ご挨拶

乗り物好きを自任していましたが、このところ徒歩での旅行がマイブームです。

2012年10月28日日曜日

ICEスプリンターでヴィースバーデンへ日帰り出張(2)

 ヴィースバーデン日帰り出張の目的は、Tekomという産業フェアに参加すること。ローカライズや技術関連のコミュニケーションがテーマ。得意先のスタッフに挨拶し、潜在的顧客とコンタクトを取る。午後3時半過ぎ、持ってきた名刺も全部配ってしまったのでヴィースバーデンを少し散歩して、帰途に就くことにした。

 中央駅を予定の列車が出発するのは17時半頃なので、あまりゆっくりと見ていられないが、小さな街でもあるし2時間あれば散歩には十分だろう。フェアの会場には臨時の観光インフォメーションカウンターが設けられており、市内の地図と簡単なガイドをもらう。残ながら日本語のガイドはない(ただしヴィースバーデンのサイトには日本語による観光案内もある)。中国語ならあるそうだ。パリでもそうだったが、最近は団体旅行のお客というと日本人よりは中国人の方が多いのではないかという感じがする。日本人がしだいに団体ツアーに飽きてきていて個人で旅行する傾向が強まっているのに対して、中国人が団体旅行で世界のツーリズムシーンにデビューしつつあるという傾向はあるものの、数の上での勢いがある。日本語を差し置いて中国語と言うのも無理からぬことかもしれない。
 インフォメーションカウンターでは日本語もお願いしますよと、日本語翻訳業界のためにもアピール。
 しかし、私の得意先の一つは、ブースに中国人スタッフと北京支社から呼び寄せたドイツ人のスタッフ、アトラクションとして中国書道のマイスターを配置しての中国市場向けの布陣。ここでは日本語は影が薄い。

 会場を出て、まず旧市街に向かった。ここに限らず、ドイツの街はマルクトプラッツ(市場広場)が旧市街の中心になっている。ヴィースバーデンの旧市街の中心には、マルクトキルヒェ(市場教会)や市庁舎、州議会の議事堂などが並んでいる。

 マルクトキルヒェは、ネオゴシックの立派なもの。州議会(市内宮殿)は、議事堂というよりはホテルような雰囲気。

マルクトキルヒェ

マルクトキルヒェのファサード

州議会議事堂(横から)

ヴィースバーデン市庁舎


旧市街の通り

ヘッセン州州議会議事堂

ヴィースバーデンの北と東は丘になっている


 観光スポットとしては、この他にロシア人教会(正教会)、カジノ、テルメバート(温泉浴場)などがあるが、フェアで会場を歩き回ったせいか、疲れが大分足に来たので諦めて中央駅へと足を向けた。

 ロシア人教会は、Nerobergという高台にあるが、そこに登るのにはNerobergbahn(ネロベルクバーン)という保存ケーブルカーがあり、乗ってみたがった。このケーブルカーは、インフォメーションでもらったガイドによれば、1888年に敷設されたもので、Wasserballastで運用されているとのこと。400 mで83 mを登るそうだ。Wasserballastとは「水バラスト」と言う意味。ケーブルカーは、上り下り二両の車両のバランスで運行を容易にしている。ただし下りの車両を常に重くすることができれば、電気や蒸気などの補助動力がなくても動く。それを実現するために車両(ゴンドラ)に水タンクを備え、山頂側の駅に着いたゴンドラのタンクに水を入れ、谷底側の駅に着いたゴンドラのタンクを空にすれば、あとはケーブルを止めていた力を緩めれば車両が動き出す。水の位置エネルギーをそのまま動力に使う原始的な仕組み。

 また鉄道趣味人には、Nassauische Touristik-Bahn(ナッサウ観光鉄道)という保存鉄道があるようだ。ガイドによれば50年代の蒸気機関車と20世紀初頭の客車があるとのこと。

 仕事のための旅行なので仕方がないが、日帰り旅行にしたのが残念。一泊くらいして温泉プールにも入るべきだったと後悔。いつものことながら先に立たず。(つづく)

 

2012年10月25日木曜日

ICEスプリンターでヴィースバーデンへ日帰り出張(1)

 先日、所用があってヴィースバーデンを日帰りで訪問したが、その際、初めてICEスプリンターを利用した。ヴィースバーデンは、日本人にはあまりなじみがないが、フランクフルト・アム・マインのあるヘッセン州の州都。そしてICEスプリンターも、よっぽど鉄の気がない限り、同様になじみがないだろうから、解説しておくと、ドイツの新幹線ICEの中でも限定された駅にしか停車せずに快速運転するICE。私の利用したベルリン-フランクフルト間では、朝夕一往復しか設定されていないから、最初期ののぞみ号のようなイメージでとらえるとわかりやすい。朝のICEスプリンターは、ベルリンを出るとどの駅にも停車せずにフランクフルトまで走り続けるビジネス列車。ベルリンでは、始発のズュードクロイツ、中央駅、シュパンダウに停車。

ベルリン・ズュードクロイツで発車を待つICEスプリンター


 全席指定で、のぞみ号のようにICE料金+特別料金が必要になる。利用には予約が必要という前提になっているが、乗降口で切符をチェックするわけではないので座席指定無しで乗り込んで車内で精算することもできるようだ(正確な情報についてはドイツ鉄道にお問い合わせ下さい)。

