ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2011年1月22日土曜日

スペルト小麦を混ぜたライ麦パン

今回の投稿もパン作りです。だんだん何のブログなのかわからなくなってきました。

さて前回、クヴァークとスペルト小麦を使ってブレートヒェン(プチパン)を作りましたが、期待が大きすぎたせいか、成果は満足のいくものではありませんでした。しかしスペルト小麦に独特の風味があることがわかりましたので、今回はそれを活かせるものがないかと思い、ライ麦と混ぜてブロート(パン)を作ってみました。

レシピは、全粒小麦とライ麦を混ぜてパンを作ったときのものと全く同じで、その全粒小麦にスペルト小麦を使ったというだけ。

工程は次のようなものです。

まずは毎回同じですが、ハンドミキサーで5分間生地をこねます。いつもと同じなんですが、今回は発見がありました。
これまでこのハンドミキサーを使うのにかなり力を要していたのですが、それは使い方が悪かったのだとわかりました。ハンドミキサーを回すとかなり力がかかるものですから、生地の固まりの端の方で、こね棒にあまり生地が食い込まないようにしていたのですが、実はその調節に力が必要だったんです。そしてそれは無駄な力。
むしろ生地の中央にこね棒を突っ込んで生地がそこを中心に流れるようにして棒の角度を適当に調整すると棒はしっかりと生地に絡まり、作業にもそれほど力を要しないということがわかりました。慣れた方なら当然なのかもしれませんが、私には大きな「発見」でした。

発見ってそんなものですよね。自分にとって未知のものを見つけ出す。それが発見です。ドイツ語だとEntdecken(エントデッケン)といいますが、覆いを剥ぐという意味です。英語のDiscoverと同じです。私が覆いを剥いだということが重要なんですね。「発見」によって私の知識、経験が増えたってことです。

で、できた生地がこれです。いつものより滑らかによく混ざっているような感じがしますので、この後の工程も期待が持てます。


そして覆いをして暖かいところに置いておくと、やはりきれいに大きく膨らみました。それを軽くこねて型に入れ、水を塗って小麦粉をふります。そうして再度暖かいところに置いて膨らむのを待ったのか下の写真。かなり膨れています。それもきれいに。ひょっとして大成功でしょうか。


それをいつものように200度に熱したオーブンに入れて焼きます。焼いている間にもスペルト小麦のいいにおいがしてきます。普通の全粒小麦でもいい香りがしたのですが、スペルト小麦は独特の芳香を漂わせます。

そして待つこと40分あまり。いよいよ焼き上がりました。出来上がったのが、これ。



ナイフを入れて二つに割ってみたのですが、表面の堅さに反して中はかなり柔らかいまま。そのためかナイフで切ったものの、表面と中身が一部はがれてしまいました。上の写真でそれがわかりますか。これは焼き方に改善の余地あり? それともナイフの使い方の問題でしょうか。

それはまあ、今回は棚上げにしておくとして、味の方ですがやはりスペルト小麦の独特の味がよく出ていて、普通の全粒小麦とはひと味違った美味しさです。それがうまく表れたので、味の方は大成功といますね。

ただ外はクッキー並みに堅く、中が柔らか過ぎるというのはいかがなものか。焼き時間が長過ぎたのでしょうか。あるいは温度が高すぎたのか。次回までの宿題になりそうです。

2011年1月16日日曜日

スペルト小麦を使ってクヴァークブレートヒェン

今回も言葉の説明から始めないといけませんね。
スペルト小麦というのは、小麦の原種だそうですが、一時期栽培されなくなっていたのが復活したのだそうです。いろいろな効用が知られていますので関心のある方は調べてみてください。ちなみにドイツ語ではDinkelと言います。スーパーの粉ものの棚に置かれていたのを以前から知っていたのですが、かなり高価なのでなんなんだろうと思っていました。今回、使うことになり興奮気味です。
次は、クヴァーク。ドイツ語ではQuarkと書きます。辞書には凝乳やカードと言う訳語が載っています。チーズの原料だそうですが、濃いヨーグルトのような感じです。
そしてブレートヒェン。ドイツ語ではBrötchenと書きます。ブロートBrotがパンですから、そこに-chenがつくと小さなブロートです。

