ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年12月22日土曜日

乗ってみたいヨーロッパの列車

 このページには、自分で見つけたヨーロッパの魅力的な列車、乗ってみたいものについて書く。自分のメモとして残しておきたい。


チェコとスロヴァキアを貫く夜行急行列車 Excelsior

 チェコの西の端Chebからスロヴァキアの東の端Kosiceまでを15時間以上かけて走り抜く。一応国際列車であるが、チェコスロヴァキアと一国だったこともあるためか、準国内列車の様相を呈している。編成は、寝台車、簡易寝台車、1・2等座席車と、食堂車こそ連結されていないが、昔ながらのバラエティーに富んだ構成。2等座席車は、中東欧の国内(一部国際)列車標準の8人のコンパートメントらしい。中東欧の国はEUに加盟したところも多いが、こういうところに共産主義時代の遺制が残っていて懐かしい。私も1990年にブダペストからベオグラードまでの夜行列車で同様の2等座席車を体験している。
 また深夜のプラハで1時間以上停車したり、途中で分割、併結もするようでミステリアス。寝台車は伝統的なT3のようだが、同室の人を煩わせないようにできればシングルユースしたいもの。しかしチェコ国鉄のサイトでは、なぜかチケットを扱っていない。扱うのは2等扱いの寝台・簡易寝台と座席のみ。寝台車は必ず3人部屋になってしまう(2012年現在)。
 この列車についての情報求む!
(2012年12月11日)


プラハとレーゲンスブルク、ミュンヘンを結ぶ国際快速列車

2012年夏のタイムテーブルには、チェコの首都プラハを朝の9時7分に発ち、レーゲンスブルクを経てバイエルン州の首邑ミュンヘンに15時3分に到着する国際列車が設定されている。この列車、6時間ほど走るかなり長距離の列車であるにもかかわらず、国際急行であるECや、ときに国境を跨いでも走っている国内急行ICといった優等列車の格付けがされていないところが面白い。チェコ国内ではExで走っているので割と優等列車の待遇を受けているのか。ドイツ国内に入るとALEXという私鉄が運行している。部類としてはREと同等のローカル急行、つまり快速列車。しかしさらに面白いことに、この優等列車になれなかった国際快速列車には食堂車が連結されている(トーマスクックより)。
 チェコ国鉄のサイトで検索してみると、この列車には、なんと立派に愛称まである。
Ex 352 Franz Kafka(フランツ・カフカ)がその名前。編成は6両で、開放室と仕切室の二等車、車椅子利用者や子供連れ家族用のスペースのある二等車、それに開放室の一等車の構成。その一等車にビストロかバーコーナーがあるらしく、トーマスクックはそれを食堂車と表現しているようだ。

 この異例ずくめの国際列車、いつか乗ってみたい。ベルリンから行くとプラハ出発が朝早いのがネック。折り返す列車にミュンヘンやレーゲンスブルクから乗ってプラハへ向かうとなると出発時刻が遅くチェコの風景は暗くなってしまってちっとも楽しめないし、プラハに着いてからではベルリンに向かう列車はもうない。となるとプラハで前泊して朝の列車に乗るか、チェコの風景を諦めるならプラハで一泊してベルリンに戻ることになる。
(2012年12月18日更新)


