ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年11月28日水曜日

夜行列車の軽食と飲み物

 日本では例外的な存在になってしまった食堂車。ヨーロッパではまだまだ健在。と言っても一頃に比べればその衰退は否定しようがない。
 以前だったら昼行の優等列車の他に長距離を走る夜行列車にも食堂車はよく連結されていた。しかし現在は、寝台車を連結した国内・国際の夜行列車から食堂車の姿が消えつつある。残念ではあるがこれが時代の趨勢か。

 夜行列車ではカートサービス、つまり車内販売もないことが多いから、食べ物・飲み物は基本的には乗車前に購入して持ち込むということになるが、車内で入手することも全く不可能というわけではない。
 例えば、ドイツ鉄道のオンライン検索で列車を検索すると、

Imbiss und Getränke beim Schlaf-/Liegewagenbetreuer erhältlich

という説明をよく見かける。訳せば「軽食と飲み物は寝台車/軽寝台車給仕のところで購入可能」となる。
 つまり車内販売は各車両に回って来ないが、寝台車(もしくは軽寝台車)のサービススタッフのところまで行けば購入できるというわけだ。

 しかし一体どんなものが帰るのだろうか。前回の「阿房列車、統一号」のときにベルリンからドレスデンまで利用したD列車D 60457は、CNL/EN Phoenixという立派な夜行列車の尻尾であったが、乗車のときに「購入可能」な軽食/飲み物リストをもらってきたのでここに紹介したい。

 以下が、そのメニューをスキャニングしたもの。




  あまり画質がよくないが、だいたい読み取れるだろうか。

  •  飲み物は、暖かいものが紅茶、フィルターコーヒー、カプチーノ。ソフトドリンクが、ミネラルウォーター、コーラ、オレンジジュース、リンゴジュース炭酸割り、アイスティー。アルコール飲料が、ワインとビール(チェコビール、ダークビール)
  •  食べ物が、フランクフルトソーセージ&パン&マスタード/ケチャップ、日替わりスープ&パン。スナックがサンドイッチ、グミキャンディー、ナッツのウェハー、ピーナッツ、チップス、クロワッサン、スニッカーズ。
  •  朝食として、マフィン、エキスプレス・ブレックファスト、朝食ボックス。

といったラインナップになっている。ベルリン-パリをCNLで往復したときにも似たようなメニューがあったのを覚えている。この列車の寝台車はCD(チェコ鉄道)のものだったのでチェコビールがあるのだろう。
 乗車した日は朝が早く、座席車ではあったがドレスデンまでぐっすりと眠り込んでしまったので何も購入しなかったが、6.40ユーロの朝食ボックスにはどんなものが入っていたのか。機会があれば一度試してみたいものだ。寝台車で供される朝食と同じもの? とすると3.60ユーロのエキスプレス・ブレックファストとは簡易寝台車のものと同じだろうか(ENでは簡易寝台でも簡単な朝食が着くことがある)。

2012年11月26日月曜日

阿房列車「統一号」(6)- ニュルンベルクからとんぼ返り

 午後1時過ぎ、最終目的地のニュルンベルク中央駅に到着。帰りの列車までに2時間近くという中途半端な時間がある。市内観光は、阿房列車の趣旨ではないから期待していないのだが、あてもなく街をぶらりと見るだけという贅沢な散歩に出かけることにした。

 帝国都市だったニュルンベルクには、今でも城壁のほとんどが残っており、中央駅を出ると直ぐに市門が迎えてくれる。土曜日ということもあり街の通りには買い物客が行き来していて活気がある。しかしこれだけの大都市で中世の佇まいを良く残している街はドイツでも少ないだろう。

 この地方で産出されるのか、街の建物は褐色の石材でできていて落ち着きがある。この賑わいと落ち着きがほど良く混ぜっているのがこの街の特徴かもしれない。旧市街の中心部まで出て帰るつもりだったが街を縦断しカイザーブルク(城)まで来てしまった。観光の時間を確保しておかなかったのは悔やまれるがいい街を見つけたということで満足することにした。暖かくなったらゆっくりと訪れたいが、それはそのときになってみないとわからない。片道くらいは阿房列車を仕立てるかもしれない。
 


