ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年6月28日木曜日

海を渡る阿房列車(8) - Trelleborgに到着

時刻は6時30分になろうとしている。ザスニッツを出航したのが2時15分だから、4時間の航海だとすればもう到着する時刻だが、陸は遥か遠くに見えるだけで入港までにはまだかなり時間がかかりそうだ。どうもこの船、減速運転しているようだ。夜間の航海だったせいだろうか。それとも時間調整か。揺れなかったのはこの速度のせいでもあったようだ。白い航跡もほとんど伸びていない。

ずっと外にいるのは寒いのでレストランの席に戻り前方を見ていると船が見えてくる。デジタルカメラを望遠にして撮り、ディスプレーを拡大してみると船の形がよくわかる。


見えてきたのはTT-Lineの船。これは確かロストックとTrelleborg(これでトレレボリと読む)を結ぶ船。以前、デンマークへとんぼ返りの旅をしたときにロストックのフェリー港で見た船。こんなところで再会。

しばらくすると港に船が停泊しているのが見えてくる。この船はSkandlinesのSkaneだろう。世界最大の鉄道フェリーだそうだ。

 時刻は6時45分、船は回頭して港に船尾を向けた。船尾には接岸用のブリッジがあり、スタッフが集まっている。いよいよ入港。

港が近づくと先ほどのSkaneがよく見える。この辺りで船内アナウンスが入り、自動車や列車の乗客は自分の車両に戻るようにと告げる。もう少し見ていたいところだが、列車に戻ることにする。




列車に戻るとデッキの下から水が注がれている。もしやトイレの・・、と思ったが臭くはない。さすがにそちらは船内でこぼすわけにはいかず、タンクが備えられている。流れている水は手洗いの水だけのようだ。

そして船は接岸。まずはトラックが出て行く。

入れ替え用のディーゼル機関車が迎えにきた。鉄道フェリーで運ばれるのは客車と貨車だけで機関車は、港で切り離される。

連結が済むとようやく外へ連れ出される。外に出るとまたバックして今度はプラットフォームのある駅へ。外には教会らしき建物も見える。

そして駅の名前。Trelleborg F。Fは何か? 貨物? あるいはフェリーか。ちなみにこの駅、信号停車だけで街の住人がこの駅を乗り降りに利用することはない。トレレボリは、3万人程度の街だが、鉄道は貨物が通るだけで乗客は扱っていない。近隣の大都市マルメまでは、公共の乗り物はバスしかないが、その方がずっと便利なのだろう。自動車を持たない家も少ないのかもしれない。日本の将来の光景か。



私は千葉県の出身だが、この前帰ったときにぶらっと半島の先端の館山まで行ってみた。昔行った館山は、駅には人が多く駅前もバスの出入りでにぎわっていた印象が強いが、そのときは閑散としていた。列車も昔、L特急と言ってタクト運転していたさざなみ号も今は昼の便がほとんどなくなって朝夕のみの運転になってしまった。それに代わって高速バスが東京と館山を結んでいる。運転本数は特急よりもずっと多い。モータリゼーションも行くところまで行くと鉄道は貨物だけということになるのかもしれない。日本もいつか・・。


この駅も昔は乗客を乗り降りさせていたのだろうか。今は、この列車が唯一の旅客列車となってしまっている。


この駅に30分ほど停車。かなり長い停車のようだが、時間調整のためにそうしているのだろう。船は海の状況しだいで遅れることもよくある。それを鉄道の定時発着性に合わせるのにこれだけの余裕を持たせているのかもしれない。運航と運行を繋ぐジョイントは30分。
入れ替え用のディーゼル機関車が切り離され、やがて本線用の電気機関車が迎えに来た。

ちょっと古めかしいごっついスウェーデンの電気機関車にはcargoの文字が。この列車は、旅客列車だがこの路線が貨物線なので扱いは貨物と同じなのだろう。

そろそろ乗車しなければならない。低い船内駅のプラットフォームやこんな駅で乗り降りするためにか、ドアのステップはドイツでよく見る客車よりも1ステップ多いようだ。

走り出せばマルメは遠くはない。

2012年6月23日土曜日

海を渡る阿房列車(7) - 鉄道フェリーMS Trelleborg船内散策

MS Trelleborgの船内駅を見た後で車内に戻り自分のバースに潜り込む。最上段のバースには登るのにも一苦労。バースに横になりブランケットをかぶって時間の経過するのを待つ。2時過ぎなので4時くらいまではこうして休むことにする。ザスニッツを出て対岸のトレレボリに着くまで所要4時間の航海。後半2時間程度の散策、見学で十分だろう。