 10月23日の未明、パリに行ったCNLと同様に今回もベルリン・ズュードクロイツから列車に乗り込む。午前6時、定刻通りICEスプリンターは発車し、ベルリン中央駅とシュパンダウ駅で乗客を乗せて高速線に入ると一路フランクフルトを目指す。

 私が今回利用したのは、普通車コンパートメントの通路側の席。ICE1及び2のコンパートメントは、車両の端に設置されており、一つのコンパートメントには6人分の座席があり、窓側には大きめのテーブルが備えられている。窓側の二列と通路側の一列の間には飲み物を置けるすき間がある。座席は開放室のものと同じで横三列の配置だから、横四列の開放室よりも空間を贅沢に使っているはずだが、料金は同じ。向かい合わせなので満席なら足を投げ出せない窮屈さがあるが、落ち着いたヨーロッパの雰囲気を楽しめる。もっともそれは同室の人に左右されるだろうが。

 今回、フランクフルトへ向かう6人コンパートメントには、私とビジネス目的らしい女性が一人の合計二人の利用。かなり快適な旅になりそうだ。

2等車コンパートメント


 ベルリン・シュパンダウとヴォルフスブルクの間は、高速線なので列車はほぼ200 km/h以上の速度で巡航。コンパートメントにいると速度を示す表示が見えないが最高速度の250 km/hが出ているのではないだろうか。ヴォルフスブルクを過ぎ、最短距離ならここからブラウンシュヴァイク方面へ向かうはずだが、列車はそのまま西に向かいハノーファーを過ぎてから進路を南へ向けるようだ。

 ハノーファーには止まらないが、市内を通過し順調に走り続ける。まだ朝が早く外は真っ暗。ときどき街の灯が流れ夜行列車のよう。車内の乗客は、ビジネス客も多いが、大きなトランクを持ち込んだラフな服装の乗客もいるので、必ずしもビジネス客ばかりではない。一等車には朝食サービスあるようだが、二等車にはない。食堂車からコーヒーの出前がある。もちろん有料。以前、ICEに乗ったときにトレーにコーヒーを載せてコーヒー売りが来たので「後からカートサービスがありますか。ビールが飲みたいのですが」と訊いたら、持ってまいりましょうと言ってわざわざ食堂車から運んで来てくれた。申し訳ないことをしたが、そんなサービスもある。

 ハノーファーは無停車だが、中央駅を通過したのかどうか、うとうとしていて確認できなかった。おそらく通らなかったのではないだろうか。

 もう高速線ではなく、在来線を高規格化した路線を通っているため速度がぐっと落ちる。ICEは、ドイツの新幹線だが、走るのはすべてが高速線ではないし、その高速線もすべてがICE専用ではないというところが日本の新幹線と大きく違うところ。このスプリンターの場合も、最高速度は260 280 km/h(HUHさんのコメントを参照)が出る車両だが、最高速度で走り続けるのはあまり長くはない。新幹線と言うよりは高速化した特急。ICEとはInterCity Expressだからまさにその通り。昔IC、つまりInterCityを特急と表現していたので、ICEはその上の超特急ということになったが、実は現在ではICEを特急、ICを急行とした方が、わかりやすいのではないかと思われる。但し、ここは意見が分かれるところだろう。

 列車は速度を落としながらも順調に走っているかと思われたが、小さな駅へさしかかって急に動かなくなった。大分明るくなってきた車窓の外を見ると駅にはFliedenと書かれている。

 しばらくして停車の理由がNotarzteinsatz、つまり急患であるというアナウンスがあったが、かなりの時間的ロスが出たようだ。その後列車は、スプリンターというほどの速度が出ずに、のろのろと走り続ける。既にフランクフルト到着時刻を過ぎたが、まだハーナウ辺り。ビジネス客の多くは携帯電話を取り出してさかんに遅延の連絡をとっている。

 列車は、遅れを出してしまったことから、本来高速で走るべき割り当てられたダイヤのすき間を失ってしまったのだろう。ローカル列車に挟まれて身動きが取れないと言った走り方をする。走っては徐行し、止まってはまたのろのろと走り出す。

 会議やアポイントメントのあったビジネス客は、心中穏やかではないだろう。フランクフルト空港からのフライトを予約していた旅行者も気が焦るだろう。しかしこればかりはどうしようもない。日本の新幹線のように専用線を走るなら大きな遅れを取り戻すことはできないにしても、問題が解決すれば高速での走行が再び可能になるのだろうが、在来線を走る特急は一度遅れを出すとますます遅れが拡大する。

フランクフルト中央駅に到着。お疲れさまでした。


 結局、フランクフルト中央駅に着いたのは、予定の9時42分を1時間以上過ぎた10時57分。ヴィースバーデンへ向かうのに乗り継ぐ予定の列車はとっくに出てしまったが、Sバーンは頻繁に出ているので、あまり問題はない。地下ホームからライン・マイン地方のSバーンに乗り、フランクフルト空港のローカル線駅を経て30分あまり、ヴィースバーデン中央駅に到着。この路線、貨物線になっているのか、頻繁に貨物列車とすれ違った。Sバーンの車両は、ベルリンでは見かけないタイプなので私には新鮮。

 到着したヴィースバーデン中央駅は、小さいながらもすべての列車がここで折り返す、櫛形ホームを備えた頭端駅。ドイツ語ではKopfbahnhofという。駅舎はなかなか立派で、ちょっとハンブルク港のターミナルを思わせる造り。