ベルリンとブダペストを結ぶユーロナイトEN 476/7 Metropole



私が乗りたい列車というとどうしても中東欧の列車になってしまう。理由はいくつかある。
 まず私が住むベルリンという街の位置。ドイツの首都といってもその中心からあまりにも東にずれている。となるとそこは鉄道路線網の中ではベルリンはドイツのと言うよりは中東欧の要衝になる。となると中東欧の鉄道が身近だ。
 次に、昨今の鉄道の高速化、合理化の中で西欧世界の列車は固定編成の新幹線列車が主流になってきたが、私はこの種の列車にあまり魅力を感じない。となると機関車が牽引する昔ながらの客車列車で離合集散を繰り返して目的地に向かう列車が看板列車として残っているのは中東欧である。
 最後に初めて海外旅行を敢行した1990年の中東欧旅行の思い出がある。あのときはヨーロッパにはまだ格安航空会社は出現していなかったので、移動は鉄道だったが、切符を買うところから始まって座席の確保、車室での他の旅行者とのコミュニケーションなど印象深く、その追体験を求めるところがある。
 この三つくらいが中東欧の列車を好む理由であるが、このユーロナイト列車はその理由のすべてに合致している。この列車はベルリンを夕刻の18時台に出発して、ドレスデン、プラハ、ブラチスラバを経由して朝の8時半にブダペストに到着する。編成はベルリンからブダペストまで通しで走る車両、プラハで増結されてブダペストに至る車両、途中で別れてウィーンへと向かう車両、ポーランドのワルシャワから来て途中で併結されてブダペストまでご一緒する車両と盛りだくさん。その他にも途中で併結され、あるいは分割される車両があるかもしれない。まさに中欧のMetropoleを結び離散集合をしながら走る「客車」(電車、気動車と区別)の列車。
 そしてこの列車、私が1990年に乗った列車でもある。当時はまだ東ドイツが統一を目前に骸骨だけで残っていたような状態だったが、東ドイツの国鉄DRはまだ残っていた。ベルリンからドレスデンまで国内急行(今はICになっているようだ)で来て、そこでこの列車に乗り換え、ザクセンのスイスと呼ばれるエルベ川の砂岩渓谷地帯を抜けて夜のプラハに。そのまま乗り続けて朝ハンガリーに入るはずが、入国にはビザが必要だと言われて国境で列車から降ろされ、別の通過点からハンガリーに入った。
 そんなわけでまだベルリンからドレスデンとスロヴァキア/ハンガリー国境からブダペストまでは乗っていない。次回はベルリンからブダペストまで通しで乗ってみたい。


(2012年12月22日)




2012年12月12日水曜日

ICxはLCR?

 今年、ドイツ鉄道は老朽化が進むIC、EC用客車の代替となる次期IC用車両を発表した。それがICx。xとはNextなのか、あるいは未定という意味なのか知らないが、新世代IC車両は現在そのように呼ばれている。

 古い車両に代わるフレッシュで快適な車両と言えば聞こえはいいが、実質的にはどうも逆で、省エネ、低排出を実現することは技術的には確かなようだが、その恩恵が直接に届くのはドイツ鉄道にであって利用者ではない。利用者には、一等で930mm、二等で856mmのピッチという「驚異的」合理的な空間提供が実現する(数値はWikiより)。
 一等で930mm!?、この数値は確か日本の新幹線の普通車よりも狭いのではないか。もちろん横幅を考慮しない場合だが。二等の数値も、飛行機のエコノミークラスが標準で79cm〜84cm程度と聞いているから、ローコストエアーよりは広いものの、通常の飛行機の座席配置と肉薄してきたことになる。

 ドイツ人が価格に敏感なのは確かで、飛行機との競合上、競争力のある運賃を提示するにはこのようにして乗客を詰め込み大量に輸送しないと、採算的にも、環境に優しい交通手段としても存在意義を主張できないというのが、背景にあるのだろう。そこには、外国人旅行者が、たまにドイツに旅行に来てゆったりとした地上の旅を楽しみたいというニーズとは異なるものがある。しかし、大柄のドイツ人が、そんな狭いスペースにぎっしり。考えただけで旅行に出たいという気分が削がれる。

 この前、ミュンヘンからベルリンをICEで移動したときに、二等車の三等車化ということを感じたのだが、ICxの規格はそれをさらに定常・固定化するものになりそうだ。一等で930mm、これはかつての二等車と変わらないのではないか。これは一等も二等もLCR(ローコストレール)になったということを意味しないか。

 しかし一方でかつての一等車への需要も残るだろうから、特別優等車両(席)の登場も大いに考えられる。オーストリア連邦鉄道(ÖBB)のRJ(レールジェット)には、一等に追加料金を払うことで利用できるビジネスクラスが設定されているし、チェコも新しいEC用にそのコンセプトに近い列車を導入する計画を持っているようだ。革命は周辺からということだろうか。
 クラスの名称も変わるかもしれない。一/二/三等とするのが一番わかりやすいだろうが、「利用者の感情を慮って」飛行機のようにファースト、ビジネス、エコノミーのようになるかもしれない。諸氏はどうお考えだろうか。

