ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2013年11月17日日曜日

ドイツで郵便バス復活(画像あり〼)

 ヨーロッパで鉄道が交通の主役になったのは19世紀の半ば以降。それ以前は、街道を結ぶ定期旅客交通の主役と言えば郵便馬車だった。その名残は、ドイツでは絶えて久しいが、スイスには今も郵便バス(Postbus)として見られる。

 それがここに来てドイツでも復活の兆しを見せている。これまでは遠距離交通としてはドイツ鉄道が優遇されており、50 kmを超える長距離バスは路線開設が限定的にしか認められていなかった。それが2013年になって自由化されたことで各地で路線開設の動きが活発になった。そして11月、ドイツポストのバス路線が出現した。郵便バスの復活!

 先日、ベルリンのZOB(中央バス駅)にその姿を探しに行った。時刻は13時30分、ちょうどライン地方へと向かうバスとハンブルク行きのバスが停車中だった。

 下の写真がライン地方行き。行き先はボン。バスはADACとPostの共同事業になっている。ADACは、全ドイツ自動車クラブで日本のJAFに相当する組織。真新しい黄色の塗装が曇り空を背景に映えていた。


 後ろの郵便バスがハンブルク行き。ベルリン - ハンブルク間はこれまでもバス交通が盛んだったが、ポストの参入で競争が激化しそうだ。


 行き先の表示板にもPostbusの文字。マグデブルク、ハノーファー、ビーレフェルト等に停車してボンへと向かう。


 あと5分で発車だが、車内はがらがらだった。まだあまり情報が浸透していないのか、皆時間のかかるバスは敬遠しているのかは不明。サイトによると車内はインターネットも可能で電源もあるとのことだ。チケットは郵便局でも購入できるそうだ。ポストバスは、まだ夜行運転は行っていない。ライン地方まで乗り続けるのは辛そうだが、マグデブルク程度なら乗ってみたいもの。

 長距離交通での優遇を奪われたドイツ鉄道も黙ってはいない。下の写真はベルリンのバス会社BEXと提携するDBバス。車体のカラーデザインがICEやICを彷彿とさせる。ただこれによってIC路線はますます整理されるのかもしれない。DBではICバスを走らせている。





 最後の写真はベルリンの中央バス駅(ZOB)の待合室の様子。インフラがかなり古い。バスは安価な交通手段ということもあって東欧からの旅客やバックパッカーの姿が目立つ。

ちょっとうらぶれた感じは、「今度のバスで行く〜。西でもひが〜しでも♪」という歌がよく合いそうな雰囲気だ。

追記:
Postbusは、2016年11月1日をもってFlixBus統合されました。黄色い塗装のポストバス、ノスタルジックで好きだったのですが残念です。参考ページ:https://www.flixbus.de/postbus(2018年1月18日)


2013年11月10日日曜日

ICEスプリンター再び(今回は一等車)

 エルベ川の洪水で寸断されていたベルリンとヴォルフスブルクを結ぶ高速線は、その復旧に2014年初頭までかかると一時期言われていたが、それよりもずっと早く2013年11月には復旧した。そして再びスプリンターがベルリンとフランクフルト・マイン間を走り始めた。

 昨年、ヴィースバーデンで開催された見本市にこの列車で出かけた。今年は、高速線寸断の影響でマグデブルク経由となるため日帰りは厳しい、それなら今回は見合わせるかと考えていたのだが、高速線の復旧が早まり再度の見本市訪問が実現した。昨年は2等車の個室を使った。混んでもいなかったし十分快適だったのだが、今回は1等車を利用することにした。ただ去年と違い早めに予約したので、実は去年の2等での往復よりも安くついた。

 朝6時少し前、ベルリン・ズュートクロイツ(Südkreuz)駅に列車が入線。この日は11月6日だが、11月1日のスプリンター(?)は、この駅には停車も通過もせずに、ベルリン東駅を始発としてベルリン市内を南北ではなく東西に横切って運転したようだ。車内で入手した運行表によれば、東駅を4時20分に出発し、シュテンダール他、通常のICEが停車する各駅に停車しながらフランクフルトへと向かったということがわかる。ヴォルフスブルクからブラウンシュヴァイクを経由してヒルデスハイム、ゲッティンゲンに停車しているのでハノーファーは通らないショートカットコースで走っていたことになる。