ヴィースバーデン中央駅

ヴィースバーデン中央駅のホーム。


 ヴィースバーデンは州都と言ってもフランクフルトに比べると小さな街で、私の今回の訪問先である展示場/コングレスセンターのライン・マインホールは歩いて数分。
(つづく)


2012年10月17日水曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(8)

 まだ非常灯しかつかない薄暗い車内に入る。ご乗車下さいというアナウンスはないが、ドアはロックされていないし、ベッドもセットされているのだから遠慮は要らないと判断した。入線するまで窓が閉められていたせいなのか、車内の空気が悪い。車両も窓が汚れかなりの老朽化が感じられるが、窓を開けると華の都の夕暮れの風が入ってくる。女房はもう日本へ帰る機内で夕食でもとっている頃かもしれない。

 自分の席に就き、仕事の続きを始めるとやがて灯がついた。機関車が連結され電気の供給が始まったものと見える。車内のコンセントにパソコンの電源アダプターのプラグを差込む。
 出発の15分前になると、同室の乗客が入ってくる。最初は初老のドイツ人男性。次は中年の男性。この人もドイツ語を話す。初老の男性に私は挨拶した。グーテン・アーベント! ドイツ語話すんですか、と彼。はい、パーフェクトではありませんが、と私。それは有り難い、と初老の男性。こんなやり取りがあった。同室になった以上、深く話し込むことはないにしても自分の言葉で意思疎通できるのは、やはり有り難いのだ。
 これで3人の乗客がそろった。最後の一人は、発車間際に乗車してきた。髪の毛は長いが、これも若作りの中年男性。見事におじさんばかりがそろった。若い人が横になれれば楽だと思って簡易寝台を選ぶなら、バースに空きがある限り少しでも安い6人部屋を選ぶだろう。簡易寝台ではない(本格)寝台車の料金が高価過ぎる、あるいはその本格寝台の閉鎖的な空間は避けたいが、少しでも楽に旅行したいと考えて4人部屋を選ぶのはこういう面々である。

 最後に入ってきた男性は、パリであった建築関係のカンファレンスに出席した帰りだと言う。話してみると気さくな男だが、私がベルリンに住んで何をしているのかとか、ちょっとこの年のドイツ人にしては、そして車内でたまたま会ったにしてはプライバシーにまで踏み込んで来るので何か違和感を覚える。そして語尾で、まぁ、とか、へぇ、とかと日本語に似た反応をする。もっとも、ヘッセン州の一部では「ねぇ」と日本語の同意を求めるときのような音を言葉の最後につける地方もあるので、こういうドイツ語もあるのかと思っていたが、間もなく彼が何ものであるのかがわかった。彼は、日本在住のドイツ人研究者で、パリでのカンファレンスには日本から来たのだとか。

 その彼、大学は出たもののならぬ、大学院は出たものの+博士号はとったものの、職がなく将来を悲観している。実はその話を聞くと身につまされる、と言っては、ちゃんと博士号まで取得できた彼に申し訳ないのだが、自分の身に照らし合わせて名状し難い感情がこみ上げてきた。その件では、お互いにいろいろ話すことがあり、途中からは日本語も交えて話し込んだのだが、同室者も他にいることだし、お互いに眠気を催してきたことなので休むことにした。時刻は22時近かっただろうか。

 私とそのドクターが上のバースを使い。下を初老の男性とおとなしい中年男性が占めた。その二人は途中ハノーファーで下車するとのこと。初老の男性が、鍵は上に一つ、下にチェーンキーが一つあるので、外に出て帰って来たらこれをロックするようにと説明する。かなり旅慣れているようだった。

 今回も鼾が聞こえてきたのだが、前回と違って許容範囲。パリで一日歩いたこともあり、仕事があったせいもあり、疲れてよく眠れた。

 早朝、下のバースの二人が下車して行くのが感じられ目が覚めた。列車はハノーファー中央駅に到着しているようだ。もう少し寝ていたいところだが、のこのこと起き出してホームに出てみる。列車は、ちょうどハンブルク行きの編成を切り離す最中で、間もなくテールランプの赤色を後に出発して行った。

ハノーファー中央駅にて、ハンブルク行きの編成が発車


 こちらは寝台車に赴き列車給仕からコーヒーを求めて車室に戻る。同行のドクターも起き出してきた。彼もまたコーヒーを調達しに出て行った。私は昨夜の残りのサンドイッチを朝食として片付け、車窓を眺める。暗かった景色が明るさを増していく。夜が明けた。ハノーファーから先、ベルリンまでは単調な風景が続くのだが、それでもこの時間の景色を見たのが初めてということもあり、何か新鮮に感じる。

 列車はほぼ定刻でベルリン・シュパンダウ駅に到着。ベルリンからパリに行くよりも、パリからベルリンに戻って来る方が、時刻表の上で1時間ほど所要時間が短い。三つの編成を一つに連結する作業よりは、一つの編成を三つに分ける方が時間がかからないということか。
 私はドクターに、また会いましょう、と別れを告げて通勤時間にさしかかったシュパンダウ駅で下車した。(完)

こちらは二等座席車。3席同士が向かい合っているが、足を前に伸ばしてもぶつからないように列が互い違いになっている。少しリクライニングもするが一晩ここで過ごすのはかなり辛そうだ。CNLは、日本の高速バスのようなリクライニングシートを売りにしていた時期もあったが、パリ発の列車にはそれはなく、座席車はみなこのようなコンパートメントタイプ。

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(7)

