ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
と詠んだのは室生犀星。ベルリンという異郷に住むとやはり故郷への思いが募る。精神的な想いという抽象的なものはもちろんだが、日本で覚え親しんでいた味、具体的には食べ物への想いも郷愁の一つ。口、胃袋で感じる郷愁とでも言ったらいいだろうか。
あるとき、ふとあんぱんが食べたくなった。柔らかくてちょっと甘みのあるパンの中に餡子が入っていて、艶やかな皮にゴマやケシの付いたあのあんぱん。食べたいという欲望は、意識した途端にどんどんと強くなっていく。ゴマやケシ、餡子の中の小豆の皮が歯で潰され、噛み切られるときの甘く心地よい刺激・・
さて、どうしよう。家族や友人に日本から送ってもらうか・・。いや、そんなことをしなくても、ベルリンに住んでいる日本人なら簡単な解決法を知っている。日本のパンを売っているパン屋に行けば簡単に買える(あんぱんもあったよね)。
なんだそんなことか、買って来て食べればいいんだ。簡単簡単、と思ったら、室生犀星の歌が浮かんで来た。「ふるさとは遠きにありて思うもの」なのだ。遠きふるさとが、簡単に手の届くところにあったら、想いだけが遠ざかってしまう・・。
なんて言ったら、なんて天邪鬼(あまのじゃく)と思われるかもしれないが、私の偽らざる感情の運動なのだ。
じゃあどうする? 食べたいと思いながら、食べられられない苦しみを楽しむ? そういうのをドMと言うのだろう。そういう傾向がないわけでもないのだが、私にはもっと妙案がある。遠くのふるさとを思いながら、手の届かないあんぱんを食べる方法。
まずトルコ系のスーパや市場に行ってButterling(ブッターリング:「バターリング」の意)というパンを買ってくる。それに自家製の餡子、できなければ、妥協してアジアショップで缶詰なりを購入、を挟んで口に運ぶというもの。このブッターリング、形はあんぱんとはだいぶ違うが、味といい、食感といい、ゴマがまぶされているところといい、あんぱんの「パン」にそっくりなのだ(少なくとも私はそう思う)。
トルコ系スーパーで買ったブッターリング(バターリング)パン |
小豆で作った餡を挟みました。形はともかく、味はあんパンそのもの! |
食べるときには、是非、目をつぶって故郷を思いながら食べて欲しい。口の中にふるさとの思い出が広がるから。
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