2012年12月8日土曜日

ミュンヘン出張旅行(2) - 帰りは一等車、喧噪の三等車、ときどき食堂車

 到着したミュンヘンは、雪でかなり寒い。ミュンヘンはベルリンよりも南に位置するが、冬はベルリンよりも寒い。内陸は、大西洋の暖流の影響が弱い。

 ホテルは駅の近く。直ぐにチェックインして一休み。インターネットへの接続を確認して、明日のスケジュールをチェックしてから食事に出かけた。行った先は、ホテルのフロントで推薦されたAugustiner Bräuというビール醸造が経営するレストラン。このビール、これまで見かけたことはあったが試したことがなかった。これがとても美味。食事は、ミュンヘン風カツレツ。よくヴィーナーシュニッツェルというが、それと同じものと考えていいだろう。これもまた良し。明日は仕事だというのにヘーフェヴァイツェンに続き、ラガーも試してしまったが、幸い悪酔いはしなかった。店内は、バイエルン風の盛装した旦那衆もいて雰囲気があった。撮影しなかったのが残念。

 翌日、午後の仕事を終えて中央駅に向かう。16時過ぎのICEに乗り、ニュルンベルクで乗り換えてベルリンへ22時過ぎに到着するプラン。
 駅について切符に書かれたホームへと歩き出すと何やらアナウンスが聞こえる。どうも今日はErsatzzug(代替列車)だそうだ。ということはICE用の編成ではないということか。私には興味がわくが、一般の乗客には迷惑なのではないだろうか。出発するホームに着いてみると果たしてIC用の制御車が顔を出している。私には文句はない。


代替列車に使われたIC用一等車(開放室)


 しかも制御車こそ、自転車スペースのある二等車だが、それ以降はすべて開放室の一等車。二等車の切符で一等車に乗っていいということだと判断しゆったりとした2人掛けのシートに陣取るが、出発間際になると大勢が乗り込んできて少し座席が足りなくなる。これでは予約しておいても遅れて乗車すれば席にあぶれてしまったことだろう。しかしインゴールシュタットで何人か降り、私の乗った車両には立っている乗客はいなくなった。
 列車は、インゴールシュタットを出ると、5分ほど遅れてニュルンベルク到着。隣のホームには本来のICE編成が入線していた。本当はそこに私の乗るベルリン行きICEが止まっているはずなのだが、そのホームは変更されている。

 ベルリン・ゲズントブルンネン行きICEは、もう出発時間を過ぎていたのだが、連絡を待っての発車となり出発で遅れを出した。私は自分の席を探して座る。今回は、まだ座席ピッチをつめていない編成で往路で乗ったよりも少しスペースに余裕がある。今回もほぼ満席だが少しはゆっくりと休めるぞと安堵したのだが、出発後それは間違いだったとわかった。

 ニュルンベルを出発しバンベルクを通過した頃、仕事の疲れが出て少しうとうとしたのだが、その頃から周りで携帯電話が鳴り始める。そしてその話し声。収まったと思ったら、またどこかでベルが鳴り、そして通話。やれやれと思うと子供がぐずり始める。やっと収まったと思うと、連鎖反応で他でも負けじとばかりに泣き声が上がる。

 うとうとし始めると起こされるという繰り返し。我慢も限界だが、ここは静寂エリアではないので、携帯電話を使われても、子供に泣かれても文句は言えない。しかたなく食堂車に避難。今回の編成は、食堂車の車両に家族向けのコンパートメントが設置されており、ビストロスペースが狭く立ち席のみ。私はレストランのテーブル席に落ち着き夕食をとることにした。

喧噪からの避難所となったICEの食堂車

Maultasche


 注文したのはMaultascheというドイツ風ラビオリといったようなもの。不味くはないが、もう少しボリュームがあると思っていたので満腹感が得られない。予約で静寂車両を選ばなかったのも失敗なら、この注文も失敗。

 食事を終えて席へ戻るとまた喧噪地獄。前に座っている若い男性が粗野なしゃべり方で盛んに話す。終わったと思うとまた電話が鳴り、終えたと思うとまた自分からかける。私はタバコが苦手なので、日本では禁煙車と決めているが、その席がなく諦めて喫煙車に席を取ったら隣にチェーンスモーカーの乗客が座ってしまったような居心地の悪さ、と例えたら雰囲気がわかってもらえるだろうか。

 ドイツでは、日本と違って車内で携帯電話を使ってもマナー違反とは言われない。ドイツの人口密度、車内での乗客の密集度がそうさせている、否「いた」のだろう。しかし列車も、日本の新幹線並に乗車率が高まり、しかも飛行機並に席が狭くなると、マナー云々とも言いたくなる。他の乗客はどうだったのだろうか。

 ライプツィヒに着くまでこの喧噪は続き、私はもう一度食堂車に避難し、デザートでもとケーキを注文したが、もう品切れとのこと。仕方なくコーヒーだけで我慢したのだが、今回の往復は本当につきがない。ミュンヘン-ニュルンベルク間でICの一等車を楽しめたのが唯一の救いか。

 もうICEには二等車は存在せず、あるのは二等車と言う名の三等車なのだと肝に銘じることにしよう。次回ICEを使うときには、必ず静寂エリアの席を予約するか、早めに予約して一等車を二等車並の割引価格で確保しよう。それしか快適に旅をする途はない。(完)

2012年12月7日金曜日

ミュンヘン出張旅行(1) - 二等車の三等車化、あるいはLC化?