 パリのアパートに三泊し、日本に帰国する女房をロワッシーで見送り、その足でパリ東駅へ。午後の車内は、市街へ向かう人でかなりの混雑。そして東駅の地下は早めに帰宅する人だろうか、やはりかなりの人出。私の荷物は比較的軽いが、肩から下げたパソコンが邪魔になる。ベルリンではそんなことは考えたことはなかったが、これだけの人の行き来があるとぶらぶらする荷物はやはり邪魔になる。

 長い迷路をたどって、最下層の高速地下鉄のホームから、やっと東駅の地上に出た。今夜のお弁当はアパートでこしらえたものが既にある。あとは飲み物を調達するだけ。ワインかビールが欲しいところ。ベルリンだったら大きな駅(中央駅、東駅、ツォー駅、フリードリヒシュトラーセ駅、アレキサンダープラッツ駅など)には、構内にスーパーや旅行者を目当てにちょっとした雑貨や食料品を扱う店があり、ビールやワインも難なく調達できる。しかしパリ東駅にはどこを探しても、水とソフトドリンク以外の飲み物が見当たらない。やっと探し当てたところはどうもお土産用の比較的高価なアルコール飲料のようでちょっと買う気がしない。
 駅から少し歩けばスーパーも見つかるだろうと歩き始めたが、それらしきものが見当たらず、肩のパソコンが重くなるばかり。高くても寝台車の列車給仕から求めしかないと、諦めて駅に戻ろうとすると、駅の近くに小さなスーパーを発見。ここで小瓶のワインと水を調達。ビールも購入しようかと思ったが、商品棚には束になったものしかなく断念。しかし支払いのときにレジカウンターの奥にバラ売りのものが見えた。万引き防止のためだろうか? ベルリンではこういう売り方はあまり見かけない。

 駅にもどったが出発まではまだまだ時間がある。列車も入線していない。どこか腰掛けるところはないかと歩いてみる。構内は、機関銃を持った警官が警邏している。国境警備ということだろうか。大空港を思わせる警備。

 駅の片隅にガラスで囲った待合室があるのを見つけて入ってみると、電源がとれる席もある。ここで前日に入った仕事を片付けることにした。待合室には、空港のように出発列車を表示するモニターもあるので、列車が入線すれば直ぐにわかりそうだ。
 一時間ほど仕事をして外に出てみると、CNLの列車が入線している。まだ出発列車を知らせる表示板には案内が出ていないが、一番後ろの車両のサボを見るとミュンヘン行きとなっている。ここにはハンブルクとベルリン行きも繋がっているはず。
 TGVを横目で見ながらホームの先へ歩いて行くと果たしてベルリン行きの編成がある。今回も座席車、簡易寝台車、寝台車の編成だが、それぞれ別の行き先を持った三つの編成が一つに併結されているので列車はかなり長い。これに食堂車が付いていたらホームからはみ出てしまうのではないかというほど。

右がCNL、左がTGV。車高が違う。


 自分の車両を見つけて乗り込む。東駅のホームはかなり低く、列車に乗り込むのはステップを登らなければならないが、この落差が旅情を醸し出している。

 車内は、まだ電気が供給されていないのか電気がともらずに薄暗い。その上カーテンが閉じられているので車室内はなおさら暗い。今回も4人室だが、やはり上段バースは前回同様に6人室の最上段バースト同じ位置。再び窮屈な思いをすることになるが、どうすることもできない。
 せめて鼾に悩まされずに寝られるように祈るばかり。(つづく)

2012年10月13日土曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(6)

 パリ東駅に到着し、ホームの端まで来ると女房が待っていてくれた。1時間遅れで大分待たせてしまって気の毒だった。車内からSMSを送ったはずだったのだが、私の操作ミスで送られていなかったようだ。女房の携帯電話はフランスのもの。私のはドイツのもので、パリとベルリンにいるときは、国際電話になるのだが、遅延の連絡を入れようと思ったのはフランス国内。電話番号の国番号をとってから送信しないといけなかったのだ。

 パリではサン・ミッシェル近くの個人アパートを宿として借りており、到着してシャワーを浴びると女房が軽い食事を出してくれた。パリのクロワッサン。なにかパリというだけで美味い。焼き立てはもっと美味いのだとか。

 人心地つくと昨夜の寝不足のせいか目眩、いや陸酔いがする。じっとしていても揺れているような感じ。体を伸ばして横になれるだけで十分贅沢な旅だと思ったのだが、あの鼾は想定外だった。そして6人部屋と同じスペースしかない4人部屋の上段バース。これも想定外。

 スウェーデンへ行ったときに使った6人部屋に懲りたので4人部屋にしたのに、これではただ4人部屋の追加料金を無駄に払っただけではないか。そう思うと収まらない。そこで、4人部屋の上段の利点は一体なんなのか、6人部屋とどう違うのかとCNLに説明を求めるメールを出してみた。
 機械的に「ご意見有り難うございました。今後のサービス改善に役立てます。」なんて自動返信が返って来るのかと思ったが、週末が明けるとちゃんとした返答があった。これは評価できる。その内容を紹介すると、6人車室では他の5人のお客様と一緒に旅をするのに対し、4人車室は、他の3人のお客様と一緒に旅をするのがメリットで、5人目と6人目のお客様のためのベッドは高い位置で固定されています、というもの。5人目と6人目のお客様のためのベッドとは、中段ということになる。う〜ん、確かに嘘ではないし、ちゃんとメリットを指摘しているが、上段のバースにあたってしまったときの窮屈さが6人部屋と同じことについては何らの説明もない。都合の悪いことは、敢えて回答しない、弁解しないというのは、裁判でのテクニックのようで、流石は法律の国独逸と思ったのだが、裁判官の心証はひどく悪い。
 しかしへ理屈に聞こえなくもないとは言え、理屈で説明されてしまったからには仕方がない。私は、CNLの回答に対して、回答有り難うございます。次回も是非CNLチームと一緒に旅を楽しみたいと存じます。ひいては4人部屋の上段バースのスペースの改善を提案します、と回答しておいた。