Museumsbrückeにて

Hauptmarkt

Kaiserburg



 街の雰囲気に見せられて散歩を存分に楽しんでしまったので、休憩の時間も昼食の時間もなくなってしまった。中央駅へ戻る途中にニュルンベルガーソーセージのスタンドを見つけたので、小さなニュルンベルガーソーセージ三本をブレートヒェンに挟んで空腹を慰めることにした。
 もともとこの種のソーセージは好きなのだが、本場で食べる味はまた格別。ゆっくりとビールと一緒に楽しみたいところだが、それも次回のお楽しみとしてとっておこう。


ニュルンベルガーソーセージ



中央駅の駅舎

 中央駅に戻りホームへ出ると間もなくベルリンまでの列車が入線。IC 1604。普段はこのダイヤでICEが走っているようだが、この日は臨時でICに置き換わっている。阿房なのでIC大歓迎。

ICEではなくICが入線。
この列車に乗り込めばあとはベルリンまで寝ていても着くが今回は軽食堂車(ビストロカー)を体験するというのが残された楽しみ。飲み物だけでなく何か食事もとりたい。
 車内は、週末ということもありそこそこ混んでいたのだが、私の予約したコンパートメントはニュルンベルクでは私の他だれもおらず、しばらく独占状態。途中バンベルクからイェナまで男性と一緒だったが、その後もライプツィヒまではまた独り占め。ライプツィヒからは、学生5人が乗り込んでベルリンまでやや窮屈だったが、全体としてはかなり贅沢に空間を使わせてもらった。

ニュルンベルクからベルリンまで使ったコンパートメント。
イェナで同室だった男性が降りた後、再び独りになったので部屋の灯を消して夜汽車のように楽しんだ。外が暗くなると車内が明るければ窓は鏡になってしまって車窓の景色を楽しむことができないが、車内が暗ければ夜の景色を楽しめる。といっても建物や街路灯が見えるくらいなのだが、それでも銀河鉄道の夜が再現される。

 その間、空腹を感じてきたこともあり、食堂車に行くことにした。食堂車と言っても一両の半分だけ。ICの食堂車はほとんどこのタイプの軽食堂車(ビストロカー、ビュッフェ)になってしまった。

 この車両のビストロコーナー以外のスペースは大きなテーブルを備えた一等車。注文すれば、食事をここまで持ってきてくれるようだが、利用している人は誰もいなかった。

ビストロカーの一等席

同じく一等席

 私がここで注文したのは、セットメニューのビールとエンドウ豆のEintopf。Eintopfというんは、いわばごった煮。バイエルンまで来たことだしビールはヴァイツェンとしたいところだったがセットメニューにはヴァイツェンでなくこちらしか選択肢がなかった。ラガーのBecksも嫌いではないので良しとしよう。


軽食堂車の様子。電源がとれるせいかパソコンを使っている人が目立った。
  ニュルンベルクからベルリンまでは5時間あまりの旅だが、朝早くからの活動、街の散歩、ビールの酔いが加わって時間の長さは感じられなかった。

 午後9時前に自宅に戻り、シャワーを浴び、陸酔いを楽しみながら就寝。阿房列車の楽しい一日が終わる。(完)
(2012年11月27日修正)