船はいつ出航したのか分からないほど静かに港を離れ海上に出たようだ。なぜ分かるかと言えば、その揺れ。船はほとんど揺れないが、静かに横になっていると、線路を走るのとは明らかに違う揺れを感じる。すうっと下がったかと思うと加速しながら登っていく。ただし本当にごくわずか。それでもこれは波によるゆれだと分かる。うねりというものか。嫌いな人もいるだろうが、私にはゆりかごのように心地よい。だんだんと眠くなってくる。

少し眠ったようだが、4時過ぎに目が覚める。もう少し眠っていたいところだが、船内を見る機会はもうないかもしれないので、バースを出た。

当然だが列車は同じ位置に止まっている。撮った写真は眠気のせいか、船の揺れのせいかピンぼけ。いや揺れのせいにするのはよそう。私の手がぶれたのだ。船はほとんど揺れていない。

エレベーターもあったが階段で上のデッキに登る。途中、キャビンの配置図が壁にかかっていた。たった4時間の航海でもキャビンがある。そういえば青函連絡船も4時間くらいの航海だったがキャビンがあり寝台があった。ただ青函連絡船になくてこちらにあるのはキャビン内のトイレとシャワー。キャビンを使っている人がいるかどうか分からないが、自動車の長い旅ならシャワーを浴びられるだけでも便利だろう。ちなみにこのフェリーを運航するSkandlinesのサイトで調べると、運賃は16ユーロ、キャビン使用料は30ユーロからということだ。

次に見たのは船内の配置図。船首が球状船首でないのは、砕氷能力を持たせるためかもしれない。

階段をいくつも上がっていくとようやく一般乗客用のデッキにたどりつく。時刻は午前4時30分頃。バルト海の朝はもう明けていた。写真は、ドイツ側を望んで撮影したものだが陸地は見えない。風は冷たいが広々として清々する。サンデッキもあったが日光浴を楽しめるほどには温かくはない。

 次は後方のラウンジ。両替所や軽食コーナーがあるがいずれも営業していない。このラウンジの椅子は寝るには不便なのかあまり人気がない。奥にテーブルに突っ伏して寝ている人が一人見える。

南のザスニッツからトレレボリまでの航路を示す海図。バルト海を一直線の越える。

空港で見かけるような免税品店が船内にもある。買い物客はこの時間は独りもいなかったがキャッシャーには人がいたので買う人もいるのだろう。私もワインやビールを買いたいところだったが荷物になるので止めておいた。

ラウンジとは対照的に人気があるのはリクライニングシートの席。キャビンとは違い、こちらは特に椅子席使用料は不要。ただし早い者勝ち。その他、日本の船と違って桟敷席というのはないが、通路の床に寝ている人も多い。キャンプ帰りなのか寝袋を使う人も。

船内には歴代の就航船の写真と説明が掲げられている。

写りが悪くて申し訳ないが、かつてはこんな古めかしい船も就航していた。この路線はKöniglinie(キングラインの意味)といって伝統のある航路。かつては鉄道連絡も盛んだったようだ。現在は乗客は増えたが、旅客列車の連絡は、この夜行列車を除いて他にはない。

次の左の写真、FS Trelleborgが今乗っている船。列車デッキにはMSとなっていたが、ここではFSと書かれている。 Ferry Ship。

デッキの前方はレストランになっている。仕切りの向こうは、ビュッフェレストランだが、この航海では営業しない。トレレボリから出港すると営業を開始するようだ。現在準備中。食事は、軽食コーナーがありそこからもテイクアウトできる。

こちらはプロムナード(?)の座席。リクライニングしないが座り心地はまずまず。昼間の航海ならこの席でも十分。以前、Rostock(ドイツ)とGedser(デンマーク)の間で「阿房船」をやったが、そのときの船よりは座席の数が多いようだ。

船内のポスト。かつては船内郵便局もあったと聞くがこれがそうなのか。トレレボリに着くと手紙を回収するそうだ。切手はスウェーデンのものしか使えない。

バルト海のドイツ、スェーデン、デンマーク、ノルウェー、ポーランドの間には様々な航路がある。ここにはStena LineとScandilinesの航路が出ているが、二つの会社は提携関係があるのだろうか。他の航路もいつか体験してみたいもの。

これから熱いコーヒーを一杯飲み、その後はオープンデッキへ向かう。

2012年6月20日水曜日

海を渡る阿房列車(6) - 列車がフェリーの中へ

浅い眠りを繰り返し、夢の入口まで行っては引き返しということを続けていたが、気がつかない間に少し眠ったようだ。ごとごととかたい振動が続いていたのが急に静かになると外から光が差込む。列車は駅に到着したようだ。といってもこの列車は、ノンストップのはずだから信号停車か、と思っていたらカーテンのすき間にプラットホームが見え国境警備員らしき人影が窓のそばを歩いていくのが見えた。列車は、どうやら国境駅のついたようだ。バルト海に浮かぶドイツの島、リューゲン島。そのザスニッツ近郊のフェリー港Mukranのようだ。ここから対岸のTrelleborgまで鉄道連絡船がドイツとスウェーデンを結んでいる。

