ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2014年5月4日日曜日

徒歩旅行 E11 ベルリン横断(1)

 春になり歩きに出たくなる陽気になった。すぐにでも66湖巡りを開始したいところだが、冬の間長い距離を歩いていなかったので、歩き始めたら直ぐには帰って来られないような郊外に出るのはちょっと不安。そこでE11トレイルに沿ってベルリンの街の中を歩いてみた。街の中とはいえ緑の豊かさには感動さえ覚える。ベルリンの街の美しさは、古い街並や近代建築よりもこの「緑」!

 ルートは前回のE11の終点になっていたZoo駅近くのLandwehr運河の水門から出発して、ベルリンのセントラルパークであるティアガルテンを横断。途中ジーゲスゾイレ(勝利の塔(柱))をかすめてブランデンブルク門へ、そこから南へ方向を変えてポツダム広場へと至る4.5 km。冬ごもりの後の足慣らしにはちょうど良い距離かもしない。

 写真とともに記憶の中でもう一度、歩いてみたい。

 まずは前回の終点となった水門近くのカフェ。夏はビアガーデンになり賑わうが、4月半ばはまだそれには寒い。ドイツ人は、日が照ればそれでも外で飲んでいる。


 運河に架かる橋を渡ってティアガルテン公園へ。「ティアガルテン」は、鴎外の『舞姫』では「獣苑」と訳されていたと記憶する。獣(けもの)の苑(その)とは、動物園ではなく狩り場のこと。君主ホーエンツォレルン家が狩り場として使ったのだろう。現在では都会の中にいて都会を忘れさせる緑がどこまでも広がり、市民が思い思いに時間を過ごしている。


 公園を通る道は、6月17日通りに並行しているが、途中ジーゲスゾイレをパスする。ジーゲスゾイレは「勝利の塔」と訳されるが、ゾイレは正確には「柱」。第二帝政、つまり1871年のドイツ帝国統一のきっかけとなった戦勝記念碑だが、ここに移築されたのは第三帝国の都市計画による。この日は西日を受けて勝利の女神が黄金に輝いていた。


 ジーゲスゾイレを中心としたロータリーに面してもうビアガルテンが店を出していた。日も照っているし歩いて体も暖かくなったところで一杯やりたいところ。


 ビアガルテンの誘惑を克服して再び公園の緑の中に入る。新緑の時期は、北国の都が輝く季節。カメラを向けたい風景が至る所で展開する。


 公園の中の遊歩道で、大通りへ視界が開けたところに見えてきたのはソビエト記念碑。ここは西ベルリンで、ソビエト管理区域の外にあるのだが分裂時代も存続した赤軍によるベルリン「解放」のモニュメント。ヒトラーの首相官邸の大理石が使われているそうだ。


 そしておなじみのブランデンブルク門の裏。ケネディーが東側を覗いたお立ち台はこの撮影地点辺りだったろうか。
 ここから進路を南へ変更し、ポツダム広場へと向かう。


 長い距離ではないが途中、ホロコースト記念碑がある。


 上から見ると比較的平坦だが、中の通路は起伏が大きく迷路のようだ。


 歩き出してから約2時間後、ポツダム広場の交通信号(レプリカ)の前へとたどり着く。天気は良かったのだが、この時間になると風が冷たい。4月半ば、ヨーロッパの空気は、まだ十分には暖まっていない。


 ここからは、地下鉄2号線で帰宅。思い立って直ぐに出かけられる街歩きだったが、新緑を堪能できた日曜日だった。

2014年4月27日日曜日

ベルリン - ハンブルクにIRE(インターレギオエキスプレス)運行

 この4月からベルリンとハンブルクの間に新しい直通列車が設定された。インターレギオエキスプレス! インターシティーエキスプレス(ICE)の間違いではないかって? いえいえ、間違いではなくIRE。インターレギオ(IR)は、今はICに統合されるか廃止されてしまった「準急」だが、IREは、その高速版!というわけではなく、ローカル急行(RE)(快速)にInterが付いたと言った方がわかりやすい。つまりローカル急行がローカルを越えた運転されている。

 以前、「阿房列車」を仕立ててドレスデンからホーフ、ニュルンベルクまで行ったことがあったが、あの亜幹線で運行されていたのがIRE。そしてこの4月からベルリンとハンブルクの間にもこれが設定された。ベルリンとハンブルクといえば戦前からの高速路線として有名で、在来線ながらそこを走るICEの平均速度はかなり速い。しかし今回のIREは、その線路ではなく、シュパンダウを最後にベルリンを出ると、シュテンダール、ザウツヴェーデル、リューネブルクを経由してハンブルクへと至る経路をとる。時間もICEの約2倍、3時間半を要する。ただし料金は格安で片道19.90ユーロ、往復で29.90ユーロ也。