2012年11月17日土曜日

阿房列車「統一号」(5)- IREでニュルンベルクへ

 今回の阿房列車は、11時36分にホーフ駅を出発して最後の目的地であるニュルンベルクに向かった。乗ったのはIRE 3086列車。IREというのはInter-Regio Expressの略。以前DBの長距離列車体系にはIR、つまりInte-Regio(地域間連絡列車とでも訳そうか)という準急があったが、そのエキスプレスというわけではない。むしろRE(ローカル急行=快速)にI(インター)が付いたという方がわかりやすいだろう。長距離を走るREだと考えればいい。
 このザクセン・フランケン幹線鉄道には以前は長距離列車も走っており、ICEもあったのがそれがICに置き換わり、それもなくなって追加料金不要のIREに変わった。ホーフまで乗ってきたREもそうだったが、今回のIREも以前のICに使われていた振子車両BR612。ICに使われていたと言っても二両で1ユニットの編成を複数繋いでいるだけで、ユニットの両端には運転席があり貫通していない。レストランもビストロもない実質二両の編成。よくこれをICに使っていたものだ。当時は白に赤帯の長距離列車塗装だったのが唯一長距離列車の風格を表していたようだ。それとも座席くらいはICのものを装備していたのだろうか。もっとも走りはかなりスポーティーなのだが。

 ホーフを出た列車は、起伏の多い山村風景の中を走る。フィヒテルゲビルゲ山地とフランケンヴァルト山地の間を線路が通っている。






 ホーフまでの路線に比べると急なカーブの連続が減ったが、それでもダイナミックな走りでニュルンベルクに到着。

 ニュルンベルクに着くと向こうのホームにやはり振子車両が見える。BR612よりも前の車両だと思うが、611だろうか。台車を比べて観察していると、ドイツ人スポッターの姿もあり。ご婦人と一緒の中年男性。ご婦人は奥さんだろうか。男性は撮影に余念がなく、ご婦人は私と目が合い複雑な苦笑。ご同輩!





 612の台車は、ボディーを傾け、車軸の向きを変える機構がよくわかる。(つづく


2012年11月16日金曜日

阿房列車「統一号」(4)- ドイツの鉄道今昔物語

 SFX(ザクセン・フランケン・エクスプレス)に乗ってたどり着いたのはホーフ(Hof)。この列車、日本のFSX(次期支援戦闘機計画)と混同しそうな名前だが、走りもそれと混同しそうだった。

 それを「動」とすれば、下車したホーフの駅はまさに「静」。時間が止まったような佇まい。ホームから駅前広場に出て駅舎を撮影するも、駅前広場のスケールに比べて駅舎のそれが不釣合いに大きいため私のカメラでは全貌を納めることができない。
 ここはかつてザクセン鉄道とバイエルン鉄道の結節点だった場所。日本は明治維新後に鉄道建設が始まったが、ドイツは1871年のドイツ帝国成立以前から各支邦の主導による鉄道建設が始まっており、ここがザクセンとバイエルンの鉄道における接点だった。現在のホーフとは不釣合いに立派な駅舎はその名残と言えるだろう。


 ドイツの駅というのは、中近世の旧市街の外に作られることが多いため、駅前が閑散としているということは珍しくないのだが、ここでは駅舎が立派なだけに、なおさらその寂しさが印象的。土曜日の日中だから、ドイツ人は自動車でショッピングセンターに買い出しにでも行っているのか、駅から真っ直ぐに延びる通りにはほとんど人気がない。


 こういう街は日本の地方都市にも増えているだろうが、モータリゼーションが行き着く未来を見たような気がする。
 駅の周辺を歩いてもベーカリーが一つ営業しているだけで喫茶店一つ見つけられなかったので駅に戻った。駅自体がこの街の観光スポットになっており、正面入口の前には駅の縁起が掲示されている。


 説明によると、鉄道交通の繁栄と衰退を見守ったこの駅は1989年の鉄のカーテンのほころび、ベルリンの壁の崩壊とともに再び歴史の証人になったとのこと。その年、プラハの西ドイツ大使館に逃げ込んだ東ドイツからの亡命者を乗せた列車がこの駅に到着した。タクシースタンドのところにそのモニュメントがある。
 説明書きに添えられた写真(色付けモノクロ写真か?)は、鉄道交通華やかなりし1929年の一・二等待合室だそうだ。一・二等というのは現在のそれとは違って、今で言えばグランクラスと一等のこと。優等客のためのラウンジ。クロスのかかったテーブルがあるところを見ると飲食も供されたのかもしれない。日本にはこういう待合室はなくなってしまったが、ヨーロッパには今でも大きな駅には一等客用のラウンジが備えられている。