列車はゆっくりと動いては止まりまた動きということを何度か繰り返す。私は用も足したくなったし、列車がフェリーに乗り込むところを見られるかとバースから起き、コンパートメントを出た。一番上のバースから他の人の眠りを妨げずないようにそっと下へ降りるのはかなり骨が折れる。変なところに力が入って筋肉がつりそうだ。

時刻は午前2時前。コンパートメントから出て車両の前方に行くと、ちょうど列車をフェリーに載せるところだった。前に付いて列車を牽引していた機関車は既に切り離され、連結面の窓の外には何も見えない。後ろから入れ替え用の機関車がこの2両の編成を押しているのだろう。


青函連絡船のような列車用のデッキが口を開けている。一本の線路が船内で四本に分かれる。転轍機は船内ではなく陸側のランプの手前にあるが、普通の転轍機と違って、レールの載ったプレートをずらすことで列車の行き先を決める仕組みになっている。モノレールの転轍機のようだ。

列車は、ゆっくりと船内へ滑り込んでいく。

列車はデッキのまん中のレールに載せられたようだ。船内の駅、小さな狭いプラットホームが見えてくる。

行き止まりには車止めとオレンジ色の扉が見えてくる。

この扉は非常時の避難口になるようだ。救命ボートと非常出口のマークとついているが、列車がこの船内の駅に停まり車両が固定されても連結器側の扉はロックされたままだった。

船内駅のプラットホームに降り立つ。この船はM/S Trelleborgという船名。この列車デッキから出て上のデッキに行ける。直ぐに行きたいところだが、対岸までは4時間の航海ということだから今行くにはちょっと早過ぎる。それに上着をバースにおいてきたので少し寒い。
 上着を取ってきて船内散策という手もあったが、何度も出入りするのは同室の人に気兼ねするし、散策してバースに戻り、対岸に到着するときにもまた出るというのではますます気兼ねする。今回はこのデッキだけを見学して後は船が到着するときにすることに決めた。

船内の駅は小さなプラットホームがあるだけ。あとは駅のトイレがある。トイレは列車内にも一両に二箇所、二両で四箇所あるが、とにかく狭い。便座に座ると私でも脚が壁にぶつかる北欧の大男では便座に座れないのではないかと思うほど。使うならこの駅のトイレの方が快適だ。

船には少しするとトラックが数両入ってきたが、鉄道車両はこの国際夜行急行列車EN 300の2両のみで、同行の貨物列車もない。

一通り見終わると車室に戻った。デッキにいる間、列車からはだれも降りて来なかった。興味もないのだろう。同室の人々もよく眠っているようで、後でフェリーのことを聞かれても白河夜船ということになるのだろうか。

私もあと数時間は眠らなくてはいけない。眠れればいいが、横になって時間が過ぎるのを待つのは辛いものがある。

2012年6月18日月曜日

海を渡る阿房列車(5) - たった2両の夜行急行列車出発

トーマスクック時刻表が届いたその日は、阿房列車旅行決行の当日。荷造りした鞄にこの一冊をしのばせて21時過ぎに部屋を出た。中央駅までは30分足らずなので22時半の出発には早過ぎるのだが気が急いて家にいるよりは外に出た方がずっと気持ちが楽。

夏至も近いこの時期、21時半を過ぎた中央駅のそらはこの明るさ。列車が出発する1時間後は、もうとっぷりと暮れているだろうが、北ヨーロッパの夏はなかなか暮れようとしない。


目的の列車を時刻表で確認すると、22時31分発、スカンジナビア・ナイト・エキスプレスとなっている。トーマスクックには、ベルリン・ナイト・エキスプレスとなっていたが、たしかに目的地を考えればこう呼ぶのが合理的だ。出発は4番線。地下のホームとなる。

地下の4番ホームにある編成表で自分の乗る車両を確かめるべく列車を探すが、載っていない。出発列車表には、たしかに4番線と書かれていたのでこのホームで間違いないはずだが、やはりない。裏にあるのかと思って確かめてみたがやはりない。この列車は、VEOLIA Transportという会社が運行する私鉄。ドイツ鉄道との共同ではないため、ドイツ鉄道が運営する施設では情報が十分でないのかもしれない。