 12月に入ってすぐ、仕事でミュンヘンに出かけた。日曜日にベルリンを出てミュンヘンに泊まり、翌日の午後に仕事を済ませてその日のうちにベルリンに戻るという旅程。
 月曜日の朝早くベルリンを発っても午後の仕事には間に合ったのだが、前泊したのは列車が遅れがないとも限らないので念のため。そして体力温存のため。

 前回の商用旅行は、ICEスプリンターでの日帰りヴィースバーデン出張だった。行きも帰りも遅れが出て、行きはスプリンター割増料金プラスICE料金の払い戻し、帰りはスプリンター料金の払い戻しをうけたが、旅自体はICEの二等コンパートメントで快適だった。比較的空いていたと言うこともあるが、眠りを妨げる騒がしい人が同室にいなかったので、朝早い出発でも寝不足を解消することができた。

 今回は仕事で疲弊することになりそうなので、コンパートメントに席を取り、できる限り体を休めようと思ったのだが、これが失敗だった。ICEでベルリン-ミュンヘンを移動すると最短はベルリンを出発してライプツィヒ、イェナ、ニュルンベルクを経由してミュンヘンに到着するコース。ライプツィヒから先、特にテューリンガー・シーファーゲビルゲ(山地)を越える路線は高速線ではないため振子列車のICE NTの編成になる。この編成でコンパートメントの席を予約しようとすると、運転席の後ろのラウンジ席になる。ここは運転席越しに前方を見られる展望席なのだが、私が今回期待したのは仕切られた空間で静かに移動できるということ。しかしそれもあいにくもう一杯だったようで、インターネットでの予約では希望が容れられず、機械が選択した任意の席になってしまった。急いでいたこともあってそれで良しとしまったのだが、その結果、ひどいことになってしまった。

乗車は今回もベルリン・ズュードクロイツ(南十字)駅から。中央駅よりも乗り換えが楽。


 まずはその込み具合。ライプツィヒを過ぎると車内はほぼ満席。しかも今回のった車両は、どうも本来の座席配置を変更してピッチを縮めたもののようで、その結果窓がない窓際の席があったり、狭い間隔の座席に体の大きなドイツ人をすし詰めにしたような状態。これはかなりきつい。

 そうなると影響がいろいろなところに出る。まず車内の照明。車内が薄暗く日本人には読書ができないほど。外は雪景色でなかなか風情があるのだが、光には乏しい。そして車内の照明は荷物棚の奥に光源を置いた間接照明なので、すし詰めの大人数が大きな荷物を棚に載せるともう光はほとんど届かなくなってしまう。照明の設計自体がこういう満席状態、皆が荷物を棚に置くという事態を想定したものではないのだろう。

車内はこんな感じ。手前は荷物棚に大きな荷物がぎっしり詰まり、照明が車内に届いていない。


 こういう雰囲気はどこかで味わったことがある。そう! 飛行機のエコノミークラス。座席の間隔は、列車の方が若干広いものの、ほとんど余裕のない状態は飛行機のシートを彷彿とさせる。そしてこの満席状態。飛行機は70%以上席が埋まらないと採算がとれないところが多いらしいが、今回の乗車率は8割以上。隣の席に知らない人がずっと座っているのは、かなり窮屈。

 こんなにも混雑している理由は明白。DBが格安切符を販売するようになったからだろう。早くから安い切符を探せば、例えば29ユーロなんていう格安価格でベルリンからミュンヘンまで行ける。これはLCA、ローコストエアーの価格戦略を彷彿とさせる。

 それが座席間隔が狭くなった理由でもあるのだろう。これは、もうかつての二等車ではない。三等車と呼びたい。(つづく



上の三枚の写真は、テューリンガー・シーファーゲビルゲ(山地)
カーブと勾配が連続する難所だが景色は楽しめる。
現在、ここを回避する高速線が建設されている。