だから、やや正確に言うならば「商業的生産の北限を越えている」と言えば良いのだろうか。つまりワイン(ブドウ)を栽培したときの収量や品質によって、それを売っても儲けにならないとなると、その北限を越えている、ということになる。しかしこれとても時代によって変わってくるものであり曖昧さは免れない。
交通機関が整備されていなかった時代は、うまくもないワインが少量しかできなかったとしても、外からの輸送費用を考えれば十分に採算の取れた場合もある。そういうところはだいたい鉄道の開通とともに地元のブドウ栽培、ワイン醸造業が衰退、消滅している。一方、それとは逆に観光業が盛んになってくると、うまくなくてもその土地の味を味わいたいという需要も出てきて、いったん衰えたブドウ栽培、醸造業が復活したところもある。
外から入ってくるワインの品質と値段に負けて、こんなところでワインを作っても明日は知れたものだと撤退したにもかかわらず、観光業が昔からの伝統としてワイン文化があったなどと吹聴するのはけしからん話だが、数年前にザクセン地方を旅したときには、いったん衰えたという事実を伝えた上で、外から訪れる観光客のためにワイン産業が復活した、と地元ワインを出すレストランに説明があったのには感心した。好ましく思い、うまいとは言えないワインを味わってみようかという気にもなったものだ。
さてベルリンでも、かつてワイン栽培が行われていたかどうか。頑固な農家が、まずくても売れなくても自家消費用に細々と作っているという話はまだ聞いたことがないが、街の地名にはいくらかブドウ栽培の痕跡を留めている。
ドイツ語でワイン/ブドウを意味するのはWeinという言葉。ワイン山ならWeinbergだが、それが付いた地名は、ほとんどなくなってしまったが皆無ではない。ベルリンのミッテ地区(「ミッテ」とは中央だから、ベルリン中央区ということか)に、Weinbergsweg、直訳すれば「ワイン山通り」という通りが残っている。
「通り」を意味する単語にはWegの他にStraßeという言葉もあり、こちらは英語にすればstreetだから、街の中の通りをイメージさせる。wegはどうだろうか。私には細いあぜ道のよなものを連想させるが、確かではない。
手元に『ベルリン街路名事典(Lexikon der Berliner Straße)』という本があるが、それによればこの通りは、1845年にはその名前があり、そこにあったワイン山に因んでいるとのこと。
今では街中の最も繁華な地域に属するようになってしまったが、当時はここも葡萄畑が広がる丘陵地帯だったようだ。下の二枚の写真は、地下鉄駅もあるRosenthaler Platz(ローゼンタール広場)の交差点から見たもの。
写真は、一番低い交差点から北北東方向を向いて撮影したものだが、奥に行くに従って上り坂になっているのがわかる。当時は丘陵の南側斜面で、ブドウ栽培に適さないベルリンとは言え、その中では最も日当りの良い場所だったのだろう。
次の二枚の写真は、坂を上がって広場方向を見下ろして撮影したもの。
山と言っても、傾斜はこの程度でそれほどの急斜面ではなかったようだが、当時はベルリンの街を見下ろせる見晴らしの良い土地だったのだろう。ここで乏しい陽光を最大限に利用してワインを栽培していたのなら、その健気さが愛おしくも思えてくる。
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