 値段はともかくとしてICEがあるのになんでまた?と訝る向きもあるだろうが、競合する私鉄、そしてなによりも自由化された長距離バスとの競争を見ると、なるほどね、という新列車設定。

 まだ利用したことはないが、報道写真によると旧IRの車両を赤いRegioカラーにしての運行のようで内装も当時のままらしい。

 この新列車、DBにとって顧客引き止めの救世主となるかどうか。

 詳しい情報はこちら(ドイツ語)

2014年4月13日日曜日

ベルリン・シャルロッテンブルクの地霊

 前回の投稿で「ベルリンのモダン」を求めてヴェディング地区に行ったことを報告した。メインは世界遺産にもなっているタウト設計事務所によるシラーパーク脇の集合住宅だが、アフリカーニッシェ・シュトラーセにあるミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅も見た。あの地域には、そういった戦前の「新建築」が多く、それらが「史跡」、ドイツ語で言うDenkmal(デンクマール)に指定されているのがわかった。
 それらより古い建物は他にもあるが、ヴェディング地域は1930年前後に建てられた新建築が界隈の雰囲気を決定している。そしてそれらは、世界遺産に登録される前から「史跡」に指定され保護されている。東京に置き換えれば、同潤会アパートは皆史跡に指定され、取り壊しはできないようになっているようなものか。こういうところは、建造物に対するドイツ人と日本人の考え方の違いなのかもしれない。

 そのような「史跡」は、ベルリン中に数多く残っている。ヴェディングまで足を伸ばさずとも、私の住むシャルロッテンブルク地区にも至る所に史跡に指定された建造物がある。
 近所にゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセという通りがあるが、この通りを例に、どれだけ多くの建物が「史跡」の指定を受けているかを調べ、それらを一つ一つ訪ねてみた。

 以下の写真が、ベルリンの史跡リストに登録されている、ゾフィー-シャルロッテン-シュトラーセ(通り)の史跡建造物である。

88番地 ハインリッヒ・ツィレのアトリエがあった建物
89番地 88番地の建物と同じ設計者








113番地

114番地

115番地 かつて路上生活者シェルターだった建物

1-4番地 旧シャルロッテンブルク貨物駅の門

17/18番地 石膏型博物館

 史跡に登録されているのは、1-4、17/18、23a、88、89、96、98、99、100、101、113、114、115番地の13件。この界隈は19世紀末から20世紀初頭に開発された地区だが、一つの通りにこれだけ史跡が残っている、史跡に登録され保護された建物があるというのは驚きだ。そしてさらに驚くのは、この通りが例外的に史跡の多い通りではないということ。並行する隣りの通りにも、垂直に交わる通りにも同じくらいの割合で史跡に指定された建物が残っている。そういう建物には、この地域の雰囲気を決定する地霊(ゲニウス・ロキ)が宿っているようだ。史跡に指定されていない建物が後から建てられたり、改修され模様替えをするときも周囲の雰囲気と合わせてデザインされることが多いので自然と地域の雰囲気というのができあがり、それが継続する。こうして地霊は、継続的に養われていく。

 街歩きはそんな地霊との対話か。また各地の地霊を訪ねてみたい。

2014年4月3日木曜日

ベルリンのモダンを求めて(ヴェディング)

 今年のベルリン映画祭に出品された『小さいおうち』。たき役の黒木華が銀熊賞を受賞した。映画、原作で描かれている話の背景は「昭和モダン」の世界。そして「小さいおうち」。大正から昭和にかけ、外観に西洋建築風の意匠を取り入れ、内装を和洋折衷とした邸宅が建てられた。昭和のモダン住宅。集合住宅では同潤会アパートがちょうどその頃。
 そんな1920年代は、ドイツではワイマール時代に相当し、第一次世界大戦で負けたとは言え(負けたからこそ?)、モダン文化が花開いた時代。ベルリンでは「賃貸兵舎(Mietskaserne)」と呼ばれた低質集合住宅の問題を解消すべく、市街地の周辺部に近代的な団地が建設されていく時代。ベルリンのモダン団地として世界遺産に登録されている集合住宅群は、そんな時代の所産。