 スプリンターは、快速ICEだが車両は何の変哲もないICE第1世代の編成。大分陳腐化した。

 下の写真は、1等車の個室。座席はご覧の通り開放室のそれと同じ独立シート。2等車の座席とは違うのだが、片側に3人×2の6人部屋だからその点は2等と変わりがない。部屋は2等よりは広いのだろうが昔は5人が定員だったのでダウングレードの感は否めない。


 私が今回予約したのはコンパートメントではなく開放室の方。昨年、帰りの列車で同室の人が話し好きでゆっくり休めなかったという経験から今回は開放室を選んだのだが、コンパートメントもがらがらだったので、こちらでも良かったかもしれない。その辺りが1等車と2等車の違いか。

 下の写真が1等車の開放室部分。私に割り当てられたのは独り掛けの席。それはいいのだが、何と窓側に関わらず柱の陰で外が見えないという最悪の席。ベルリン最後の停車駅シュパンダウを過ぎても席に余裕があったので窓のある席へと移動した。


 昔は窓の位置に合わせて座席が配置されていたはずだから、こういう柱の陰で外が見えないという席はなかったはずだが、後から前後の間隔を詰めたのだろう。コンパートメントと同じでここにもダウングレードの痕跡が伺われる。昔に比べると今の1等車は、1.5等車、昔の2等に近づいて来ている。驚くなかれ、前後の間隔だけをとるとICE1等車のそれは、東海道新幹線の普通座席よりも窮屈ということになる。まあベルリンとヴィースバーデン往復を135ユーロで購入できることもあるのだからその点は致し方ない。ダウングレードにも感謝。

 それでも1等車が2等車と違うところもある。それは、ICEに限るが、供食サービスがあること。有料だが食堂車からの出前を座席で受け付けてくれる。スプリンターの場合、さらに無料の軽食サービスがある。チョイスは、ハムかチーズのサンドイッチ。簡単な食事だがボリュームはかなり。それにお茶/コーヒーとジュース、お菓子も配られる。コーヒーは、おかわりもあり。


 昨年は、到着がかなり遅れてスプリンター&ICE特別料金が払い戻されたが、今回は定刻通り9時42分にフランクフルト中央駅に到着。

 ちょうど列車を降りるときにお客さんからの問い合わせの電話があった。このお客さん、この前デュッセルドルフに行ったときも中央駅で列車が入線して来たときに電話をくれた。鉄道の旅と縁があるのか?

 駅のラウンジに駆け込んで、メールをチェックし、電話で問い合わせをくれたお客さんにも返事ができた。依頼の内容は鉄道とは何の関わりもなかったが・・。

 ラウンジを使えるのも1等車の恩恵。移動中でも落ち着いた環境で仕事ができるのは有り難い。

帰路に利用したラウンジの様子(1等専用ブース)


2013年10月22日火曜日

66湖巡り(4)行ってみないとわからない(ヴスターマルク - ブリーゼラング)

 10月半ばを過ぎ、ベルリンの気温はどんどん下がって行く。もう20℃まで届かない日がほとんど。しかしこれくらいの天気が徒歩旅行にはぴったり。20℃を超えるとむしろ長い道のりが辛くなる。
 7月半ば、前回の「苦行の道」で懲りたために、8月は一度も「66湖巡り」には出かけなかった。9月は歩くことを忘れ、10月に入り思い出してベルリンの中を歩いてみるとやはり郊外にも出かけたくなる。
 10月20日、食事を終え、仕事を片付けて、急遽出発。前回の終点であるヴスターマルクまではポツダムで乗り換えてローカル列車で30分あまり。もっとショートカットのルートもあるのだが接続が悪かった。

 列車好きのためにローカル列車の写真も掲載しておこう。

ポツダム中央駅にて。近年配備が進んでいるローカル列車用の車両。

2等席。開放的で明るいが、椅子と窓の位置が合っていない。最近の車両はすべからくこうなっている。

折りたたみのテーブル。お弁当も載せられそうだ。

 時間は15時19分、ヴスターマルクの駅前からは前回通った道が続く。ここからスタート。万歩計を0にセット!