 現在の4人部屋が、かつてのように上段と下段でほぼ同等のスペースを確保できなくなっているのは、設備の老朽化によるところが大きいと私は考えている。上段ベッドを壁に立て掛ける留め具が金属疲労で折れてしまうことが多く、運営会社は、それを改修するのは、インテリア全体の耐用年数を勘案すると割に合わないと判断したというのが私の推理である。近い将来、CNLの簡易寝台車の内装が全面改修され、かつての快適さを取り戻す日が来ることを夜行列車好きの旅客として切に望む。

 しかし、4人部屋のメリットは何かとについて私の考えをまとめておきたい。それは、乗り込んで就寝するまで、下段のベッドを座席にして座っていられることだろう。日の長い季節なら景色を眺めたり、今回のように食事もゆっくりできる。6人部屋で中段のベッドが低い位置に固定されていれば、頭が支えてしまうので下段のベッドを座席として使うことができない。本当は中段ベッドは座席にするときには背板になるのだが、入線時に既に寝台がセットされているとそうするには他の乗客の了解がいるし、セットし直すのはこつがあって素人にはなかなかできないということもある。そう考えると、4人部屋のメリットは確かにある。
 しかし逆に言うと直ぐに就寝したくとも他の乗客が食事をしていたりすると、下段をとった者は横になれないという難点もある。となると出発時間が遅く、乗ったら寝るだけという場合には6人部屋を選んだ方が良いということにもなろう。(つづく)


2012年10月10日水曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(5)

 メッス停車中、鼾男が列車の遅れを盛んに話題にしている。車掌に言って遅延証明をもらって来いと皆に勧める。それがあると一部払い戻しがあるのだとか。
 そう言えば、以前そんなことがあった。ICEでパリに行ったとき、車両故障で列車がマンハイムで立ち往生し、乗り継ぎができずにパリ到着が数時間遅れた。そのときパリ東駅のホームでフランス国鉄が遅延証明書、払い戻し申請書を配っていた。それに記入して送ったところ、後日フランス国鉄用のクーポンが送られてきたが、そうフランスに行く機会があるわけでもなく無駄にしてしまった。結局、手間がかかっただけだった。

 停車中、二両先の寝台車(Schlafwagen)へ行って、列車給仕からコーヒーを求め、車室で簡単な朝食を済ませた。コーヒー、2.90ユーロ也。車内販売は回って来ないのでどうしても自分で買いに行かなければならない。また簡易寝台には朝食はついていない。

 ようやく機関車の繋ぎ替えも終わったので、そろそろ発車だろうとだれかが言うと、5人目のメンバーとなったお嬢さんから、速い機関車に替えたの?という発言が出た。遅れているから、速い機関車に替えて遅れを取り戻すと考えたのだろう。「機関車トーマス」の世界ではそういうこともあるかもしれないが、現実にはそういうことはまずない。しかし娘チックな発想に私の心は和んだ。お嬢さんは、建築を学ぶ学生だということ。昨夜は大学都市のゲッティンゲンからの乗車だったのだろうか。

 ところでそのお嬢さん、座席車指定の切符でちゃっかり簡易寝台に潜り込んだのかと思ったが、彼女の言うことを信じるならどうもそうではないらしい。ちゃんとこの車室の指定がある切符を持っているとのこと。となるとDBの発券ミスか、あるいは彼女が車両を間違ったのだろう。しかしだれもここは4人用だから出て行けとは言わなかった。5人で座っても6人で座ってもそれほど窮屈ではないし、おじさんたちは女子には優しいのだ。

 メッスを発車して順調に走ればパリまで3時間ほど。列車は、朝もやがかかる谷間を抜け、小さな街を通り、運河に沿ってロレーヌ地方を走る。それほど風光明媚というわけではないが、朝の新鮮な風の中を走る列車の車窓には、やはり異境の新鮮な風景が流れる。



 列車がパリに近づくにつれて家が多くなり、都市部へと入って来る。住宅が密集しビルディングが見え始めると、モンマルトルの丘にそびえるサクレクール寺院が見えてきた。ほどなくして列車は、1時間あまりの送れとともにパリ東駅に到着した。

 おじさん二人の鼾にはまいったが、それでも一晩を同じキャビンで過ごした4+1人には、それなりの連帯感も生まれる。列車が停止すると、どこか名残惜しいく、アウフ・ヴィーダーゼーエン、チュスと言って、二度と成立しない共同体は解散となった。

 5人目の共同体メンバーとなったお嬢さんが、私に、毛布ありがとう、と言って車室から出ていた。(つづく)

パリ東駅に到着したCNL。ベルリン、ハンブルク、ミュンヘンから
発車した列車が併結され長大編成になっていた。

2012年10月9日火曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(4)

