ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年5月24日木曜日

ドイツの食堂車(ビュッフェ)のメニュー

日本の鉄道では、食堂車や軽食堂車(ビュッフェ)が非日常的なものとなって久しい。今残っているのは、やはり「非日常的」になった夜行列車くらいではないだろうか。

ドイツの鉄道はどうかと言うと一頃よりは減ったようだがまだまだ健在。日本の新幹線にはもう食堂車はない(よね)が、ドイツの新幹線にあたるICEには必ず食堂車(Restaurant)か軽食堂車(Bordbistro)がついている。

ICEをドイツの特急とすれば急行にあたるのがICでここには軽食堂車が連結されていることが多い。軽食堂車の場合、半分が食堂車でもう半分が一等車という合造車が多い。本格的な食堂車が連結されていたかどうかは、このところよく観察していないのではっきりとは言えないが、たぶんそういうケースもあったのではないかと思う。以前はICにはほとんど食堂車が連結されていて、軽食堂車を連結していたのは準急にあたるIRだったが、ICとIRが統合されて再編された結果、以前IRだった列車も今はICになっており、そうやって軽食堂車を連結したICができたようだ。伝統的なIC列車の多くは、ICE化されて姿を変えてしまっている。

ICと同格の国際列車となるとECだが、これには本格的な食堂車が連結されていることが多く、その列車が仕立てられた国の料理が提供されていることも多い。ベルリンだとチェコ、ポーランド、ハンガリーからのEC列車を見かけるが、そこに連結されている食堂車では外国の料理が味わえるのだろう。

このように食堂車はまだまだ健在!なのは確かなのだが、やはり一部には衰退の傾向も見て取れる。以前国内および国際夜行列車には食堂車が繋がっていたものだが、今は繋がっていないことが多い。寝台車、簡易寝台車の乗客は列車給仕から飲み物を購入できるとオンライン時刻表に書いてあるが、食堂車で就寝までの一時を楽しむと言うことはなくなってしまったようだ。残念だがこれも時代の波ということだろうか。

さて以前、ブラウンシュヴァイクに行ったが、そのとき座席にビュッフェのメニューが配れていたのでもらって来た。どんなものが提供されているのか紹介したい。

DB Bordbistroのメニュー


まず料理は、メニューIからV、子供メニューとシステマティックに分かれている。

メニューIは6.60ユーロで3種類の選択肢がある。選択肢は全粒パンのサンドイッチ、普通のパンのチーズサンド、カリーヴルスト(ベルリンのファーストフードでカレーソーセージと紹介されることもある)。これに飲み物がつく。飲み物はメニューIからIIIまでがソフトドリンクかアルコールドリンク。メニューIVとVではコーヒーやお茶になる。

メニューIIは7.60ユーロで4種類の選択肢がある。温かいハムとチーズのバゲット、ニュルンベルガーソーセージ6本、オーブンで焼いたジャガイモ、チリコンカルネのいずれか。

メニューIIIは10.60ユーロで値段の分だけ料理のボリュームがあるが、まあたいしたものはない。

子供メニューは、ソーセージかスパゲティーで量がいささか少ないようだ。

ここまでのメニューには1.30ユーロを追加するとスウィート/ソルティーいずれかのスナックも付く。

メニューIVとVはパン、ケーキとコーヒー/お茶の組み合わせ。


ドイツっぽいというか、とてもシステマティックで簡潔にできているが、軽食堂車に行くと他のものもあるようなことが書かれている。本当かどうかはいってみないとわからない。

値段が高いかどうかは、各人の判断だが、列車でもあるし私はそれほど高くはないようにおもうがいかがだろう。味はどうか。以前あった日本の食堂車は、戦後は高くてまずいとよく旅行記などで書かれているが、実際にはどうだったのか私はあまりしらない。ドイツのものはどうなのか。いずれ試してから再度報告することにしよう。

IC列車のBordbistro(ビュッフェ)