 ヴスターマルクの教会。何の特徴もない集落には、こんな教会の鐘楼もアクセントになっている。

 この66個巡りのトレイルは、道しるべがよく整備されている。地図は持って来ているが、あまり詳しくはない。地図を見るよりも道しるべを頼った方が楽。


 ヴスターマルクの集落を出るとトレイルは再びハーフェル運河の岸を進む。こういう道は歩きやすい。ただ今回のコースは、アウトバーンが並行していて自動車の騒音がいつも聞こえてきてムードがない。ガイドブックにも「あまりお勧めではない」と説明されていた。前回が苦行の道で、今回は何と呼ぼう。この辺りはあまり魅力的ではない。


今回のルートは比較的単調。これと言ったクライマックスがないが、下の写真の辺りは、出かける前から興味のあった場所。実はここは、Google Mapで道として登録されていない箇所。どうなっているのかと近づいてみると、道しるべが見えてくる。そこを過ぎると・・。


 こんな細い路が河岸を通っている。そしてその先には別の運河があるはず。地図では、橋は確認できなかったのだが、運河は既に使われていないのか、ハーフェル運河本流とは分断されているようだった。狭い水門があったが船は通れそうもない。


 落ち葉を踏み分けながら進むと、オートキャンプ場。ここは民有地。Google Mapにルートとして出て来ないのは、そのためか?
 ここには、感じの良い軽食堂があるとのことだったが、営業時間は不定期だそうだ。私は見つけることができなかった。



 このキャンプ場を過ぎると道が急に怪しくなり、歩きづらくなる。前回通ったような草に覆われた苦行の道が、秋色に姿を変えて現れる。夏草よりは大分歩き安いが、それでもかなりの難所。足の裏が痛くなってくる。

君はアザミ嬢の成れの果て?
道の両脇には丈の高い草がことごとく枯れた状態で覆い被さる。夏草の旺盛な生命力を思い出すとそのコントラストに名状し難い感情が湧く。寂寥感とでも言うのだろうか。




 この先、ガイドブックでは、アウトバーンを横切るにはかなり迂回して立体交差を通らなければならないが、近くまで来ると道しるべは高架下を通るように導いてくれる。たしかに高架下は通れたが、そこを過ぎて一般道で出ようとすると遮断機が下りている。もちろん歩いて通るなら、跨ぐか、足の短い私は潜れば済む。


 遮断機の向こう側には、立ち入る事なかれ、の札があり、短足小心の私には、いけないことをしてしまったという不安が募る。怖いお兄さんや官憲の来ないうちに、立ち去るにしかず。


 ここを過ぎるとようやく人里が近づく。鳥がいくつもVの字を描いて編隊で飛んで行く。これは雁がね?


 ようやく辿り着いた人里はブリーズラング(Brieselang)。街は線路を挟んで北と南に広がる。南は集合住宅があるが、北はこの通り一戸建ての家が続く。ベルリンの典型的な近郊都市だそうだ。それにしても何とも殺風景。それでも広い庭と新鮮な空気は、ベルリンに勤めるお父さんたちの憧れなのだろうか。街の入口から駅までさらに2 kmの道のり。


17時7分、今日の目的地ブリーゼラング駅に到着。この駅も無人駅でローカル列車しか止まらないが、路線はベルリンとハンブルクを結ぶ幹線。戦前から高速運転で知られた路線。高速列車専用線(いわゆる新幹線)ではないが、かなりの速度で特急列車ICEが通過する。戦前は、シーネンツェッペリン(線路ツェッペリン)と呼ばれたプロペラ推進の車両も通ったのだろうか。