 我が4人用車室の5人目のゲストは、どうもあの高い位置に固定された中段のベッドに潜り込んだらしい。暗い中で、スマートフォンを使っているらしく青白い光で姿が照らされている。顔の表情に幼さの残るお嬢さんのようだ。
 泥棒ではないらしい。では何だ。私が次に考えたのは、座席車の乗客が開いているバースを見つけてちゃっかり入ってきたのではないか、ということ。
 こういう場合、どうすべきか。ここは4人部屋ですよ、と言って出て行ってもらう? しかし別に邪魔になっているわけではないのだからそれも酷か。知らないふりをしているのがいいかと思ったが、どうもそのお嬢さん、掛ける毛布もなくただ寝台に横になっているようだ。
 寝静まった(鼾男に「静まった」という表現は不適切か)車室で、女の子に小声で「毛布はないの?」と訊いてみると「要らないの」という返事が来たので、いよいよちゃっかり者の闖入者かと確信したが、それでも気の毒なのでよけてあった毛布を渡した。この車室は4人部屋だが、6人部屋の2バースを使わないというだけなので、毛布や枕、シーツは6人分あったのだ。
 しかしあの狭いスペースによく潜り込めたものだ。

 鼾男から出る轟音は列車の振動以上の破壊力があるが、それでも明け方が近くなると少しは静まってきて私も一眠りはできたようだ。ちなみに鼾に次いで破壊力のある列車の振動もかなりのもの。夜間もかなりのスピードで走っているのか、音と振動は激しい。そしてこの車両のサスペンションは、空気ばねではないのだろう。振動がかたい。それに加えて、ヨーロッパの線路は、軌道の幅が広いせいなのかカントがあまりついていないようだ。列車がカーブにさしかかると頭の方向へ、あるいは足の方向にGを感じる。

 明け方、どこかの駅でしばらく停車していたようだ。よく覚えていないところを見ると鼾と振動に酔って眠っていたのだろう。目が覚めたとき、夜が明けて列車はどこかに止まっていた。車室が騒々しいので、目を開けて上体を起こしてみると、鼾男が列車が遅れていると騒いでいる。カーテンのすき間から外をのぞくと、列車はもう国境を越えてフランスの最初の停車駅メッスに来ているのがわかった。
 鼾男が騒いでいたのは、パリでの乗り継ぎを心配してのことだろう。早々に着替えて荷物をまとめていたから、この駅からTGVに振り替えてもらえるとでも思ったのだろうか。しかしそうはならなかった。
 列車は既に1時間以上の遅れが出ている。車内アナウンスによると夜のうちに急患が出てカイザースラウテルンに停車したのが遅れの原因とのこと。
 それにしても鼾男は、寝ても起きても騒々しい。すっかり目が覚めてしまったので、私も起き出すことにした。服を着てホームに降りてみると、駅の雰囲気がどことなくドイツのものと違う。隣の線路をドイツでは見ないローカル列車が走って通り過ぎた。ホームでは小太りがタバコを吹かしている。私によく眠れたかと訊くので、あの男の鼾のせいであまり眠れなかったと答えた。彼もその鼾のせいでよく眠れなかったそうだが、私は彼も鼾をかいていたのを知っている。騒音とまではいかないが、ズズズと振動するタイプの鼾だった。(つづく)

メッスに停車中。時刻表によれば、本来の発車6時15分。

2012年10月8日月曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(3)

 ハノーファーを出て少し走ると22時30分を回っている。車室ではベッドメーキングが始まった。と言っても列車給仕がやってくれるのではなくセルフサービス。これが簡易寝台車(Liegewagen)。寝台車(Schlafwagen)では、給仕がやってくれるのだろう。というよりも最初からベッドがセットされているのかもしれない。

 私のバースは上段なので、狭いスペースでのベッドメーキングは骨が折れる。まずはシーツを敷くが、これはシーツを二つ折りにして足の側を縫って閉じてあるという作り。頭の方は、枕が載るスペースの分だけ袋側が切り開かれており、その分だけ頭を出せる。言葉では上手く説明できないが。
 このシーツをベッドいっぱいに敷く。袋側は足下と壁側に向ける。その上に毛布を二つ折りにして掛け、顔が出るようにシーツの上端をこの毛布の上に折る。頭には枕を置いて出来上がり。難しくはないが、慣れないと薄暗く狭いバースではこれが一苦労。このベッドメーキングは少しユースホステルのような感じ。ドイツ人たちは慣れているのか難なくこなす。

 これが終わればもう寝るだけ。下のバースの小太りが、夜間も換気口を開けっ放しにするように主張している。前回スウェーデンに行ったときもそうだったが、新鮮な空気にこだわる人はヨーロッパには多い。ヨーロッパの中でも北ヨーロッパに多いかもしれない。ここは寒冷な気候のせいか家の作りが密閉度が高い。おまけに暖炉で火を使うことも多かっただろうから、そこからの排気で病気になると考えている人が多いのだろう。そう言えば『米欧回覧実記』にもそんなことが書かれていた。当時のベルリンの大学病院の最新病棟では新鮮な空気がいつでも入るようにしてあるとのこと。当時から二酸化炭素が健康に悪いと言うことになっている。
 しかし逆に南欧の方に行くと年寄りたちは風に当たるのが良くないと思っている節がある。もう20年前のことだが東欧を列車で旅したときに、夏で蒸し風呂のように車室が暑くなっても、同室のおばあさんは、窓を開けさせてくれなかった。
 それはさておき、換気口は廊下とは反対の窓の上についている。開けっ放しでは寒いかもしれないが、面倒なので小太り男の言う通りにしておいた。風を下側に行くようにしておく。夜更けて寒くなれば閉じてしまおう。上のバースの方が換気口へのアクセスがいい。