 暖かくなった3月末の日曜日、そんな団地の一つがあるヴェディング地区へと散歩に出かけた。ベルリン・ツォー駅(Zoologischer Garten)を通る地下鉄9号線でアムルマーシュトラーセ駅(U9 Amrumer Str.)まで行きそこからは歩き。
 最初のお目当ては、世界遺産には登録されていないが、集合住宅の外観で一つの画期となったミース・ファン・デア・ローエ設計の社会住宅。場所は、Afrikanische Strasse 15-41。








 装飾を一切排したそのファサードは、まさにNeue Sachlichkeit! 当時の人の目にはどう映ったのだろうか。「モダン」として映ったのだろうか。それとも味気なさを感じつつも渋々入居したのだろうか。
 この建物も、世界遺産に匹敵すると思われるのだが、そのリストには登録はされていない。市の史跡にはなっているのみ。

 Afrikanische Strasse(アフリカ通り)を後に北東へ向かいSchiller Park(シラー公園)を過ぎると世界遺産に登録されているブルーノ・タウト設計の団地にたどり着く。タウト設計の団地と言えばブリッツの馬蹄形の建物を中心とする団地が有名だが、今日訪れたのはそれとは別。赤煉瓦を使ってオランダ風に仕上げた「オランダ派」の建築がこれ。
 一部は戦争で被災したが、弟のマックス・タウトの手で復元されている。最初の写真が、マックスの手によって復元されたものらしい。











 中庭を囲んでロの字形に建てられたそれまでの典型的都市集合住宅と違って開放的に建てられた「新建築」。この団地はシラー公園に面しており、散歩や気晴らしの場所にも事欠かない。
 古い建築にもそれなりのよさがあるが、光と空気を求めるとこういう建て方が合理的になるのだろう。

 1時間あまりの散歩を終え、BristolstrasseとBarfsstrasseの角にあるバス停から120系統のバスで中央駅へと向かい家路へと就いた。

 ベルリンのモダン、また探索してみたい。

 歩いた経路は、下の地図の通り。

2013年11月17日日曜日

ドイツで郵便バス復活(画像あり〼)

 ヨーロッパで鉄道が交通の主役になったのは19世紀の半ば以降。それ以前は、街道を結ぶ定期旅客交通の主役と言えば郵便馬車だった。その名残は、ドイツでは絶えて久しいが、スイスには今も郵便バス(Postbus)として見られる。

 それがここに来てドイツでも復活の兆しを見せている。これまでは遠距離交通としてはドイツ鉄道が優遇されており、50 kmを超える長距離バスは路線開設が限定的にしか認められていなかった。それが2013年になって自由化されたことで各地で路線開設の動きが活発になった。そして11月、ドイツポストのバス路線が出現した。郵便バスの復活!

 先日、ベルリンのZOB(中央バス駅)にその姿を探しに行った。時刻は13時30分、ちょうどライン地方へと向かうバスとハンブルク行きのバスが停車中だった。

 下の写真がライン地方行き。行き先はボン。バスはADACとPostの共同事業になっている。ADACは、全ドイツ自動車クラブで日本のJAFに相当する組織。真新しい黄色の塗装が曇り空を背景に映えていた。


 後ろの郵便バスがハンブルク行き。ベルリン - ハンブルク間はこれまでもバス交通が盛んだったが、ポストの参入で競争が激化しそうだ。


 行き先の表示板にもPostbusの文字。マグデブルク、ハノーファー、ビーレフェルト等に停車してボンへと向かう。


 あと5分で発車だが、車内はがらがらだった。まだあまり情報が浸透していないのか、皆時間のかかるバスは敬遠しているのかは不明。サイトによると車内はインターネットも可能で電源もあるとのことだ。チケットは郵便局でも購入できるそうだ。ポストバスは、まだ夜行運転は行っていない。ライン地方まで乗り続けるのは辛そうだが、マグデブルク程度なら乗ってみたいもの。

 長距離交通での優遇を奪われたドイツ鉄道も黙ってはいない。下の写真はベルリンのバス会社BEXと提携するDBバス。車体のカラーデザインがICEやICを彷彿とさせる。ただこれによってIC路線はますます整理されるのかもしれない。DBではICバスを走らせている。





 最後の写真はベルリンの中央バス駅(ZOB)の待合室の様子。インフラがかなり古い。バスは安価な交通手段ということもあって東欧からの旅客やバックパッカーの姿が目立つ。

ちょっとうらぶれた感じは、「今度のバスで行く〜。西でもひが〜しでも♪」という歌がよく合いそうな雰囲気だ。

追記:
Postbusは、2016年11月1日をもってFlixBus統合されました。黄色い塗装のポストバス、ノスタルジックで好きだったのですが残念です。参考ページ:https://www.flixbus.de/postbus(2018年1月18日)