大きな地図で見る


今回のデータ
 日付:2013年10月20日(日)
 天候:曇り
 ヴスターマルク駅出発:15時19分
 ブリーゼラング駅到着:17時07分
 所要時間:1時間48分(1.8時間)
 距離:約7.8 km
 歩数:11150歩
 速度:4.33 km/h


2013年9月29日日曜日

66湖巡り(3)苦行の道(マルクヴァルト - ヴスターマルク)

 夏も盛りの7月20日(土)、24℃、晴れ。前回の道に繋げるために午後マルクヴァルトへと向かった。街の郊外、そしてローカル線となると週末はぐっと運転本数が減り、バスに至っては週末はすべて運休というところも多い。幸いにしてマルクヴァルトへは2時間に一本はローカル線が出ている。しかしポツダムに着いたのは、その2時間が始まったばかりの時刻だった。運良く30分後にバスが出る。30分走るとマルクヴァルト城前の停留場に到着。

 14時50分にマルクヴァルト城前(レストラン前)を出発。一路、北へ向かう。まずはアスファルト舗装された道路。見通しがよく自動車の通行量は少ない。かなり立派な並木があり所々に「66湖巡り」の道しるべも見える。日陰になっていないのが辛い。



 大通りを後にしてコースはベルリンを大きく取り囲む大環状線の線路に沿って北へと続く。線路際の廃屋は、かつて駅だった場所。駅舎だろうか。いつ廃止されたのかはわからないが、東西統一後だろうか。住民が皆自動車を持てるようになると、ローカル線の駅はほとんど使われなくなってしまう。

線路際の廃屋。かつての駅舎?
  この線路際の道がかなり長く続く、高くはないが木が日陰を作っているところもあり、ありがたいが、風景は単調。所々、太陽光発電施設やバイオ燃料用のトウモロコシと思われる畑をみる。「電気畑」や「バイオ燃料畑」?

ドイツ、ブランデンブルク州の電気畑

66湖巡りの道しるべ、新しい。

 今回、なるべく地図に頼らず、66湖巡りの道しるべを頼りに歩いてみた。すると畑の中、その一部とも思われるところに出てしまった。あぜ道のようでもあるが、一面草で覆われていて歩きにくい。不安が募る。


 この道でさえ、かなり歩きにくいが、道はさらにひどくなる。獣道のようなところを通り、原生林へと続く。果たしてここが本当にコースなのか。しかしここまで来てしまっては仕方がない、ジャングルに突入!


 ジャングルの中はわずかに人の通った気配がするが、じめじめとしたひどい道。蚊が襲ってくる。襟のボタンを全部とめて、蚊を払いながらの行軍が5分ほど続く。蚊の攻撃が凄まじい。既に何箇所かでヒット。


 ようやく明るくなってきたと思ったら、その先が高くなっており、それを登ると堤防。道は間違っていなかったようだが、これはひど過ぎる。密林をようやく出たところで後ろを振り返ると、66湖巡りの道しるべが見える。しかしこれ、堤防の上からでは見逃してしまう。時計回りに歩いているので何とかなったが、逆回りではこのコースは無理だったかもしれない。


 後で地図を確認するとこのジャングル抜けのコースは最近設定されたことがわかった。66湖巡りの地図にはここではなくもっと遠回りだが、普通の道がコースとして設定されていた。そちらが今も本道で、こちらは別の選択肢だったのかも。

 ようやく抜けたところは、それまでとは全く違って歩きやすい堤防上の道。隣を流れるのはハーフェル運河。ドイツ分裂時代に作られたようだ。西ベルリンを通らずに貨物船を通すためのもののようだが、現在はほとんど船は通らない。レジャーにはいいが、維持のための財政的な負担は重いだろう。