 車室の灯を落とすと真っ先に眠りに落ちたのは同じ上のバースに陣取った背の高い中年男。かなり激しい鼾を絶え間なくかいている。よっぽどうるさいと起こそうかと思ったが、そうしたところでその興奮で眠れなくなってしまうだろう。あきらめてどうにか収まるのを願って暗い天井を見つめる。鼾のご本人は、耳栓をしている。そうでもしないと自分の鼾で眠れないのかもしれない。もう笑うしかない。

 私はその鼾のせいで眠れない眠れないと思っていたのだが、どうもいつの間にか浅い眠りに落ちていたようだ。列車はハノーファーを過ぎるとゲッティンゲンで最後のお客を拾って朝まで走り続けるのだが、ゲッティンゲンに停車したのを記憶していないから、そのあたりでは眠っていたようだ。時刻表によればゲッティンゲン発車が23時32分。

 この後、再び鼾で寝付けなくなるのだが、ふと気がつくとどうも4人の部屋に5人目の乗客が乗り込んでいるような気配がする。どろぼうか?(つづく)

2012年10月6日土曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(2)

 最後の席が埋まったのはシュパンダウを出てから少したった頃だったろうか。入ってきたのはうら若きお嬢さんで、おじさん4人の中で気の毒だった。女性専用の車室があったかどうか確かではないが、普通にインターネットで予約すると簡易寝台の場合、男女の別は問われない。
 女性が一人で気まずかろうなんてことはお構い無しに、おじさんたちは、夕食に取りかかる。私の夕食はサンドイッチとワインだけの簡単なものなので直ぐに食べ始められるのだが、背の高い中年男性がテーブルを組み立てようと皆に同意と協力を求めている。テーブルは出発のときには取り外されてベッドの下に収納されており、組み立てるにはまず上段のベッドへ通じる梯子をよけ、代わりに窓際の定位置にそのテーブルの留め金をかけ、足を出してセットする。窓際から通路近くまで届く大型のテーブルができあがる。食事するのには十分なスペースがあるが、日本だったらせいぜい折りたたみ式のテーブルを広げるくらいだろうから、この組み立て式は文化の違いを感じさせる。

 テーブルができれば私はサンドイッチとワインをそこに載せて夕食の開始となるが、その背の高い中年男性は、大きなパンの固まりとチーズの固まりを、でんとテーブルの上に並べナイフでペースト状のものをパンに塗り、チーズを切って盛んに食べる。ドイツ人の夕食の始まりとなる。これをせんがためにテーブルの組み立てを主張したのだろう。何を食べようと文句はないのだが、そのチーズがちょっと臭うのと、大量の食糧をテーブルに広げられる圧迫感とで同室の者は閉口しているが、本人はお構い無し。こういうところでは無神経が勝ちというわけだ。

大型のテーブル

 車室はベッドの他に座り位置も一応指定されているので、それに従って私は窓際に陣取った。そのためテーブルがセットされて皆が食事をする間は外に出られなかったが、他の車室はどうしているのだろうか。グループや家族で一室を占拠できれば、中段のベッドを下ろして背もたれにし、座って食事をとることもできるが、そうではないと中段のベッドに頭がつかえてまともに座ることができない。となるとあとは寝転がって夕食を採るか、さっさと寝ることくらいしかすることはない。テーブルはどの部屋でも取り外されていて、梯子とベッドがセットされていたが、それはここに理由があるのだろう。
 夏の日が長い時期ならゆっくりと黄昏れる景色を眺め、食事をとり同室の人と話でもしてゆっくりと過ごすのが列車の旅の楽しみかもしれないが、スピードアップと合理化はここにも容赦なく押し寄せてきている。寝台車、ことに簡易寝台は横になって休むものと皆が理解すれば、夕食は乗車前にとり、乗車したら寝てしまい、目が覚めればもう目的地でさっさと降りて行くのが一番合理的だ。しかしそうなれば列車の旅はますます廃れて行くに違いない。

 食事が終わりしばらくすると、列車はヴォルフスブルクを通過。ここはフォルクスワーゲンの企業城下町で、運河の向こうに工場やAutostadtと呼ばれる展示施設が見える。私の隣りに陣取った小太りの男性は、盛んに時計を気にしている。もうそろそろ次の停車駅であるハノーファーではないかという。確かにその通りなのだが、彼が期待したほどには直ぐではない。彼はベルリンを出てからICEの所要時間でハノーファー到着を期待している。この国際夜行急行列車もシュパンダウからの高速線ではかなりのスピードを出しているようだが、やはりICEほどには速くはない。
 小太りの男が、ハノーファー到着を待ちこがれているのは、タバコを吸いたいがため。列車には喫煙スペースは用意されていない。

 彼が待ちに待ったハノーファー到着は、22時頃だったろうか。ここまでは列車の運行に遅れはない。列車が駅に到着すると彼は待ちかねたようにホームに降り、ニコチン補給を開始。私も外の空気を吸うことにした。
 まだ深夜ではないが、ハノーファー中央駅のホームは人もまばらだった。我々のCNLは、この駅でハンブルクから来る併結列車の到着を待つ。ホームには、車掌も降りてタバコを吹かしているので、我々の列車はいつ発車するのかと訊いたが、それは難しい質問だといってはっきりとは答えてくれなかった。ハンブルクからの列車の到着、それに入れ替え連結作業の進捗次第ということか。