で、下の写真に材料が勢揃いしています。クヴァーク、蜂蜜、イースト、砂糖、ディンケル
(全粒)、塩、レーズンです。ちょっとここには入っていませんでしたが、水とバターも必要です。

クヴァークはは脱脂のもの、Magerquarkを使います。レーズンもいろいろな種類があるんですね。知りませんでした。レシピにはどれを使えとは書いてありませんでしたので、適当に選びました。

やたらとja!と書いてある製品が多いですが、ドイツのスーパーによくある安価なブランドです。味は、悪くはありません。私が買い物すると、一番安いものを買うので、籠の中がja!祭りになってしまうことがよくあります。



作り方ですが、まずはこの材料をすべてボールに放り込みます。


次は前回と同様、ハンドミキサーで5分間こねます。うちでは電動ドリルと呼んでいます。


5分間こねたものが下の写真。均質に混ざったようです。


これを布巾で蓋をして暖かいところに置いておくと下の写真のように膨れます。


打ち粉をして長く伸ばし、


16個に切ります。皆同じ大きさになるように(下の写真はなっていませんね)。


それを丸めて紙を敷いたプレートの上に並べます。


もう一度暖かいところに置いておくと、こんなふうに膨れます。うちのプレートはちょっと小さすぎましたね。隣の生地とくっついてしまっています。



そして200度にしたオーブンで25分ほど焼くと出来上がりです。ちょっと焦げたかな。


こんなにできてしまいました。しばらくディンケルブレートヒェン祭りになりそうです。


味はなかなかですが、期待していたほどではありませんでした。もう少し風味が違うのかなと思ったのですが、それほどでも・・。

かなりうまいのですが、当初の期待が大きすぎたようですね。

2011年1月10日月曜日

小麦・ライ麦ミックスブロート

ブロートというのは、ドイツでパンのことですが、このパン、何と呼べばいいのでしょうか。レシピの本には、Weizenmischbrotとあります。直訳すると小麦混合パン。

小麦とライ麦がはいっているのですが、「小麦混合」と言うからには、ドイツではパンはライ麦が基本で、それに小麦が混ざっているということでしょうか・・。

このパン、何と名付けるか。まずは作り方を読んでいただいて、皆さんのご意見を伺うことにしましょうか。

材料は、下の写真にある通りです。



といってもこれだけではわからないでしょうから、著と書きましょうか。

まずライ麦粉150 g(タイプ1150)と小麦全粒粉350 g。
1袋のDr. Oetkerイースト。銘柄はこれでなくてもいいのでしょうが、レシピの本を出しているのが、そのDr. Oetker(ドクター・エトカー)なので本にはそう書いてあります。レシピ本は、安売りでしたが、本で儲けようとは思っていないのでしょうね。話がそれました。材料の説明を続けます。
塩を小さじすり切り2杯。ちなみにドイツ語ですと、小さじはTLと略します。Tee-Löffel(ティースプーン)のことです。ここでは、南ドイツ産の岩塩を使いましたが、どんなものでも結構です。余談ですが写真にある黄色い箱の岩塩、ドイツでは普通のスーパーで売られているものですが、日本では高いそうですね。ドイツでは1ユーロもしませんが。
蜂蜜1 EL。ELはEss-Löffelのこと。直訳すると食べスプーンですからテーブルスプーンのこと。スープを飲むスプーンだと思ってください。つまり大さじです。ちなみにドイツ語では、スープは飲むものではなく、食べるものです。濃厚な感じがしますね。それだけでお腹いっぱいになります。
食用油50 cc。もちろん食用です。工業用油やミシン油を入れる人はいないと思いますが念のため。ドイツ語ではSpeiseölといいます。分けて綴れば、Speise-Öl(シュパイゼ・エール)。シュパイゼは、食べ物、料理という意味。エールは、ご想像通りオイルのことです。菜種油とか、ヒマワリ油とか、普通の炒め物に使う油です。Neutralöl(ノイトラールエール)、つまりニュートラルな油と書かれていることもあります。あまり癖のない油ということでしょうか。
あとは人肌に暖めた水300 ccです。