参考リンク
ICEスプリンターの食堂車(ビストロコーナー)
ICの軽食堂車(ビストロカー)
喧噪からの避難先になったICE食堂車(レストランコーナー)
(2012年12月9日加筆)

2012年5月14日月曜日

海を渡る阿房列車(3) - 切符の購入

(2)で書いたようにドイツ-スウェーデン間に唯一残った直通列車の廃止を危惧して、急いで切符を手配することにした。普通、私はドイツ鉄道のサイトでオンライン購入する。Bahn Cardという割引証があるので25%引き購入できる。しかし今回、このサイトで検索しても目的の列車Berlin-Night-Expressがヒットしないとなると別のところで買わざるを得ない。

私が買ったのはスウェーデン国鉄のサイト。710スウェーデンクローネは約80ユーロ。6人コンパートメント、つまり3段式簡易寝台の上段で予約。3段式の寝台って日本ではなくなって久しいが、ヨーロッパにはまだまだ健在。面白いのは、同じ列車に3段式と2段式の両方の簡易寝台車が連結されていることがあるということ。もちろん2段式の方が3段式より料金が高い。「簡易」がつかない寝台車も別に連結されていることがあり。こちらもエコノミーとデラックス、また一室を何人で使うかによって料金が異なってくる。Berlin-Night-Expressは、すべての車両が3段式の簡易寝台で選択の余地はない。あるのは一室をすべて借り切ることぐらい。それなら独りでコンパートメントを独占して大いびきをかいても気兼ねがない。

ちなみに簡易寝台車のことをLiegewagenという、Liegeは寝椅子だそうだが、liegenというのは動詞で横になること。ってことはこれはあくまでもベッドではなく椅子であって、寝るのではなく横になる寝台ということか。正式寝台車はSchlafwagenで「寝る」寝台だ。こちらは、密閉度が高くプライバシーは保てるが、独りで一部屋を占有するのでなければ、他人と同室になるのは簡易寝台と同じ。眠ってしまうとはいえ、知らぬ他人と同じ部屋に籠るのはあまり良い気分ではなさそうだ。

切符は無事に購入できたのだが、ちょっと気になることが・・。このサイトで切符を注文し、切符は郵送で送ってもらおうと思ったのだが、これが出来るのはデンマーク、スウェーデン、ノルウェーだけで、どうもドイツには送ってくれないらしい。諦めて自分でプリントアウトするものにしたのだが、ここでも気になることが一つ。検札のときに身分証明書を見せろと書いてあるが、身分証明書として上記三国のIDカードかEUパスポートあるが、それ以外はだめ? 私の日本国旅券ではだめなのか。カルマル同盟三国とEU市民しか相手にしない? そんな馬鹿な。単にサイトの不備と判断して購入することに決めた。これでベルリンからマルメーまでの列車が確保された。

帰りは同じルートを通るのも面白くない。同じルートで夜と昼を比べるというのは、まあそれなりに面白いが、今回は別ルートに決めた。マルメーからエール海峡にかかる橋を渡ってコペンハーゲンへ。そこからドイツへ渡るICEが出ている。こちらも途中、連絡船を使う。この列車は、ICEの中でも貴重な気動車ICE。ベルリンまで直行のものもあるが、途中別の急行列車に乗り換えるものを選んだ。

Bahn Cardで割引切符を購入したので44ユーロと安い。ただし座席指定料金が4ユーロ、切符の郵送料が3.5ユーロかかった。ドイツ鉄道の切符は、自分でプリントアウトできQRコードを使って改札が行われるが、このルートは国際線であるせいか、自宅プリントアウトでの購入は許されず、選択できるのは郵送のみ。お金は別にかかるが旅の気分は出る。

海を渡る阿房列車(2) - 時刻表にない列車

念願だった阿房列車は、海を渡る阿房列車。そう、連絡船を使って海を渡るもの。

日本の鉄道連絡船は、もう主要なものはなくなってしまったが、連絡船があったときにもそれで運んでいたのは貨車だけであって、旅客はいったん列車から降りて自分の足で船に乗り込み、船が対岸に着けばまた列車へと乗り換えていた。