 10数分歩くと小集落Karpzow(カルプツォー)。ここで橋を渡って対岸の道を北へ進む。



 道はある、しかし人や車はほとんど通らない。夏の暑い盛りで草が伸び放題。気をつけないと足を取られるほど。膝を大きくあげての行進が続き、体力を消耗する。


 道のど真ん中に生えて今や花を咲かせようとしているのは、アザミだろうか。この草が生長する間、自動車はずっと通っていないようだ。



 さて体力も持ってきた水も消耗し尽くしたところでようやくWustermark(ヴスターマルク)の街に近づく。普段はアスファルトの舗装道路は堅くて長く歩くのには辛いのだが、草ぼうぼうの悪路を歩いてきた後は却ってありがたい。

 ここまで来れば一休みできる、と思ったが甘かった。この季節、こんな田舎町では飲食業もバカンス。街に数件しかない喫茶店も休暇中。喉が渇く。

喫茶店はUrlaub!(バカンス中)


 仕方なく駅へ。運がよければ自販機で飲み物くらいは調達できるかもしれない、と思ったが、運は悪い方へと傾いた。この駅には自動販売機はなし、次の列車まで一時間待ち。
 いや、運が悪いのではなく、これがこの地方の普通。自分の運を嘆く必要はないのかもしれない。それにしても今回の道のり、苦行のような行程だった。

 密林で蚊に刺された箇所は、数日間腫れとかゆみが残った。地図で見るとあの場所は湿地帯になっている。どおりでかが多かったわけだ。しかも強力。

2013年7月24日水曜日

閉鎖しそうでしないテーゲル空港と開港しそうでしないベルリン・ブランデンブルク空港

 シェーネフェルト空港のターミナルを移転拡張して開港するはずだったベルリン・ブランデンブルク空港とそれと引き換えに閉鎖するはずだったテーゲル空港、どちらも予定通りに進まない。
 前者はドイツ鉄道のトップだったメードルンがトップに就任し、一日も早い開港を実現しようと奔走しているようだだが、その努力は空回りしているようにも見える。完全開港が無理にしても、部分開業ならと北ターミナルを格安航空会社用に供給し、今年中に実績を確定しようとしていた彼だが、それもやはり実現せず、部分開業があり得るとしても2014年にずれこむとの報道が、少し前にベルリンの日刊紙に掲載されていた。
 鉄道の連絡もなく、ルフトハンザやAir Berlinといった主要航空会社の就航もないまま部分開業するのは、さぞ寂しいことだろう。

 一方、テーゲルの閉鎖も一体いつになるのか見通しが立たない。そもそも完全に閉鎖するかどうかも怪しくなってきている。近い将来に新空港が開港することを見込み、つまりはテーゲル空港の閉鎖を予定して、短い耐用年数を見越して建てられたにわか造りのターミナルが痛々しい。あのオクトーバーフェストのテントのような建物も少なくとももう一冬は越さなければならないようだ。

2013年7月21日日曜日

錆び付くICE高速線(ヴォルフスブルク-ベルリン・シュパンダウ)

 今日の徒歩旅行、帰りはWustermark(ヴスターマルク)からローカル線に乗った。並行して走るベルリンとヴォルフスブルク/ハノーファーを結ぶICE高速線は、エルベ川の洪水で同区間が不通になり、長距離列車はポツダム、マグデブルクを通る在来線へ迂回しているため、列車が通らず線路が既に錆び始めている。夏草も旺盛な生命力でスラブ軌道内にも生え始めている。復旧にはかなり時間がかかりそうだ。

表面が錆び始めたICE高速線の線路

ICE高速線とローカル線のWustermark駅。

 ベルリンとRathenow(ラーテノー)を結ぶこのローカル線、ICEから眺めるばかりで利用したのは実ははじめて。線路が何本もあってわかりにくいが、この駅のところでは単線運用のようだ。同じ時間にREが両方向から入ってきてこの駅で交換していた。

2013年7月19日金曜日

66湖巡り(2)二つの洞窟を繋ぐ道(ポツダム - マルクヴァルト)

 7月14日、曇り、ベルリン地方の最高気温は20℃。曇り空は憂鬱だが暑すぎないのは却ってありがたい。この日「66湖巡り」の二回目を敢行。コースは、前回の終点であったポツダムのPfingstberg(プフィングストベルク)を下ったAm Schragenの停留所。ポツダム中央駅からその停留所までは路面電車で行ける。