2013年11月10日日曜日

ICEスプリンター再び(今回は一等車)

 エルベ川の洪水で寸断されていたベルリンとヴォルフスブルクを結ぶ高速線は、その復旧に2014年初頭までかかると一時期言われていたが、それよりもずっと早く2013年11月には復旧した。そして再びスプリンターがベルリンとフランクフルト・マイン間を走り始めた。

 昨年、ヴィースバーデンで開催された見本市にこの列車で出かけた。今年は、高速線寸断の影響でマグデブルク経由となるため日帰りは厳しい、それなら今回は見合わせるかと考えていたのだが、高速線の復旧が早まり再度の見本市訪問が実現した。昨年は2等車の個室を使った。混んでもいなかったし十分快適だったのだが、今回は1等車を利用することにした。ただ去年と違い早めに予約したので、実は去年の2等での往復よりも安くついた。

 朝6時少し前、ベルリン・ズュートクロイツ(Südkreuz)駅に列車が入線。この日は11月6日だが、11月1日のスプリンター(?)は、この駅には停車も通過もせずに、ベルリン東駅を始発としてベルリン市内を南北ではなく東西に横切って運転したようだ。車内で入手した運行表によれば、東駅を4時20分に出発し、シュテンダール他、通常のICEが停車する各駅に停車しながらフランクフルトへと向かったということがわかる。ヴォルフスブルクからブラウンシュヴァイクを経由してヒルデスハイム、ゲッティンゲンに停車しているのでハノーファーは通らないショートカットコースで走っていたことになる。


 スプリンターは、快速ICEだが車両は何の変哲もないICE第1世代の編成。大分陳腐化した。

 下の写真は、1等車の個室。座席はご覧の通り開放室のそれと同じ独立シート。2等車の座席とは違うのだが、片側に3人×2の6人部屋だからその点は2等と変わりがない。部屋は2等よりは広いのだろうが昔は5人が定員だったのでダウングレードの感は否めない。


 私が今回予約したのはコンパートメントではなく開放室の方。昨年、帰りの列車で同室の人が話し好きでゆっくり休めなかったという経験から今回は開放室を選んだのだが、コンパートメントもがらがらだったので、こちらでも良かったかもしれない。その辺りが1等車と2等車の違いか。

 下の写真が1等車の開放室部分。私に割り当てられたのは独り掛けの席。それはいいのだが、何と窓側に関わらず柱の陰で外が見えないという最悪の席。ベルリン最後の停車駅シュパンダウを過ぎても席に余裕があったので窓のある席へと移動した。


 昔は窓の位置に合わせて座席が配置されていたはずだから、こういう柱の陰で外が見えないという席はなかったはずだが、後から前後の間隔を詰めたのだろう。コンパートメントと同じでここにもダウングレードの痕跡が伺われる。昔に比べると今の1等車は、1.5等車、昔の2等に近づいて来ている。驚くなかれ、前後の間隔だけをとるとICE1等車のそれは、東海道新幹線の普通座席よりも窮屈ということになる。まあベルリンとヴィースバーデン往復を135ユーロで購入できることもあるのだからその点は致し方ない。ダウングレードにも感謝。

 それでも1等車が2等車と違うところもある。それは、ICEに限るが、供食サービスがあること。有料だが食堂車からの出前を座席で受け付けてくれる。スプリンターの場合、さらに無料の軽食サービスがある。チョイスは、ハムかチーズのサンドイッチ。簡単な食事だがボリュームはかなり。それにお茶/コーヒーとジュース、お菓子も配られる。コーヒーは、おかわりもあり。


 昨年は、到着がかなり遅れてスプリンター&ICE特別料金が払い戻されたが、今回は定刻通り9時42分にフランクフルト中央駅に到着。

 ちょうど列車を降りるときにお客さんからの問い合わせの電話があった。このお客さん、この前デュッセルドルフに行ったときも中央駅で列車が入線して来たときに電話をくれた。鉄道の旅と縁があるのか?

 駅のラウンジに駆け込んで、メールをチェックし、電話で問い合わせをくれたお客さんにも返事ができた。依頼の内容は鉄道とは何の関わりもなかったが・・。

 ラウンジを使えるのも1等車の恩恵。移動中でも落ち着いた環境で仕事ができるのは有り難い。

帰路に利用したラウンジの様子(1等専用ブース)