それに対し、ヨーロッパには客車ごと船に乗って海を渡るというものがある。前から一度体験してみたかったのだが、なかなか機会に恵まれなかった。そうこうするうちに、ヨーロッパでも大規模な土木工事で海峡に橋やトンネルが造られるようになってしだいに連絡船が減って来ている。またローコストエアーの出現によって国際間の旅客交通で鉄路が廃れつつあるのも事実。うかうかしていると海を渡る阿房列車は永遠に実現しなくなってしまう。

例えば、今回の阿房列車を仕立てるドイツとスウェーデンの間の鉄道連絡船。バルト海に浮かぶドイツ最大の島リューゲン島のサスニッツを出て、対岸のトレレボリに渡るルート。これは鉄道連絡船とはいえ、鉄道旅客の連絡に使われる比重は風前の灯に近い。

その契機になったのは、まずはサスニッツ・フェリー港が市街地から離れた場所に新設され、旅客駅ではなく貨物駅に隣接するようになったこと。これによって鉄道で行って徒歩で乗り込むということができなくなった。さらに以前は昼間と夜の二便あったドイツ-スウェーデン間の列車が、夜行の一本にまで減ったことも、この傾向に追い打ちをかけている。

そしてさらに! その列車Berlin-Night-ExpressもDBのサイトでの時刻表検索ではこの5月くらいからヒットしなくなってしまった。例えばこの列車が走るベルリン中央駅とマルメー中央駅で検索してみても、ヒットするのはコペンハーゲン経由でエール海峡の橋を渡るものばかり。鉄道連絡船を使うものはヒットしない。それはもうそろそろこの列車が廃止されるという予兆ではないのか?

これは、由々しき事態。急いで切符を手配することにした。

2012年5月13日日曜日

海を渡る阿房列車(1)- 夢にまで見た汽車の旅

私はフリーランスの翻訳者として働いているが、この商売、かなり因果な商売、というか働き方。例えば、休暇について。

フリーだからいつでも休暇をとれる。だれもがそう考えるし、これは一面の事実。しかしこれは可能性としてそうだということであって、現実にはそうはいかない、ことの方が多い。フリーというのは無責任とは違うので、仕事があるときはもちろんそれを放っておいて休暇を取れるわけではない。では仕事がないときはどうかと言うと、仕事がなくてお金が入って来ないとなれば、仕事がなくたって仕事場を留守にするような休暇がとれる心境にはならない。仕事の依頼を待ち、それでも暇なら次は新規のお客の開拓だ、宣伝だ、勉強だ、ということになる。

お金が入って来ないと言っても、蓄えが全くないわけではないので生活に直ぐに困るわけではないが、心情として休暇なんて言っていられない。仕事があればお金は入ってくるが暇がない。逆に仕事がなければ暇があってもお金が入って来ない。それでは休暇どころではない。簡単に言えばそういうこと。

そんなわけでなかなか旅行にも行けないこの商売なのだが、今年は2月からずっと休日返上の忙しさ続いている。4月に一時帰国したがそのときにも仕事がなかったわけではなく、断りきれない仕事は日本に帰国中もやっていた。これは嬉しい悲鳴というものだが、こう忙しいのが続くと嬉しい悲鳴ばかりでなく、体が悲鳴をあげ始める。そして精神的にも。

内田百閒先生ではないが、汽車に乗りたい、汽車に乗りたいと夢にまで見るようになる。フリーランスにとって「体が資本」というのは、全くその通りで強制的に仕事から離れる時間をとるのも重要だろう。

そこで念願だった海を渡る阿房列車を仕立てることにした。

2012年5月8日火曜日

閉鎖間近のベルリンテーゲル空港(3)

テーゲル空港、閉鎖まであと一月をきったとセンチな気分になっていたら、なんとベルリン・ブランデンブルク国際空港開港延期、つまりテーゲル閉鎖延期になってしまいました。