 そしてかつてのラウンジだった場所は、今のホーフの駅舎にも残っている。





 復元されたものかもしれないが、古典様式の柱頭を備えた円柱と天井の装飾や明かり取りの天窓などは往時を偲ばせる。今は、軽食コーナーとキオスクがある。

 駅舎で鉄道の歴史散歩を楽しんだ後にホームに出てみるとALEXの列車が止まっていた。この私鉄は、バイエルン州でよく見かけるが、その編成はかつての特急の車両や食堂車などを座席車として連結していることがあり一見の価値がある。車両の更新前に一度乗ってみたい列車。


 ここからはIRE(インターレギオエキスプレス)に乗り、ニュルンベルク中央駅を目指す。(つづく

2012年11月14日水曜日

阿房列車「統一号」(3)- 振子列車は峠のライダー

 20分遅れでドレスデン中央駅に到着。この駅に初めて来たのは確か1990年の夏。まだ辛うじて東ドイツも存続していた。当時は、ベルリンから国内急行でこの駅に着き、ブダペスト行きの国際急行列車に乗り換えたのだった。よく見たわけではないが、屋根を支える鉄骨は古びていて構内も暗かったように記憶しているが、今はすっかりきれいになっている。東西ドイツ統一後の復興事業もさることながら、大洪水で被災した後も改修されたはずだから真新しく見えるのは当然か。ライプツィヒ中央駅ほどのスケールはないが、頭端駅と通過駅を組み合わせた作りはユニーク。ファサードも州都の中央駅に恥じない構え。

ドレスデン中央駅のファサード

すっかり明るくなった中央の行き止まり部分


 この駅で次ぎに目指すホーフ行きのREに乗り継ぐ。REというのはRegional-Expressの略なので「ローカル急行」だが急行と言っても特別料金は不要。意訳すれば「快速列車」ということになる。通過する線路に挟まれた行き止まりの線路と櫛形ホームのある中央部12番線に目指す列車が入線してきた。車内販売は望めないので、コーヒーを買って乗り込む。この区間での楽しみは、ホーフを越えてニュルンベルクまで続く、Sachsen-Franken-Magistrale(ザクセン-フランケン幹線鉄道)とそこを走るザクセン-フランケン急行、つまりこのRE列車。

出発を待つRE 3782列車


 この区間、ドレスデンからホーフまでとホーフからニュルンベルクまでとは、前者がザクセンによって敷設された鉄道で、後者がバイエルンによって建設された鉄道であり、東西ドイツ分裂時代は、ホーフがバイエルン州の北端に位置しそれよりも北は東ドイツ、南は西ドイツだったのでもとから一本の路線であったわけではない。
 それを統一後、東西ドイツの連絡を密にするために、それまで日の目を見なかった二つの鉄路を幹線鉄道として整備することになり、大規模な改修が行われた。それまで最高70 km/hだった路線を最高160 km/hの高規格路線へと整備した。ただしその最高速度は通常の車両ではなく振子機構を採用した列車によってのみ達成される。未電化区間があったために気動車による振子ICE、ICE-TD(今はデンマークとドイツを結ぶ路線で活躍中。「海を渡る阿房列車(11)」を参照)が投入されたこともあったが、短い期間運用されただけで使用が中止された。その後、本来ローカル列車用に開発されたRE車両を利用したICが投入されたがそれも中止され、今は再びローカル線になってしまった。速達列車はREとして、またIRE(Inter-Regio-Express)として残っている。それがこれから乗る列車なのだが、どんな走りをするのかが楽しみ。

