河が少し広くなったところへ出る。ここは Urbanhafen、これも「アーバン・・」ではなく「ウルバンハーフェン」と読むべきなのだろう。つまり市港。前の税関と合わせて考えれば、ここはかつての港でベルリンの周辺から川と運河を使って運ばれた貨物が陸揚げされていたところか。
 今は遊覧船が繋留されていて、レストラン船になっているものもある。もう少し暖かければこんな船の上でビールを呑むのもいいかもしれない。この運河沿い、ビアガーデンもある。夏が待ち遠しい。

Urbanhafen

Schiffe im Hafen

 ウルバンハーフェン(港)の東側の入口になっているのがアドミラルブリュッケ(橋)。雰囲気のある橋の素材は鋳鉄だろうか。 この辺り、どことなくパリの北運河を思わせる。

Admiralbrücke

 その先のプランウーファー(河岸)通り。この辺りはクロイツベルク地区。クロイツベルクというと庶民の街という印象があるが、この運河沿いの通りにはこんな立派なファサードの住宅が軒を連ねている。

Planufer

 この運河から北東へと曲がる。豪奢な住宅を紹介したが、やはりクロイツベルクには昔ながらの庶民の街でもある。下の写真は、ミートカゼルネと呼ばれた大規模集合住宅の名残だろうか。建物が裏へと幾重にも連なっている。住宅だけでなく町工場も入居していそうな雰囲気だ。

Mietskaserne?

 しばらく行くとゲールリッツァーバンホーフ公園に至る。バーンホーフ(鉄道駅)という名前からわかる通り、かつての駅の跡地に公園ができている。下の写真には、敢えて撮らなかったが、この公園、実はかなり怪しい雰囲気。歩いていると、アフリカ系と思われる男たちが盛んに声をかけてくる。マリファナ等の売買が行われているようだ。そういうニュースは何度か聞いたことがあったが、これほどまでとは思わなかった。以前もこの公園へは立ち寄ったことがあったが、たしかに当時からちょっと怪しい雰囲気はしていたが、家族連れも多くそれほどではなかった。今回は、これは「やばい」という感じがした。危険な目には遭わなかったが、ここを通るのは用心した方がよさそうだ。



Görlitzerpark

 公園を東の端から出るとそこには廃線跡とおぼしき橋梁があった。かつては駅に出入りする列車が盛んに通過していたことだろう。

Ehemalige Eisenbahnstrecke?

 街中のトレイルは、シュレジッシェ・シュトラーセ(通り)を進む。岸沿いに歩いて来た運河がシュプレー川と接続する地点が見える。

Schleuse zur Spree

 この辺りはベルリンっぽい雰囲気。

Café? am Ufer

 そして泣く子も黙る東西ベルリン通過点の監視塔。ここから前はかつての東ベルリンということになる。

Beobachtungsturm

 最後の写真は、プーシキンアレー(並木道)。立派な街路樹が連なり、この先のトレプトワーパーク(公園)へと至る。プーシキンといえば、ロシアに限らず世界的文学者であることはたしかだが、そんな名前が見られるのは東ベルリンに入った証拠。

Puschkinallee

 今日はポツダム広場を出発したのが15時30分。そして終点のトレプトワーパーク駅に到着したのが17時30分。ハイキングガイドによれば、この区間は10 kmあまり。

 今回もベルリンの街の中の緑をたどっての散策となったが、管理された自然とは言え、その豊かさには脱帽。その他にゲールリッツァーバンホーフ公園では、管理されていない人間の欲望も目の当たりにした。しばらくはその公園を舞台に管理する側と野性の戦いが繰り広げられることだろう。

 最初ポツダム広場でベルリンの壁の後を越え、最後に徒歩で東西ベルリンの境を通過したのだが、通りの名前を聞いただけで東に入ったと感じられる体験はベルリンならでは。マルクス、レーニン、スターリンと言った社会/共産主義のビッグネームはあらかた改名されてしまってかつての名前が復活したが、文人を中心にまだまだロシア人の名前がついた場所も多い。これもベルリンの個性と言えそうだ。




2014年5月4日日曜日

徒歩旅行 E11 ベルリン横断(1)

 春になり歩きに出たくなる陽気になった。すぐにでも66湖巡りを開始したいところだが、冬の間長い距離を歩いていなかったので、歩き始めたら直ぐには帰って来られないような郊外に出るのはちょっと不安。そこでE11トレイルに沿ってベルリンの街の中を歩いてみた。街の中とはいえ緑の豊かさには感動さえ覚える。ベルリンの街の美しさは、古い街並や近代建築よりもこの「緑」!

 ルートは前回のE11の終点になっていたZoo駅近くのLandwehr運河の水門から出発して、ベルリンのセントラルパークであるティアガルテンを横断。途中ジーゲスゾイレ(勝利の塔(柱))をかすめてブランデンブルク門へ、そこから南へ方向を変えてポツダム広場へと至る4.5 km。冬ごもりの後の足慣らしにはちょうど良い距離かもしない。

 写真とともに記憶の中でもう一度、歩いてみたい。

 まずは前回の終点となった水門近くのカフェ。夏はビアガーデンになり賑わうが、4月半ばはまだそれには寒い。ドイツ人は、日が照ればそれでも外で飲んでいる。


 運河に架かる橋を渡ってティアガルテン公園へ。「ティアガルテン」は、鴎外の『舞姫』では「獣苑」と訳されていたと記憶する。獣(けもの)の苑(その)とは、動物園ではなく狩り場のこと。君主ホーエンツォレルン家が狩り場として使ったのだろう。現在では都会の中にいて都会を忘れさせる緑がどこまでも広がり、市民が思い思いに時間を過ごしている。


 公園を通る道は、6月17日通りに並行しているが、途中ジーゲスゾイレをパスする。ジーゲスゾイレは「勝利の塔」と訳されるが、ゾイレは正確には「柱」。第二帝政、つまり1871年のドイツ帝国統一のきっかけとなった戦勝記念碑だが、ここに移築されたのは第三帝国の都市計画による。この日は西日を受けて勝利の女神が黄金に輝いていた。


 ジーゲスゾイレを中心としたロータリーに面してもうビアガルテンが店を出していた。日も照っているし歩いて体も暖かくなったところで一杯やりたいところ。


 ビアガルテンの誘惑を克服して再び公園の緑の中に入る。新緑の時期は、北国の都が輝く季節。カメラを向けたい風景が至る所で展開する。


 公園の中の遊歩道で、大通りへ視界が開けたところに見えてきたのはソビエト記念碑。ここは西ベルリンで、ソビエト管理区域の外にあるのだが分裂時代も存続した赤軍によるベルリン「解放」のモニュメント。ヒトラーの首相官邸の大理石が使われているそうだ。


 そしておなじみのブランデンブルク門の裏。ケネディーが東側を覗いたお立ち台はこの撮影地点辺りだったろうか。
 ここから進路を南へ変更し、ポツダム広場へと向かう。


 長い距離ではないが途中、ホロコースト記念碑がある。


 上から見ると比較的平坦だが、中の通路は起伏が大きく迷路のようだ。


 歩き出してから約2時間後、ポツダム広場の交通信号(レプリカ)の前へとたどり着く。天気は良かったのだが、この時間になると風が冷たい。4月半ば、ヨーロッパの空気は、まだ十分には暖まっていない。


 ここからは、地下鉄2号線で帰宅。思い立って直ぐに出かけられる街歩きだったが、新緑を堪能できた日曜日だった。