時間に厳しいドイツ人はどこに行ってしまったのでしょうか。しかし新空港開港延期の理由が安全技術上の問題が開港までに解決できないからだとか。安全第一ですから焦らずにじっくりとやって頂きたい。

それで延期された開港日程が、いつになるのかはまだはっきりとはアナウンスされていないようですが、夏休みの後になるとか(参考:BERのサイト)。ちなみにベルリンの夏休みは6月20日(ブランデンブルク州は21日)に始まり8月3日(ブランデンブルク州も同日)に終わります。新開港日程はその後ということでしょうか。

テーゲル空港の寿命が少し延びましたが、おかまい無しに閉鎖間近の様子を写真で紹介紹介します。これらの写真は、一時帰国から戻った4月20日に撮影したものです。

まずはエプロンから見たメインビルディングです。ガラス張りの塔は階段棟です。展望台ではありませんが、そこに登ると離着陸する飛行機がよく見えました。



次は、駐機中の飛行機。赤い尾翼はAir Berlin。中央はLufthansaです。緑のマークはGermaniaでしょうか。Air Berlinは、現在ドイツ第二位の航空会社ですが、テーゲルではもっとも多く目にする航空会社になりました。ターミナルCは、Air Berlin専用ターミナルという感じになっています。



こちらは駐機場から見たターミナル。赤い窓枠とボーディングブリッジが特徴的です。



下の写真は格納庫とカーゴ地区です。カーゴ地区と言っても非常に狭い。



飛行機が到着して委託荷物が出てくるターンテーブルです。左の壁の外はもう駐機場です。ターンテーブルは外にも続いていて、そこで飛行機から降ろした荷物をターンテーブルに載せます。

テーゲル空港を使うのはこれで最後かと思って写真を撮りましたが、閉鎖の日程が延期されて、閉鎖までにもう一度くらい使うことがあるかもしれません。

2012年5月6日日曜日

閉鎖間近のベルリンテーゲル空港(2)

(1)に続き、閉鎖間近になったベルリンテーゲル空港を写真で紹介します。写真は、4月7日に一時帰国のために利用したときに撮影したものです。

まずは受付カウンターです。14番のカウンターは正面の入口を入ると直ぐのところに位置していました。この近辺のカウンターを使っていたのは、KLMとAir Franceです。ターミナルAは、タクシーで入ってくるとどこのカウンターの前にも直に車を止めることができてとても便利でした。自動車時代に合わせて設計された空港だということがよくわかります。ある意味、非常にモダンなコンセプトだったと言えますね。こういう空港はもうできないでしょうね。



14番のカウンターで受付を済ませ直ぐ隣の入口から入ってセキュリティーチェックを受けるともう搭乗待合室です。テーゲルに発着する飛行機のほとんどは、Boeing 737ファミリーかA320ファミリーでしたので待合室は大きくありません。待合室に入ってしまうとキオスク程度の免税品売り場と飲み物とスナック類の移動式スタンドしかなく、何か暇つぶしの材料がないと退屈してしまいます。この頃「保安上の理由で受付が終わったら速やかにセキュリティーチェックを受けて待合室に入って下さい」なんて放送されています。あまり早く入ってしまうと、後悔する造りでしたが。


いよいよ搭乗です。この待合室にはボーディングブリッジもありますが、今回は飛行機が沖止めでエプロンに出てバスを利用します。


飛行機に乗り込む前、エプロンから見たメインターミナルです。




こちらは、新しくできた拡張部分です。2、3年前だったでしょうか。既にテーゲルの閉鎖は半ば決まっていたようで、バラック作りのような安普請でした。



4月20日にベルリンに戻ったときにも、写真を取りましたのでこのテーマ、もう少し続きます。

2012年5月1日火曜日

内田百閒『第一/二/三阿房列車』を読む

鉄道の旅行記が読みたいというわけではく、友人に内田百閒の研究をしている人がいたので、どんなものを書いているのかと思って読んでみた。これまで百閒先生のものは、読んだことがなかったが、日本郵船や鉄道などに顔の利く人だということくらいは知っていた。