そのホームへ入ってきた列車は、たった2両編成のこれ。国際夜行急行列車がたったの2両とは寂しい限りだが、これが現実。もはや風前の灯火ということか。車両は、普通の2等コンパートメント座席車の通路側の窓を遮へいしている程度、多少屋根がたかいかと思ったが、昼の車両とほとんど変わりがない。これが簡易寝台というもので、重厚な本格寝台とは差別化されている。

車内の通路側。どのコンパートメントも既にカーテンがひかれている。

出発時間が遅いので入線時にはもう寝台がセットされているが、ベッドメーキングは自分でやる。シーツ、タオル、ブランケット、枕カバーが配られていた。6人コンパートメントの簡易寝台はかなり狭い。どのベッドでも横になるだけで、背中を伸ばしては座れない。とにかく寝るだけのスペースしか与えられていない。

2両の車両のうち前の一両には修学旅行帰りと思われる若者のご一行が陣取っている。私の乗る車両は個人のお客ばかり。同室のベッドの向かい側は、ライプツィヒ大学で学ぶスウェーデン人の大学生。二週間の帰省で中部スウェーデンまで行くとか。開催中のサッカーヨーロッパ選手権でスウェーデン代表はイングランドに敗れて早くも敗退決定だとかといった話をした。

2両編成の急行列車は定刻にベルリン中央駅を出発。バースに座っていることもできないし、食堂車やビュッフェといった設備があるわけでもないので横になれば寝る他にできることはない。30分ほどすると改札が回ってきたので鞄にしまった切符(自分でプリントアウトしたもの)を見せるが、身分証の提示は求められなかった。

横にはなるがなかなか寝付けない。寝台はかたく狭い。換気口はモーターの音がうるさく走行中は風が冷たい。浅い眠りを繰り返す。同室の人たちはどうだったのだろうか。

これは寝台車ではない。ドイツ語だと簡易寝台車はLiegewagenというが、これは眠る(Schlafen)のための車両ではない。中国の寝台車は(軟/硬)臥車というが、その臥車がLiegewagenの適訳ではないかと思う。「眠り」は保証されていないのだ。

2012年6月16日土曜日

海を渡る阿房列車(4) - やっと届いたトーマスクック時刻表

今回の阿房列車のために1月以上も前に注文していた『トーマスクック・ヨーロッパ時刻表』が、出発直前になってやっと届いた。これは吉兆と見るべきか、それとも旅先で時刻表とにらめっこしなければならなくなるぞ、せいぜい頑張れよという悲運の神からのせめてものプレゼントと考えるべきなのか。とりあえず旅のアイテムが一つ増えたと言うことは喜ぶべきだろう。


久しぶりに購入したトーマスクックは、厚さは以前とあまり変わらないが、ヨーロッパだけではなく中国、インド、アメリカ、日本、オセアニア、アフリカなどの主要列車も掲載されている。ということはそれだけヨーロッパの鉄道で掲載する内容が減ったと言うことだろうか。それもあるかもしれないが、高速列車網の整備によってタイムテーブルが合理化され紙面を節約できたということもあるかもしれない。タイムテーブル上だけで旅をする時刻表ファンには悲しい現実。24時間以上をかけて運行する列車や車両はロシアから来るものを除いてヨーロッパにはもうほとんどない。


さて私の乗る列車は、昔の時刻表と同じくタイムテーブル50に乗っている。列車番号は変わっていてEN 300となっている。ENはEuroNightの略。ヨーロッパ夜行急行に格付けされている。列車の愛称はBerlin Night Express(ベルリン・ナイト・エキスプレス)。説明には、
3月31日から10月7日まで、但し10月27日、30日、11月1、3日も運行。簡易寝台は2等。軽食とドリンクの車内販売あり(レストランはフェリーの船内で)。マルメ - ベルリン。要予約、特別料金適用。
となっている。レストランは船内でというのが面白い。編成は、座席車はなく、すべて2等簡易寝台だけということ。軽食とドリンクは、カートサービスか、列車給仕から求めるのだろう。

この列車、ベルリン中央駅を22時31分に発つとマルメ中央駅に8時10分に到着するまで途中停車駅はない。飛行機や長距離バスと同じということだろう。時刻表には、フェリー内にどれくらい留まっているのかは書かれていないが、タイムテーブル2385にフェリーの運行が掲載されている。ザスニッツを深夜2時15分に発つ便がこの列車を乗せる船だろう。トレレボリまでの所要時間は4時間ということだから、6時15分が到着時刻と言うことになる。夜食には遅過ぎるし、朝食には早過ぎるが、船内は散策してみたい。

しかしトレレボリに6時過ぎに着くのに、そこからマルメに到着するまで2時間近くもかかると言うのは解せない。そんなに距離はないはずだが。実際に行ってみないと分からないこともある。