作り方にいきましょう。
上の写真のように粉もの、食塩、イーストをまぜでかき混ぜ、水、油を足します。

次にハンドミキサーで5分間、よくかき混ぜ、全体が均一になり滑らかになるようにします。結構力の要る作業です。ハンドミキサーには、こね棒が装着されています。ドイツ語ではKnethakenと言います。



混ざったら布巾を掛けて暖かいところに20分くらい置きます。下の写真は、暖房用のヒーターの上に載せているところ。これが便利なんですよね。


20分ほどするとイーストの効果で、下の写真のように膨らみます。
20分と書きましたが、重要なのは時間でなく膨らむことです。見るからに大きくなるまでまちます。ならなければ時間か温度が足りません。もう少し暖かいところに置き直してください。


膨れたら、台に粉をまぶしてその上で軽く混ぜ、下の写真のように長細くします。まぶす粉は普通の小麦粉で構いません。



そして長細い型に収納します。レシピの本には約28 cmと書いてありますが、そのあたりは適当で構いません。うちにあったのは24 cmです。


型に入れたら表面に水を塗り、小麦粉をまぶします。こちらも全粒粉ではなく薄力粉です。

そして暖かいところに布巾を掛けておいておくと、また大きく膨れます。


膨れたらナイフで1 cmほどの深さの溝を下の写真のように入れます。


そしてオーブンを摂氏200度の温度に熱してから、そこで焼きます。焼いている間にもいいにおいがしてきます。



40分から50分でアルマジロの焼き上がりです。ここでも重要なのは時間ではなく、焼けたかどうかという頃合いです。その頃合いがわかるかどうかは勘ですね。自分で焼けたと思ったらオーブンを止めてください。ただし自己責任でお願いしますね。

さあ、焼き上がりました。ふっくらと美味しそうにできました。


日曜日のブランチのためにアレンジしてみました。ゼクト(ドイツのスパークリングワイン)と挽きたての豆で淹れたコーヒー。皿にはチーズとサーモンを盛りつけてあります。

このミックスブロートは、そのままでも十分に美味しいのですが、蜂蜜やバターをつけるとさらに美味しくなります。

さあ、Guten Appetit!(グーテン・アペティート、召し上がれ!)


このブランチのアレンジメントは、日曜日の小さな贅沢、と名付けました。さて今回焼いたミックスブロートは、何と名付けましょうか。

レシピは、Dr. Oetker, Backen - So geht das - Die wichtigsten Grundrezepte in einem Buch, Bielefeld, 2006.を参考にしましたが、レシピそのものではなく焼いた経験をレポートしました。材料や手順の詳細はこの本をご覧下さい。Dr. Oetker、侮れません。

割と簡単にできて、味は絶品です。お試しあれ。日本で作るには材料が高いかもしれません。

2011年1月9日日曜日

新コーナー:ベーカー・ベルリン

新しいコーナーを作りました。船旅とはあまり関係なさそうなのですが、個人的には結構「あり」なのです。

船旅が好きで、浅田次郎の『シェラザート』を読まれた方、いらっしゃいますか。あの中で船のパン焼き職人は、厨房ではシェフに次ぐ、あるいは同等のランクだということが書かれていました。戦前、外国航路に就航していた船ではそういうこともあったのでしょうね。ひょっとして今もそう?

