Am Schragenを出て連邦道2号線にもなっているNedlitzer Strasse(ネドリッツァー・シュトラーセ)(通り)を北上。「赤い兵舎」と呼ばれる建物群が終わる辺りで左折してAm Golfplatz(アム・ゴルフプラッツ)(通り)を進む。舗装道路だが自動車の通行量は少ない。ポツダムの郊外に出て広い畑を左に見ながら道は続く。栽培されているのは麦だが、ライ麦だろうか。
「赤い兵舎」。もとは軍事施設だが現在は住宅やオフィスが入る。 |
広い麦畑。気持ちが清々する。 |
道なりに進み、Fahrländer Damm(ファールレンダー・ダム)(堤)を終点まで歩くとWeißer See(ヴァイサー・ゼー)(湖)が見える。訳せば「白湖」だが白くはない。運河の一部となっている。釣り人とハイカーの家族あり。道を戻り、しばらくバスも通る舗装道路を進み、Lerchensteig(レルヒェンシュタイク)に入る。そこから先は森の中を通る。この森は、薪を採るための村の入り会いなのだろうか。樹々が鬱蒼として蚊も多い。何台かの自転車とすれ違う。
鬱蒼とした森の中の小道 |
森を抜けて左折するとAlter Königsweg(アルター・ケーニヒスベーク)に入る。訳せば「かつての王の道」の意。名前だけ? それとも実際に「王の通った道」だったのだろうか。
「かつての王の道」 |
さらに右折して牧場を過ぎる。水飲み場には牛が集まっている。
広い牧場。牛が水飲み場に集まる。 |
道なりに進み自動車の通行量が多い道路を越えてSchwarzer Weg(シュヴァルツァー・ヴェーク)へ。鉄道橋に併設された歩道橋を渡って運河を越えると今日の目的地Marquardt(マルクヴァルト)に入る。
ここには「幽霊城」と噂されるマルクヴァルト城がある。その荒れ具合は、その名にふさわしく、いくつかの怪奇現象が報告されているが、その起源は、18世紀末の城主が「Rosenkreuzer(薔薇十字団員)」という秘密結社の会員であり、しばしば降霊会を催していたことにあるのではないかと思われる。
マルクヴァルトの廃城。幽霊城? |
それについては19世紀の文筆家であるTh. Fontane(フォンターネ)が報告している。城の庭には「Blaue Grotte」(青い洞窟)と呼ばれる施設が作られ、そこで降霊会が行われていたとのこと。この洞窟、内部の壁が青く装飾されていたことから「青い洞窟」と呼ばれていたようだが、二重壁で作られており、どうもその壁の間に鳴り物と役者を入れて降霊会が行われていたらしい。つまりインチキということか。
その降霊会には時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世も参加していたようだ。前回、ポツダムのノイアー・ガルテンに「貝殻洞窟」の遺構を見たが、これでマルクヴァルトの「青い洞窟」とポツダムの洞窟が繋がったか。降霊術に凝った王様が自分のところにも「洞窟」を作らせたと考えれば納得がいく。そして今回、Alter Königsweg(かつての王の道」を通ったが、その名前は王がこのマルクヴァルトへ通ったことの名残なのかもしれない。
「青い洞窟」は、今は跡形もないが、あった場所は確認されており、いくつかの資料もあるので再建話もあるそうだ。それによって亡霊ではなく観光客を引きつけようというのだろうが。
16時18分、この村唯一のレストランに着き、今回の旅程を終了。歩数は12119歩に達していた。ケーキとコーヒーで腹を満たし、無人駅からローカル列車に乗り、ポツダムを経てベルリンへ戻る。
村唯一のレストラン、Zum alten Krug。「古ジョッキ亭」とでも訳そうか。 週末でハイカーやサイクリストのお客が多い。 |
距離:11 km
時間:2時間41分(休憩等を含む)
歩数:12119歩
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