 ドレスデンを出発した列車は、直ぐに山岳路線に入り、やがて高原地帯へと進む。地形が単純で平坦なベルリン周辺と比べると、この辺りは変化に富んでいて面白い。10月には黄葉が楽しめるのではないかといった感じの風景が車窓を流れる。
 ここで昨日作ったお弁当を広げる。チーズとスモークトサーモンを挟んだだけのサンドイッチだが、風景がおかずになりなかなかいける。コーヒーは、ドレスデン駅の構内で求めたもの。


 私の陣取った席は、先頭車両のボックス席。二等なのだが、どうもこの部分は本来一等用のスペースのようだ。広さは二等と変わらないが、読書灯があったり、リクライニングはしないものの座布団を手前に引き出せるなど、二等とは少し差別化されているのがわかる。

 
 楽しみにしていた「走り」はどうかというと、これがかなり熱い! IREではなくREなので停車する駅はそれなりに多いのだが、カーブにさしかかってもスピードを落とさずに突っ込んでいくのは峠のライダーかスキーの大回転かといった感じで迫力満点。振子列車というとICE-Tがおなじみだが、カーブの多い在来線に投入されていると言っても、もともとが幹線なのだから、鉄道ファンでもない限り、よほど敏感でないと振子機能を使って走っていることには気がつかないだろう。
 それに対してこの路線の振子走行は、右に左にとカーブの連続で、右カーブにさしかかりボディーが右に傾いたかと思うと、連続してトトトと左に傾いて左カーブ。最高速度の160 km/hまで出ているのではないかという走り。すっかり夢中になってしまって、睡眠不足による眠気も吹き飛んでしまったほど。

ボディーを右に傾けて右カーブ
次は左カーブ

 その他、この区間には有名な煉瓦作りの橋梁(ゲルチュタールブリュッケ)があるのだが、速度を落とさずに走行するもので、あっという間の過ぎてしまってどこがそうだったのかよくわからないほど。改修以前は、橋の上はそろそろと用心深く走っていたようだ。





 ドレスデンを出発したのが定刻の7時54分。ホーフには10時30分に到着したが、私にとってはあっという間の2時間半だった。乗り物酔いではなく、すっかりそのスピードに酔ってしまった。
 これほどダイナミックな振子走行は、かつて経験したことがない。(つづく

2012年11月12日月曜日

阿房列車「統一号」(2)- D-Zug、EN、CNL?

 旅はベルリン東駅から。ここはベルリンが東西に分かれていたとき「ベルリン中央駅」を名乗っていたところ。そういうわけでそれなりに大きく、西ベルリンで中央駅の機能を担っていたZoo駅がその機能をなくしてローカル列車の駅になっても長距離列車駅としてのステータスを保っている。

 しかし今回私がドレスデンまで乗るD列車(D-Zug)が、この駅始発というのは解せなかった。なぜ中央駅始発ではないのか。
 D-Zugというのは、長距離列車の中でインターシティー(IC)やユーロシティー(EC)、夜行のユーロナイト(EN)の格を与えられなかった急行列車。ドイツ国内では臨時であるとか、車両が古く格付けに必要な設備を有していないといった理由でDに留まるものがある。確かにインターネットの時刻表で調べてみると、ベルリンからプラハまで走っているが二等車だけの国際列車。それでECになれないのか。そんな疑問を抱いていたのだが、今回の阿房列車決行の日、東駅に来てみてその謎が一部解けた。

 朝4時前に家を出て東駅に着くと、私の乗る列車は既にホームに止まっていた。緑と白に塗り分けられたチェコの車両。チェコの車両というとハンブルクを発ちベルリンを経由してプラハへと向かうEC列車を思い浮かべるが、その編成に使われている車両に比べると、うらぶれた感じのする車両。国際急行列車というよりはチェコの国内急行といった感じ。また通路に補助席がないところなどは、昼間の列車よりは夜行列車のそれを思わせる。そういうところは簡易寝台車にも似ている。

チェコの機関車の後ろに二両の客車。プラハ行きPhoenix号
その前には?