料理は各国それぞれの料理があり、乗客の国籍による好みもあるでしょうから、甲乙をつけるのが難しい。しかし日常のパンとなると、甲乙がはっきりとついてしまう。そうなると一流の船には一流のベーカーという組み合わせがあっても不思議ではありません。そうなるとベーカーの地位が高いというのは説得力がありますよね。

そしてベーカー⇒パンと言えば、私の中ではドイツ。ドイツのパン、これが結構うまいんです。そして私のドイツ人の友人の従兄弟がパン焼きで、日本の有名クルーズ船に勤務していたことがあると聞いて、やはり外国航路-パン-ドイツ人のベーカーという連想が私の中で定着しました。

この連想の連環は他にもあり、書き出すときりがありません。そんな連想から、船旅や船について書くはずのブログでパンをテーマにします。どうぞお許しあれ。

そしてここでとりあげるのは、どこの船でうまいパンを食べたとか、どこにうまい店があるということではなく、コーナーの名前にある通り、自分がベーカーになったつもりでパンやケーキを焼くというもの。焼くにあたっては、主としてドイツのレシピ本を使います。

ドイツと食、あまり結びつかない組み合わせですが、素朴な美味しさが私の周りの食通の間で話題になっているんですよ。

さて最初は何を焼きましょうか。

2011年1月6日木曜日

欧亜連絡鉄道の夢

日本は空前の「鉄」ブームで鉄道に関する書籍、情報が続々と世に出ているようですね。私もAsahi.comに載っていた広告を見てどうしても欲しくなり帰国中だった女房に頼んでムックを買ってきてもらいました。

それがAERA Mook『昭和の鐵道と旅』。


特に読みたかったのが「東京発パリ行き。大列車時代」という記事。戦前に「奇跡的」に実現した東京発、大陸経由、西欧着の鉄道連絡ルート。もちろん日本と大陸の間は関釜鉄道連絡船、大阪-大連航路、敦賀-ウラジオストック航路(後の二者は鉄道連絡ではなかったのかな)が入っています。

記事によれば東京を発つと最短ではベルリンに15日目、パリには16日目には到着したそうです。1990年に私がシベリア鉄道を使って陸伝い、日本海を渡って日本まで旅行をした時、出発はブタペスト、到着は横浜でしたが、モスクワでの1泊を含め車中泊と船中泊で12泊でしたから当時とそれほど変わっていないと言えるでしょうか。

インド洋、スエズ運河、地中海を通れば1930年代後半の「東アジア急行汽船」(現在ブログ「ベルリン造船所」でそのうちの一隻、ポツダム号を建造中)を使ってもブレーメンと横浜は35日もかかったそうですから倍以上の速達だったと言えます。


寝台車とは言え汽車に揺られての旅ですし、荷物の積み替えや、体制の異なる国を含め多くの国境を通過する旅ですからけして楽なルートではなかったでしょうが、コンコルド並の超特急ルートだったんでしょうね。

ムックでは、林芙美子などこのルートを使って旅した人がとりあげられていますが、私の知っているところでは零戦を開発した堀越二郎設計者も、戦前このルートでベルリンにたどり着き、ドイツでユンカースの工場を見学し当時の航空機製造の先端技術を学んで帰ったということです(柳田邦男『零式艦上戦闘機』)。今では鐵道浪漫主義者くらいしか使わないルートですが、当時は実務者が利用するビジネスルートだったのでしょう。

今では船による欧州-東アジアの定期航路となると貨物船しかありませんが、鉄道は越境上のいろいろな制約があるとはいえ、定期旅客交通路として健在です。いつかまた陸伝いに日本に帰国してみたいもの。できれば今度は満州里経由で大連から大阪へ。朝鮮半島経由というのはいつ実現するかわかりませんね。欧亜連絡鐵道ルートは、それくらい「奇跡的」だったと言えるかもしれません。