今でこそ鉄道趣味にも大分市民権が認められるようになったが、『阿房列車』の時代には乗りたいというだけで鉄道に乗車するのは、本当に馬鹿、阿房の類いとしか世間は思わなかったのだろう。まあ、今でもそういうことはあるので、当時なら当然かもしれない。

私ももう中年の域に達したので、鉄道の昔のことを知らないという訳ではないが、蒸気機関車や東海道線の花形特急列車「つばめ」「はと」のことは書物と模型でしか知らない。書物と言っても本格的な読み物ではなく、子供向けの図鑑の類いが多かったので、正確な知識を体系的に得たわけではないので、ほとんどは思い込みに近い知識しかない。

それでもどちらかというと私の子供時代に走っていた最新電車特急よりは、古い客車列車が好きだったので「阿房列車」で書かれている内容もなんとなくわかり、あるいは想像できて面白くもあり、またある意味で懐かしくもあった。

百閒先生は、特に一等車がお好きで、一等車が繋がっていなければ、三等車の方が好ましいというくらいの極端な方で(というわりには、一等がないローカル列車や急行になると、三等車よりは二等車に乗っているような気がするが気のせいだろうか)、『阿房列車』を読んで一等車についての知識が広がった。

ちなみに一等車というのは、今のグリーン車とは格が違う。今のグリーン車は、もちろん当時とは居住性の点で比べようもないが、三等級時代の二等車の末裔である。一等車というのは、幹線の特急や一部の急行などにしか連結されていないもので、庶民はもちろん、お金に余裕のある人でもおいそれとは足を踏み入れられないものだったようだ。

私は庶民に籍を置く者だが、鉄道趣味人(子供の頃、女の子に「電車気違い」と呼ばれていたく傷ついた)として、そんな鉄道の聖域とも呼べるような一等車に憧れと関心を抱いたことがあるが、私の浅い知識では、そんな一等車というのは戦後では「つばめ」と「はと」の一等展望車くらいしかなく、あとは一等と言えば寝台車に一等と言う等級があったに過ぎないと考えていた。しかし内田百閒を読んで、この知識は訂正が必要だということがわかった。

簡単に言えば「一等寝台車」の認識に誤りがあったということ。「寝台車」と言うからには、夜行列車で夜に横になるためのものとばかり思っていたが、どうもそうでもないということが、『阿房列車』を読むと垣間みられる。百閒先生、急行に乗るときには一等寝台車の「コムパアト」に席を取ることが多いようだが、昼は部屋の中が陰気だと言ってコムパアトではない開放室(夜はプルマン式の寝台)に出て来て時間を過ごしているということがわかる。となると一等寝台車というのは、昼は一等座席車でもあるということになる。

また電車・新幹線時代の私の偏見で寝台車というのは夜の主役だとばかりおもっていたが、当時の長距離列車では半分は昼間使われていることがよく理解できた。東京から九州まで走る急行列車では、24時間を越える旅程も珍しくはなかったということを考えると、一等寝台車を一等座席として昼間だけ使うこともできたのだということが分かってくる。ただし『阿房列車』では一等寝台を昼間だけ使うという旅行のことは出て来ないので、寝台を使わずに一等座席としてプルマンをあるいはコムパートを使えるかどうかということはなお検討の余地がある、ということは付け加えておきたい。

もっとも一等寝台車を一等座席として使えたとしても、コムパートなら個室として利用価値はあるが、ただ広いだけで、特にリクライニングシートが備えられた特ロ(特別二等車)が登場してからは、一等に乗りたいというだけで、プルマンの昼座席を使おうという人がいたかどうかははなはだ疑問が残るのだが。

『阿房列車』は、旅行記、乗車記としてよりは、歴史旅行記、鉄道考古学の本としてとらえた方がいいだろう。