その前にはワルシャワまでJan Kiepura号を牽引するポーランドの機関車と客車(Bar/二等合造)


ポーランド行きの客車。これも夜行列車に併結。

Phoenix号。テールランプは点いていないが最後尾の客車には旅情が漂う。


 車内を観察し出発を待つ。私は長距離の列車に乗るときには席を予約することにしてるので今回も私の指定席があるのだが、その席には先客がいた。といっても車内はがらがらで予約の札も入っていないので、他の部屋を占拠することにした。



モケットはきれいなのだが全体的に古い感じ。


トイレの他に洗面所もある。夜行列車仕様?


トイレは清潔なのだが、DBに比べるとちょっと臭う。


 発車予定は4時57分だが、それを過ぎても発車しないのは、併結列車が遅れているせい。この列車は、サボを見るとEN 457 Phoenixとある。切符にはD 60457とあるが、これはEN 457でもあるのかとわかった。ENとはユーロナイト、つまりヨーロッパの国際夜行急行。併結相手はCNL 457でアムステルダムとコペンハーゲンから来る編成。これもCNLといっているがENの扱いなのかもしれない。今日は20分の遅れが出ている。

 その到着を待っていると隣にワルシャワ行きのEN 447 JAN KIEPURA号が入ってきた。ワルシャワ行きのはずだが、ロシアやウクライナの寝台車も連結されている。これらの車両は途中の区間だけのお客を扱わないので、列車の行き先にモスクワと表示されていないのだろう。この列車は前夜バーゼルを出発したもの。途中までCNLと一緒に走っていたはず。ロシアの寝台車は最近調達したものなのかとても立派。Innotransにも出展されていたが、内装も豪華なようだ。ロシアのビジネスマンや富裕層は、飛行機を使うよりもこういった豪華列車を好むのだろうか。それとも外国の空港でチェックを受けるとまずいもの、飛行機には乗せられないようなものをお客が持ち運んでいるのだろうか。中間での区間利用を許さないのは営業権の問題でもあるのだろうが、何となく秘密主義が雰囲気を感じるのは私だけだろうか。

ロシア鉄道の寝台車、実に立派。編成の中ではDBの簡易寝台車が一番みすぼらしかった。


青と白の車両はポーランドの寝台車。こちらも立派。


 ともあれ深夜/早朝の時間帯は、普段目にしないような変わった列車、車両にお目にかかれる。まるで深海探検!

 20分遅れのCNL列車KOPERNIKUS/Phoenixは、時刻表にはそのように列車名が載っているが、Phoenixというのはこのベルリンからの編成なのかもしれない。CNL列車は東駅の手前に待避線でもあるのか、機関車に牽引されるのではなく押されて東駅のホームに入ってきた。先頭の青い車両は寝台車だろう。


CNL 457と併結


 軽い衝撃とともに二つの編成が一つになった。しばらくして発車。ノンストップでドレスデンへと向かう。現在、開港が遅れているベルリンの新空港ベルリン・ブランデンブルク国際空港は、来年2013年に新しい開港スケジュールが決まったが、これもどうなるか。2014年にずれ込むかもしれないが、開港の暁にはこの列車も空港駅に停車するのかもしれない。

 検札が済んだので部屋の照明を落とし、三時起きの睡眠不足を補うことにした。しばし爆睡。座席車だが、大鼾をかく同行者もいないので二時間だけだが実によく眠れた。

 ドレスデン近くで目が覚める。今渡った川はエルベ川?などと思っていると、列車は定刻よりも20分遅れでドレスデン中央駅のホームに滑り込んだ。遅れはほとんど取り戻せなかったようだ。チェコのすばらしく無骨な電気機関車に曳かれた列車は、この後ザクセンのスイスを通って国境を越えプラハに至る。(つづく

チェコの電気機関車。角張ってます。

チェコの寝台車。台車には空気枕を採用。

隣のホームにはヴィースバーデン行きICE。好対照の二編成。