 我々の列車からは、既に機関車が切り離されている。しばらくすると入れ替え用のディーゼル機関車が近づいてきた。

構内用ディーゼル機関車

 どこに入ったのか確認できなかったが、もうハンブルクからの併結編成がどこかに入線したようだ。
 この後、ほどなくして連結作業が行われ、長くなった編成がハノーファー中央駅を出発した。進行方向がベルリンからのものと逆になった。(つづく)

2012年10月5日金曜日

CNLの夜行列車でベルリン-パリを往復(1)

 夜行列車を「夜汽車」と呼ぶのは、大分古いか。日本では夜行列車自体が少なくなってきているし、列車を「汽車」と呼ぶことも大分古めかしいので「夜汽車」なんて言うといつの時代のことかって響きもあるが、その響きにはノスタルジーが感じられ、旅情がある。
 2012年9月末にベルリンとパリを、その夜汽車で往復した。列車はCNL 450/451列車。列車名にはPerseusという愛称がついている。
 列車は、寝台車(Schlafwagen)と簡易寝台(Liegewagen)、それに二等座席車の三種類の客車で編成されている。一部は自転車を載せるカーゴスペースにもなっている。以前は食堂車も連結されていたが、今はそのサービスはない。残念だがこれも時代の波か。但し軽食と飲み物は、寝台車(Schlafwagen)まで行くとその給仕から求めることができる。

 9月27日、私の出発はベルリン中央駅ではなく、その一つ手前の南十字駅(Südkreuz)から。発車は19時56分。その日の夕食用と次の朝食用にサンドイッチを持参。中身はスモークサーモンとチーズ、それにジャムといった簡単なもの。それに小瓶のワインを用意した。
 予約は簡易寝台なので、シャワーはないから家で湯を浴びてから出発。十分な時間をみて部屋を出たのだが、街角の時計をみると腕時計よりも10分進んでいる。どうも腕時計の電池が切れかかっていたらしい。最寄りのSバーンICC Nord駅まで荷物を引っ張って足を速める。余裕はなくなってしまったが、何とか時間に間に合った。Sバーンの電車で南十字駅に向かう。

ベルリン南十字駅で発車を待つCNL 450列車

 南十字駅Südkreuzは、「ズュードクロイツ」と発音するが、ベルリンの環状線と南北線の交点。それで十字という。英語ならサウス・クロスとなるのだろうか。西へ向かう長距離列車でベルリン中央駅の地下ホームを使う列車は、この駅を出るとその中央駅を通り、ベルリンでは最後の停車になるシュパンダウ駅を経て西へ向かう。シュパンダウからの本線は、ICEが高速運転をする新幹線。この列車を含めICやECといった急行列車もかなりの速度で走る。

 長距離列車のホームに下りると既にCNL 450列車は発車を待っていた。何とか間に合った。ホームには別れを惜しむ恋人同士が抱き合っていたり、窓を開けて別れを惜しむ旅客がいたりで旅情をかき立てる。

 私は、見送りもいない一人旅。切符(といっても自宅でプリントアウトしたA4の味気ないもの)で車両と、座席ならぬ寝台を確認。97号車45席。4人部屋の上段の寝台が私に割り当てられた場所。簡易寝台には4人部屋と6人部屋があり、前者は二段の寝台で後者は三段の寝台。6月にベルリンからスウェーデンのマルメーまでに使った簡易寝台が三段の蚕棚だったが、その狭さに閉口したので今回は4人部屋の二段寝台にしたというわけ。二段ベッドなら寝台に座って着替えもできると踏んだのだが・・。

4人用の車室、中段の別途が高い位置で固定されているだけで、6人用の車室と変わらない。

 車室に入って唖然としてしまった。4人部屋といっても寝台は6つ。6人部屋との違いは中段をやや上に固定して寝台としては使わないと言うだけ。上段は、6人部屋と全く同じ。私のベッドは上段なのでこれでは何のために4人部屋をとったのかわからない。本来なら、やや上に固定したその中段のベッドを上段のベッドとして使い、最上段のベッドは壁側に倒して固定し、上段も広く使えるはずなのだが、その仕掛けは放棄してしまったようだ。乗務員の手間を省くためなのか、それとも車両の老朽化でその仕掛けの故障が多くなり、いよいよ放棄してしまったのか。いずれにしても、私の今回の旅もそう楽なものではなさそうだ。

車室の廊下側には荷物置き場が設けられている。その他、荷物は下段のベッドの下と中段のベッドに置ける。

上段と、高い位置で固定された中段のベッド。

 列車は、定刻に南十字駅を発車し、ポツダム広場駅を無停車で通過。ベルリン中央駅に滑り込み、多くの乗客が乗り込んで来た。南十字駅を出発したときには私一人だった車室に中年男性二人が入ってくる。グーテン・アーベント! 一人は背の高い男性で、もう一人は両手に塗料のバケツを持った小太りの男性。4人部屋は6人部屋よりも少し料金が高いためか、6人部屋よりもやや年齢層が高そうだ。これで4席のうち3席が埋まった。下のベッドを使う小太りの男性は、下段を一人で使えることを喜んでいた。(つづく)

車室から見たベルリン中央駅のホーム