 Am Schragenを出て連邦道2号線にもなっているNedlitzer Strasse(ネドリッツァー・シュトラーセ)(通り)を北上。「赤い兵舎」と呼ばれる建物群が終わる辺りで左折してAm Golfplatz(アム・ゴルフプラッツ)(通り)を進む。舗装道路だが自動車の通行量は少ない。ポツダムの郊外に出て広い畑を左に見ながら道は続く。栽培されているのは麦だが、ライ麦だろうか。

「赤い兵舎」。もとは軍事施設だが現在は住宅やオフィスが入る。
広い麦畑。気持ちが清々する。


 道なりに進み、Fahrländer Damm(ファールレンダー・ダム)(堤)を終点まで歩くとWeißer See(ヴァイサー・ゼー)(湖)が見える。訳せば「白湖」だが白くはない。運河の一部となっている。釣り人とハイカーの家族あり。道を戻り、しばらくバスも通る舗装道路を進み、Lerchensteig(レルヒェンシュタイク)に入る。そこから先は森の中を通る。この森は、薪を採るための村の入り会いなのだろうか。樹々が鬱蒼として蚊も多い。何台かの自転車とすれ違う。

鬱蒼とした森の中の小道


 森を抜けて左折するとAlter Königsweg(アルター・ケーニヒスベーク)に入る。訳せば「かつての王の道」の意。名前だけ? それとも実際に「王の通った道」だったのだろうか。

「かつての王の道」

 さらに右折して牧場を過ぎる。水飲み場には牛が集まっている。

広い牧場。牛が水飲み場に集まる。


 道なりに進み自動車の通行量が多い道路を越えてSchwarzer Weg(シュヴァルツァー・ヴェーク)へ。鉄道橋に併設された歩道橋を渡って運河を越えると今日の目的地Marquardt(マルクヴァルト)に入る。

 ここには「幽霊城」と噂されるマルクヴァルト城がある。その荒れ具合は、その名にふさわしく、いくつかの怪奇現象が報告されているが、その起源は、18世紀末の城主が「Rosenkreuzer(薔薇十字団員)」という秘密結社の会員であり、しばしば降霊会を催していたことにあるのではないかと思われる。

マルクヴァルトの廃城。幽霊城?


 それについては19世紀の文筆家であるTh. Fontane(フォンターネ)が報告している。城の庭には「Blaue Grotte」(青い洞窟)と呼ばれる施設が作られ、そこで降霊会が行われていたとのこと。この洞窟、内部の壁が青く装飾されていたことから「青い洞窟」と呼ばれていたようだが、二重壁で作られており、どうもその壁の間に鳴り物と役者を入れて降霊会が行われていたらしい。つまりインチキということか。

 その降霊会には時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世も参加していたようだ。前回、ポツダムのノイアー・ガルテンに「貝殻洞窟」の遺構を見たが、これでマルクヴァルトの「青い洞窟」とポツダムの洞窟が繋がったか。降霊術に凝った王様が自分のところにも「洞窟」を作らせたと考えれば納得がいく。そして今回、Alter Königsweg(かつての王の道」を通ったが、その名前は王がこのマルクヴァルトへ通ったことの名残なのかもしれない。

 「青い洞窟」は、今は跡形もないが、あった場所は確認されており、いくつかの資料もあるので再建話もあるそうだ。それによって亡霊ではなく観光客を引きつけようというのだろうが。

 16時18分、この村唯一のレストランに着き、今回の旅程を終了。歩数は12119歩に達していた。ケーキとコーヒーで腹を満たし、無人駅からローカル列車に乗り、ポツダムを経てベルリンへ戻る。

村唯一のレストラン、Zum alten Krug。「古ジョッキ亭」とでも訳そうか。
週末でハイカーやサイクリストのお客が多い。


   距離:11 km
   時間:2時間41分(休憩等を含む)
   歩数:12119歩