自分の席に就き、仕事の続きを始めるとやがて灯がついた。機関車が連結され電気の供給が始まったものと見える。車内のコンセントにパソコンの電源アダプターのプラグを差込む。
出発の15分前になると、同室の乗客が入ってくる。最初は初老のドイツ人男性。次は中年の男性。この人もドイツ語を話す。初老の男性に私は挨拶した。グーテン・アーベント! ドイツ語話すんですか、と彼。はい、パーフェクトではありませんが、と私。それは有り難い、と初老の男性。こんなやり取りがあった。同室になった以上、深く話し込むことはないにしても自分の言葉で意思疎通できるのは、やはり有り難いのだ。
これで3人の乗客がそろった。最後の一人は、発車間際に乗車してきた。髪の毛は長いが、これも若作りの中年男性。見事におじさんばかりがそろった。若い人が横になれれば楽だと思って簡易寝台を選ぶなら、バースに空きがある限り少しでも安い6人部屋を選ぶだろう。簡易寝台ではない(本格)寝台車の料金が高価過ぎる、あるいはその本格寝台の閉鎖的な空間は避けたいが、少しでも楽に旅行したいと考えて4人部屋を選ぶのはこういう面々である。
最後に入ってきた男性は、パリであった建築関係のカンファレンスに出席した帰りだと言う。話してみると気さくな男だが、私がベルリンに住んで何をしているのかとか、ちょっとこの年のドイツ人にしては、そして車内でたまたま会ったにしてはプライバシーにまで踏み込んで来るので何か違和感を覚える。そして語尾で、まぁ、とか、へぇ、とかと日本語に似た反応をする。もっとも、ヘッセン州の一部では「ねぇ」と日本語の同意を求めるときのような音を言葉の最後につける地方もあるので、こういうドイツ語もあるのかと思っていたが、間もなく彼が何ものであるのかがわかった。彼は、日本在住のドイツ人研究者で、パリでのカンファレンスには日本から来たのだとか。
その彼、大学は出たもののならぬ、大学院は出たものの+博士号はとったものの、職がなく将来を悲観している。実はその話を聞くと身につまされる、と言っては、ちゃんと博士号まで取得できた彼に申し訳ないのだが、自分の身に照らし合わせて名状し難い感情がこみ上げてきた。その件では、お互いにいろいろ話すことがあり、途中からは日本語も交えて話し込んだのだが、同室者も他にいることだし、お互いに眠気を催してきたことなので休むことにした。時刻は22時近かっただろうか。
私とそのドクターが上のバースを使い。下を初老の男性とおとなしい中年男性が占めた。その二人は途中ハノーファーで下車するとのこと。初老の男性が、鍵は上に一つ、下にチェーンキーが一つあるので、外に出て帰って来たらこれをロックするようにと説明する。かなり旅慣れているようだった。
今回も鼾が聞こえてきたのだが、前回と違って許容範囲。パリで一日歩いたこともあり、仕事があったせいもあり、疲れてよく眠れた。
早朝、下のバースの二人が下車して行くのが感じられ目が覚めた。列車はハノーファー中央駅に到着しているようだ。もう少し寝ていたいところだが、のこのこと起き出してホームに出てみる。列車は、ちょうどハンブルク行きの編成を切り離す最中で、間もなくテールランプの赤色を後に出発して行った。
ハノーファー中央駅にて、ハンブルク行きの編成が発車 |
こちらは寝台車に赴き列車給仕からコーヒーを求めて車室に戻る。同行のドクターも起き出してきた。彼もまたコーヒーを調達しに出て行った。私は昨夜の残りのサンドイッチを朝食として片付け、車窓を眺める。暗かった景色が明るさを増していく。夜が明けた。ハノーファーから先、ベルリンまでは単調な風景が続くのだが、それでもこの時間の景色を見たのが初めてということもあり、何か新鮮に感じる。
列車はほぼ定刻でベルリン・シュパンダウ駅に到着。ベルリンからパリに行くよりも、パリからベルリンに戻って来る方が、時刻表の上で1時間ほど所要時間が短い。三つの編成を一つに連結する作業よりは、一つの編成を三つに分ける方が時間がかからないということか。
私はドクターに、また会いましょう、と別れを告げて通勤時間にさしかかったシュパンダウ駅で下車した。(完)
こちらは二等座席車。3席同士が向かい合っているが、足を前に伸ばしてもぶつからないように列が互い違いになっている。少しリクライニングもするが一晩ここで過ごすのはかなり辛そうだ。CNLは、日本の高速バスのようなリクライニングシートを売りにしていた時期もあったが、パリ発の列車にはそれはなく、座席車はみなこのようなコンパートメントタイプ。 |
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